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空っぽだった水筒 3歳の娘は通園バスに置き去りにされた

  • 2023年06月20日

ひとりバスに置き去りにされ、どんなに怖かっただろう。

どんどん暑くなっていくバスで、どれだけ苦しかっただろう。

そのとき、そばにいてあげられなくて、本当に、ごめんね。

3歳の娘を突然失った父親は、助けてあげられなかった自分を責め続けています。

(静岡放送局記者 平田未有優)

家族の主役だった千奈ちゃん

「千奈は明るくて元気で活発な女の子でした。もう、家族の主役でしたね」

娘の千奈ちゃんについて、父親の河本さんはこう語りました。

家の中でもとにかく活発で、小さな滑り台で遊んだり、トランポリンで飛び跳ねたり、毎日のように駆け回っていたといいます。

毎週行く近くの公園では、河本さんや妻が「千奈、帰ろう」と言わないと、いつまでも遊び続けているような子どもだったそうです。

でも、そんな千奈ちゃんは3歳で亡くなりました。病院に駆け付けた河本さんと妻の目の前にいたのは、汗だくでぐったりとした状態の千奈ちゃんでした。

ひとり置き去りにされた3歳の女の子

2022年9月5日、河本千奈ちゃんは、通っていた静岡県牧之原市の認定こども園「川崎幼稚園」の通園バスに約5時間にわたって置き去りにされ、重度の熱中症で亡くなりました。

千奈ちゃんの家は、この園の近く。通い始めたとき河本さんの妻が妊娠していたこともあり、バス通園を選びました。

千奈ちゃんは、バスに乗って通園することを、毎日楽しみにしていたといいます。

千奈ちゃんが亡くなった当日は、ふだんの運転手ではなく、理事長を兼任していた当時の園長が、急きょ運転していました。

園長は、園に到着した後、座席の後方を確認せず、千奈ちゃんは車内に取り残されました。

さらに教室では、千奈ちゃんの姿が見えないにもかかわらず、担任は欠席だと思い込み、両親への連絡を怠っていました。

「もう、プレゼントがもらえないのか」

千奈ちゃんが亡くなってから8か月がたった5月、父親の河本さんは、最愛の娘との思い出を話してくれました。

話を聞く中で見せてくれたのが、父の日に千奈ちゃんが河本さんに贈ったプレゼントでした。

丸く切った紙にかわいらしい顔が描かれていて、河本さんは「一生の宝物ですね」と、プレゼントを見つめながら言いました。

年少さんでまだ幼いけど、きれいに丸が描けてるな。

一生懸命描いてくれたのかな。

プレゼントを見るたび、千奈ちゃんが生きていたときのことを、まるで昨日のことのように思い出すといいます。

「普段は飾っているので、毎日眺めていますね。でも、『もう、こういうプレゼントがもらえないのか』って。つらい気持ちになりますね」

お姫様になりたかった千奈ちゃん

「プリンセスになりたいです」

2022年の七夕。千奈ちゃんが書いた願い事です。

ディズニー映画のお姫様のキャラクターが大好きで、河本さんと妻の前でよく、お姫様のまねをしてくれました。

シンデレラが、12時の鐘が鳴って急いで立ち去ろうとするのをまねて、スカートを両手で持ち上げて走ったり、髪の長いラプンツェルのように自分の髪を触ってみせたり。

一方で、こども園に通い始めて、千奈ちゃんの成長を実感することもありました。

通う前は、スーパーに行くとひとりで勝手にお菓子売り場に行ってしまうこともあった千奈ちゃん。

集団行動のおかげか、河本さんや妻の後をしっかりと付いて来られるようになりました。

食べ物の好き嫌いも少しずつ減っていき、スプーンやフォークを使わず箸で食べられるように、自分から「お箸ちょうだい」と言って、一生懸命練習をしていたこともありました。

しっかりとした“お姉ちゃん”

3歳になると、千奈ちゃんには新たな楽しみもできました。妹ができたのです。

妹がお母さんのおなかの中にいるときから、ずっと心待ちにしていました。

お母さんが出産を終えて自宅に帰ってきたとき、千奈ちゃんはお母さんではなく妹のところへ一番に駆け寄っていきました。

朝起きると、まずは妹の顔をのぞき込んでいた千奈ちゃん。河本さんが妹をお風呂に入れていると、心配そうに様子を見に来たこともありました。

「動いている、赤ちゃんが」

こう言って妹を膝に乗せ、ミルクをあげている千奈ちゃんは、しっかりとした“お姉ちゃん”になっていました。

「本当に、ごめんね」

河本さんは、今でもはっきりと思い出すことのできる千奈ちゃんの姿を思い浮かべるたび、助けてあげられなかった自分を責め続けています。

河本さんと妻が病院に駆け付けたとき、心臓マッサージを受けていた千奈ちゃん。

前髪は汗で濡れ、三つ編みにしたおさげも汗で湿っていました。

三つ編みはその日の朝、妻が結ったものでした。

また、約5時間もバスに置き去りにされ見つかったとき、千奈ちゃんは服を脱ぎ捨てた状態で、近くにあったピンク色の水筒は、中身が空になっていたといいます。

新型コロナの感染対策で、車内での飲食はしないよう指導されていた千奈ちゃん。

そんな中でも自分で考えて水分を取っていた娘のことを考えれば考えるほど、そばにいてあげられなかったことに、やりきれない思いを抱えているといいます。

ひとりバスに置き去りにされ、どんなに怖かっただろう。

どんどん暑くなっていくバスで、どれだけ苦しかっただろう。

そのとき、そばにいてあげられなくて、本当に、ごめんね。

河本さんは、毎日毎日、千奈ちゃんのことを思い続け、そして、謝り続けています。

「苦しんでいるときに、私たちに助けを求めていたと思うんですけど、それに気付いてあげられなくてごめんね、という気持ちです。水筒の中身が空だったと知ったとき、千奈は千奈なりに一生懸命考えて行動していたんだな、よく頑張ったなと。どれだけ苦しい時間を、バスの中で過ごしたのかなって想像すると、胸が苦しくなります。毎日、千奈のことを妻も私も考えていますし、悲しいという感情はもちろんあります。ただ、園に対する怒りの気持ちを感じて過ごしていることもあります」

「こんなにつらい思いは誰もするべきではない」

この事件をきっかけに国は対策に乗り出し、全国の幼稚園や保育所などのバス約4万4000台に、2023年4月から安全装置の設置が義務づけられました。

設置には1年間の猶予期間が設けられていますが、国は、夏場の熱中症を考慮して6月末までに設置するよう呼びかけています。

こうした動きについて、河本さんは、取材の中で次のように話していました。

「安全装置の義務化はすごくいいことだと思いますが、もっと以前から対応してくれていれば、これまでに亡くなった子どもも含めて命が失われずにすんだのではないかと感じています。行政を動かすために千奈が生まれてきたわけではないので、そこは本当に悔しいです。こんなにつらい思いは誰もするべきではないと思います」

千奈ちゃんが亡くなった事件が起きる前から、子どもが通園バスに置き去りにされて亡くなるケースは繰り返されてきました。

「こんなつらい思い」を誰もしないで済むようにー。

保育業界に関わるすべての人たちが、改めて自分のこととして千奈ちゃんの事件を受け止めてほしいと思います。

  • 平田未有優

    記者

    平田未有優

    2019年入局
    福岡局を経て、2022年から静岡局にて事件・司法担当

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