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瀬戸内寂聴さん3回忌 親交あった加藤登紀子さんが語る素顔とは

  • 2023年11月09日

瀬戸内寂聴さんが亡くなって今月で2年。NHKでは50年以上親交のあった加藤登紀子さんに、寂聴さんについてインタビューしました。

Q.瀬戸内寂聴さんとの出会いは?加藤さんがデビューした頃だと聞きましたが・・・。

加藤登紀子さん
そうですね。 私の事務所の社長だった石井好子さんが、寂聴さんとほとんど同い年で、とても仲がよくてそのおかげだと思います。
 雑誌の対談があった時に、当時私は目が小さいとよく言われていて、石井好子さんに「あなたは1cmくらいアイライン引かないと目がないように見えるわね」と、一生懸命化粧をさせられてたんですよ。私は慣れないながらも一生懸命アイラインをつけて、まつげをつけて頑張っていたわけ。

そしたら、当時は瀬戸内晴美さんの名でしたが、寂聴さんがすごい珍しがって、会うなり「ねえねえ、まつげちょっと触らせてくれる?」って、ピって触るわけですよ。そのとき、すごいなと思って。この単刀直入にリアルに迫ってくるっていう感じが、とっても好きでしたね。きっとさぞかし私がすごいまつげを作ってつけてるっていうのが面白かったんでしょうね。 

ある意味では仕切りがない方ですね。フランクで伸び伸びとしたものがあります。

Q.心に仕切りがない、フランクな方って珍しい存在ですよね?

加藤登紀子さん
そうですね。

瀬戸内晴美さんとしての、何よりの得意技は性のこと、男女のこと。すごいディテールまでのリアリティーを描いて世の中をあっと驚かせるような表現までたどりついた人なんですね。 だから、そういう意味では表現者としては、通りいっぺんのモラルではなくて、ありありとその人の中で何が起こったのかっていう、真実、リアリティーを描こうとしたと思うんですね。

また、人間として猛烈にあふれる力っていうか、そういうものを抑え込むことばかり世の中は考えてきている。でも、表現者としては抑え込むことじゃなくて、何が本当に起こっているのか知らなければ、もったいないじゃないか。それはやっぱり瀬戸内さんの文学もそうだったと思います。

Q.人間の本質に迫ろうとすれば、モラルや常識とぶつかってきてしまう。瀬戸内文学はそれを作品に昇華したのでしょうか?

加藤登紀子さん
あの、寂聴さんとして語ってらっしゃったのが「一夫一婦制なんてものはね、ないんですよ」ってまずはおっしゃる。つまり、それは人間が今の時代に「とりあえず、それで行ってみようか」と決めただけであって、なにもそれは大昔から決まってるわけじゃない。とりあえず私たちは手続的にそうしてるだけなんで、そのためにみんなすごく苦しみを抱えることもあるんで、「そこ(一夫一婦制)がないものと思って考えてみたらどうですか?」みたいなこともズバっとおっしゃっていたりするんですよね。

それは一般的な道徳をきちんと広めなきゃいけないとかって思うとそういう言い方はできないと思うけど、私はそれを聞いて仏教ってとても自由なんですねって思ったんですよ。 
仏教は人の命としての本質を見つめてますね。それこそ、いわゆる愛ゆえにいろんな思いが発生して、血みどろになったりするとかそういうことも含めて見つめてますね。 
それで、寂聴さんが仏の道に入れられたっていうのは非常に興味深い。 

私が「どうして得度されたんですか?」って寂聴さんに聞いたとき、「もうね、収拾がつかなくなったのよ」っておっしゃっていた。
つまりモラルがあり、社会制度があり、結婚制度、一夫一婦制度があり、そういうがんじがらめの中で、その愛を突き詰めていくとね、どうにもならない。あっちの顔を立てばこっちが立たない、こっちを傷つけるみたいな。「もうどうにもならなくなったのよ」っておっしゃって。どうにもならなくなったというときに出家という道があるということを寂聴さん見つけてくださって、それはすごいことだと感じた。

Q.好奇心が並外れた方だったのでしょうか?

加藤登紀子さん
そうです。
並外れたって見ればそれこそ、憲法9条の問題とか安保に関する法律案が出てきた時に、寂聴さんがハンストを入れたんですね。
私は、そのことに触れて「あれには驚きました。ハンストするなんてすごい決断ですよね」って私が申し上げたら、「登紀子さん、絶食は体にいいのよ。みんな大丈夫ですか?とか言ってたけどあれはもう快適だ」って寂聴さんがいうわけよ。
ユーモアなんだけども、とてつもない天にとどろくようなエネルギーですよね。

Q.加藤さんもお会いになられるたびに楽しかったですか?

加藤登紀子さん
そうですね。もう、私はもうお会いする機会に、どんだけ攻めれるかっていう。だから、楽しむ以上の好奇心で私もぶつかっていた。

けれど最後にお会いした時に私の中に一番残ったのは、やはり旦那さんと別れたときに子供を置いてきた、このことが一番、心に残った出来事のような気がしましたね。
「どうして私は連れてこられなかったか」と。 

当時、結婚とは家制度だったので、「家に入った」「家を出た」と。家を出たときに子どもを連れてこられないっていう制度だったんですね。今とは少し違うかもしれません。

瀬戸内さんは、自立した一人の女性として生活ができて、そして存分に愛を感じることができたが、叶うことなら本当は子どもを育てたかった。そこができなかったことに対する悔恨っていうか、それは強いものだったと思います。

Q.瀬戸内寂聴さんと加藤さん、カメラが回ってないところではどんな付き合いが?

加藤登紀子さん
カメラ回っても回ってなくても変わらないんじゃない?

だけど、私が最後のインタビューに行ったときは、骨折入院されたばっかりだったんですよね。恐らく車いすで出てこられると思ったら、さっさと廊下を歩いて出てこられました。ちょっと両手をつかみながらですけど、びっくりしました。

Q.それは心配させまいとする、寂聴さんならではの気遣いだったのでしょうか?

加藤登紀子さん
気遣いというか、楽しそうでしたね。

Q.やっぱり楽しそうに生きる人だったんですね?

加藤登紀子さん
うん、あといろんな不祥事というかね警察に捕まったり、世の中にどうすることもできない立場に立った人に対して「近くに、こっちいらっしゃい」っていう感じで助ける人でした。

一般的にはとんでもないことっていっぱいあるわよね。誰にも許されないとかね。
でもね「みんな大したことないのよ」と笑って済ませるっていう。「人間ってそういうしょうもないとこもあるけどね。かわいいものよ」ってそういう感じかな。
そういう温かい、抱き締められているような感じがしますね。

Q.寂聴さんの人間としての大きさですかね?

加藤登紀子さん
やっぱり、徳島はすごく風土がいいじゃないですか。温暖で、それで川があって、海があって、山があって、ふんだんに緑がある。それでいて、歴史があって、街があるでしょ。そんなに大きくはないんだけど、全部あるのよ。
私はその満ち足りた感じって、寂聴さんの底力としてあったんじゃないかと思う。
寂聴さんはやっぱり満ちてるんですよね。あったかいもので満ちて、だからひなたぼっこするような気持ちになるんですよ。そりゃやっぱり徳島は良い風土だったんじゃないですか。

Q.今寂聴さんが生きておられたら、今の世の中をどう思われている?

加藤登紀子さん
そうですね。わからないけど、寂聴さん行動する人だったから、何かなさったかもしれないなって思ったりします。
仏教という1つの立ち位置の中で、未来に向かって何ができるかってことに、1つの大きな力、役割を果たしていた可能性はあるような気がします。

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