「自分の日常が虐待となってしまう…」 子育て中の親たちの不安の声は、大きなうねりとなり、”子ども放置禁止条例”の改正案は撤回されました。きっかけのひとつは、埼玉県で子育てしている、ある母親の呼びかけでした。 さいたま局記者/玉木香代子
埼玉県の子どもの放置をめぐる虐待禁止条例の一部改正案について、県民などから批判が相次いだことを受けて、自民党県議団が取り下げを決め、今月13日、県議会で撤回が承認されました。
なりゆきを特別な思いで見守った人がいます。
野沢ココさんです。
埼玉県西部で小学3年生と6年生の子どもを育てる母親で、自営業で働いています。今月5日の朝、「ウソでしょ!?」今回の改正案を新聞記事で知り、条例で禁止されている行為の例を見て、驚いたといいます。
条例で放置にあたり、禁止されている行為の例(小学3年生以下)
▼子どもだけの登下校
▼小学生だけで公園に遊びに行く
▼ゴミ捨てにいくため子どもたちに留守番させる
こうしたことは、すべて野沢ココさんの普段の生活で起きていることだったからです。これらの行為を”放置”として”虐待”とひとくくりにされてしまうと、自分たち親にとって深い傷になると感じるとともに「親はずっと子どもと離れず、監視していろ」と言われたような気がして、これでは生活が成り立たなくなるとショックを受けたといいます。
今月6日、市民団体で活動する友人に相談し、議案について討論する委員会を傍聴してもらいましたが、委員会では子育て当事者たちの意見がくみとられたものなのか、はっきりしたことは公表されませんでした。そのうえ、混乱を招くのではないかといった批判の意見が相次いだにもかかわらず、賛成多数で可決されたのです。
その日の夕方、「このままでは子育て当事者たちの声も、なかったことにされてしまう…」強い危機感から、動き出したといいます。
野沢ココさんが始めたのが、WEBサイトでの反対の署名活動でした。
その中で、自分の住む地域に児童館がないことや、自分のごく日常の子育て事情にふれながら、一緒に声を上げてほしいと訴えました。
(一部抜粋)1年生から3年生までの登下校についても、地域格差があります。私の住む地域は校区が広いので、学校に50分かけてひとりで歩いてくる子もいます。子ども達は小学校のグラウンドもしくは公園に集まって遊んでいます。児童館はないうえに、校区は広く、こどもたちはもっぱら自転車で行動しています。もし、その子たちが小学生である場合、条例違反・努力義務違反となり、虐待に当たるということです。そして、これを見つけた県民は通報する義務が発生します。
条例よりも、まずは子育てを支援する制度の充実が先なのではないでしょうか?
支援制度の充実がなくては全て夢物語の理想論でしかありません。
私たちは今を生きています。
日本一子育てしづらい埼玉県にならないように、そして全国に同じような条例が広がり、子育てするのを諦めるような国にならないように!!
その一心で署名を立ち上げました。
果たして、署名が集まるのだろうか…不安も当初抱いていたという野沢さん。
しかし、署名活動のサイトには、予想をはるかに上回る賛同の声が寄せられ、大きなうねりとなっていきます。あふれていたのは、さまざまな事情を抱える子育て当事者たちの叫びや若者の声。野沢さんは連休中もとどまることを知らない声の数々を読み「自分の感じた疑問は決して間違っていなかった」と確信したといいます。
署名活動に寄せられた声(一部抜粋)
『これ以上子育て世帯を追い詰めないでください』
『不登校児を抱える家庭にとっては、親が外に出られなくなりさらに追い詰めることになるのを 議員の方は理解していますか?』
『高一です。僕は母が1人で働いてくれてて留守番することが多かったが虐待と思ったことはなかったです。この条例を採用させてはダメだと思います』
県内外から反対の声が大きなうねりとなったことを受けて、今月10日、自民党県議団は一転して、改正案を取り下げる方針を表明します。
改正案は取り下げることになりましたが、集まった子育て当事者たちの声を届けたい。
今月13日、埼玉県議会の最終日、議案が撤回されるのを見守った野沢さんたちは、自民党県議団に集まった10万3000を超える署名を手渡しました。
そして、署名活動で寄せられた声をくみとりながら、仲間たちと夜通し考えたという提言書も手渡します。提言では、共働きなどの家庭の小学生を放課後に預かる「学童保育」の待機児童を解消することや時間を拡充すること、通学区域内に1つ以上、子どもを見守る大人が常駐する遊び場や居場所の設置などを求めています。
初めて経験したという署名活動、提言の作成、提出。記者会見で、この8日間を振り返った野沢ココさんは…。
野沢ココさん
「仕事や子育てをしながら声をあげていくことは、きつかったですし、寝不足になりました。それでも、同じ子育て当事者の人たちの署名の声は大きな後押しになりましたし、たとえどんなに少ない意見になったとしても、やはり声をあげていくことがとても大切だということが今回の学びです。このままでは暮らしていけないという叫びのような声が、うねりにつながっていったと思っています。ぜひ、ポジティブな視点から、子どもたちや子育て当事者たちが幸せになれるような条例をつくっていただきたい」
子育て世帯が置かれている家庭環境や子育て支援に詳しい専門家は、これまでの動きをどう見ていたのか。恵泉女学園大学の大日向雅美学長は、今回の条例案は、親が自分をどんどん追い詰めていく危険性があったと指摘します。
恵泉女学園大学 大日向雅美 学長
「そもそも子育ては家族にだけ担わせるべきではない。子どもの発達ということを考えても、親の子育てを本当に充実したものにするためにも、親や家庭だけに子育てを担わせることはそもそも間違っている、これが大前提なんですね。
『子どものことを考えたら、私が仕事やめないといけない』とか『私がシングルになったからいけない』とか、親が自分をどんどん追い詰めていく危険性がものすごくあった条例案ですね」
恵泉女学園大学 大日向雅美 学長
「この条例案には、”子どもがゆるやかに見守られる地域社会”という視点が欠落していた。子どもの視点にたつということは、同時に、傍らにいる親の生活人生支援をしなければ成り立たないわけです。
反対の声の中には、働けなくなるという声が大きかったようですが、じゃあ専業主婦(主夫)家庭なら担えるのかというと、それも違います。こどものすべてに付き添うとなると、ワンオペどころか、過重労働になりますよね。
こうした状況に陥って苦しむ親の声をたくさん聴いてきました。親を苦しくさせたら、親はイライラして、緩やかにのびやかに子どもと向き合えなくなってしまう。ママパパは『あなたのために人生を犠牲にさせられた』とまで思うかもしれないのです」
そして、これをきっかけになぜ反対の声が高まったのか、その検証が必要だと訴えます。
恵泉女学園大学 大日向雅美 学長
「世論が立ち上がったという点が救いですが、大事なのは、寄せられた反対の意見を聞き、子どもを守るという視点や手法が違っていたということをしっかりと検証できるかが大事です。
学童保育の不足に対する認識を高めて、加速度的に施策を進めたかったというようなことを言われていたと思うのですが、待機児童が課題になっているといったことは、わかりきっていることで、課題があるにも関わらず家庭や親に負担をかける条例案をつくるのは本末転倒です。
『もっと地域で見守ろうじゃないか』とか『学童を充実させようじゃないか』という声が先にこなければ、親はとても苦しみます。本当に目指すべきなのはどこなのか、子育ての見守りの仕組みについて、議論を継続するべきだと思います」