仙台の中心部にある「錦町公園」、昔は何かがあったの?
今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!
錦町公園は、NHK仙台放送局のおとなりにある広々とした公園です。
元は何かがあったのか?「大仏(おぼとけ)前通り」とは一体何なのか?
今回は調査員が調べてきました!
探索してみよう!
市民の憩いの場として、日々多くの人が利用している錦町公園。
投稿にあった「大仏前通り」を探してみると…
調査員 「あ、ありました。 『大仏前通り』とこちらに書いてありますね。」 |
調べてみると、錦町公園の南東側にあるのが「大仏前通り」でした。
どうして「大仏前通り」?
なぜ「大仏前」なのか、昔の地名や通りの名前に詳しい板垣 博さんにお話を伺いました。
板垣さんは、城下町仙台の歴史を伝える“まち歩きガイド”をしています。
調査員 「錦町公園と『大仏前通り』って、何か関連があるんですか?」 |
板垣さん 「実は錦町公園の辺りは寺町だったんです。 ちょっとこの古地図を見ていただけますかね。」 |
錦町公園周辺が描かれている、江戸時代中期の仙台城下絵図です。
現在の街並みと照らし合わせると、今につながる位置関係が見えてきます。
今の勾当台公園の場所にはかつて「定禅寺」というお寺があり、錦町公園周辺にかけていくつもお寺が並んでいました。
仙台城から見て北東の方角「鬼門」にあたり、“鬼門封じ”のためにお寺や神社が配置されたそうです。
板垣さん 「ちょうど錦町公園の中になるんですけども、『等覚院(とうかくいん)』というお寺があります。 こちらに大仏が置かれていたというところに、『大仏前』という名前の由来があります。」 |
その大仏の貴重な写真を、「宮城県史」で見ることができます。
等覚院にあったとされる大仏がこちら。
黒塗りのがっちりとした座像で、高さは8尺(2m40cmあまり)。
1679年に4代藩主・伊達綱村公が、奈良の大仏にならって造らせたと記述されています。
「大仏前」は通りだけじゃなかった!
等覚院があった現在の錦町公園の東側は、通りだけでなくこの辺り全体が「大仏前」と呼ばれていたそうで、そのことを示す辻標(つじひょう)も建っています。
板垣さん 「今ではすっかりビルだらけで(寺町の)面影もなかなか残っていない場所ですけど、大仏前の通りだけは江戸時代からずっと変わらず残っている場所なので、唯一江戸時代に思いをはせることができるとっても魅力的な場所なのではないかと思います。」 |
お寺のあとはこんなものが!
明治維新の後は藩の後ろ盾を失ったため、この地域にあった寺の多くはなくなりました。
大仏も仙台空襲の際に焼失したといいます。
その後の戦災復興事業で昭和31年に錦町公園が開園。
当時、敷地内には一際目立つ施設がありました。
「仙台市レジャーセンター」です。
レジャーセンターの元職員である小磯 弥生さんに、当時のお話を伺いました。
小磯さん 「スポーツだったり、いろんなレジャーを楽しむために作られた施設です。 小さなお子様からシニア層のかたまでにぎやかに使われていました。」 |
サークル活動や大会が開かれたほか、開館当初は仙台市科学館の前身となる「サイエンスルーム」というものも入っていて、学生や市民の実験室としても解放されるなど、多くの人々が集う場所だったそうです。
施設を利用したことのある人に、当時の思い出を聞きました。
「音楽を聴いたりとか、よく来てましたね。青春の場所だと思います。」
「いろんな催しがあったんです。ダンスパーティーとか。その頃はちょっとした催し物と言えばレジャーセンターでしたからね。」
今では日常の憩いの場として親しまれている錦町公園。
時代とともに姿を変えてきたこの場所には、歴史と人々の思い出が詰まっています。
さらにこんなものも!
現在の錦町公園がある場所には、大正から昭和にかけて仙台育英中学校もありました。
仙台空襲により校舎は焼失しましたが、公園内には「仙台育英学園発祥の地」という記念碑が設置されています。
安藤のひとこと。
安藤さん 「大仏前通りには辻標もありますし、こうして錦町公園にはレジャーセンターの建物を飾っていた彫刻なんかも残っているんですよね。 こうしたように、意外と歴史を知ることができる手がかりが色んな所にありますので、ぜひ地域の移り変わりを感じながら散歩を楽しんでみてはいかがでしょうか。」 |
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