かつての東北本線で、塩釜駅が始発終着駅だったのはなぜ?

今回のみやぎUP-DATEでは、こちらの投稿にお応えします!

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まずはこちらをご覧ください。

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最初の塩釜駅です。
実はこれ、明治時代のものです。

宮城に初めてひかれた鉄道が東北本線なのですが、塩釜駅はその最初の始発駅だったんです。
なぜ塩釜だったのか、調査してきました。


塩釜駅へ行ってみよう!

さっそく塩釜にやって来ました!
まず、父の代から塩釜駅の写真を撮影してきたという佐々木 昇悦さんにお話を伺いました。

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安藤さん
「こちらの塩釜駅が、上野から来る列車の終着点(始発駅)だった時代があるんですか?」
佐々木さん
「ありません。
ここはですね、一番新しい塩釜駅で、地元の人は『新駅』と呼んでます。」


今の塩釜駅は新しい駅で、元々の塩釜駅もそこを走っていた鉄道ももう存在しないというのです。


始発駅だった塩釜駅はどこにあったの?

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佐々木さん
「元祖 塩釜駅がここだったんです。」

佐々木さんに案内されてやってきたのは、仙石線の本塩釜駅です。
ここに最初の塩釜駅があったといいます。

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昭和50年代に解体されるまで、日本で最も古い駅舎でした。

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ここを走っていた宮城初の鉄道、東北本線。
後に塩釜線と名前を変え、市民に利用されてきました。

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戦後も大切に使われ続けた駅舎。
その駅に掲げられた看板には、最初の塩釜駅だったことが掲示されていました。


駅前広場では様々なイベントが行われ、町の中心としていつも賑わっていたといいます。

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佐々木さん
「私たち中学の修学旅行、東京に行くのにここから行ったんですね。列車も貸し切り。
色んなイベントがあったんです。いいところでした。」


この場所が選ばれた理由

なぜ塩釜が始発駅に選ばれたのか。
調査を進めるうちに、その理由を知っている人が見つかりました。
塩釜市教育委員会の阿部 光浩さんです。

選ばれたのには、塩釜に欠かせない「あるもの」が関係しているといいます。

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阿部さん
「この港と鉄道と、すごく関係してるんです。」

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当時、鉄道建設の最大の課題は大量の資材をどう運ぶか、でした。
舗装道もほとんどない時代、鉄道会社は船で資材を輸送し、塩釜から南へと鉄道を建設していったのです。

阿部さん
「塩釜で資材を陸揚げして運べば、どんどん簡単に工事が進められるだろうといういことで、物資を運んだんですね。」

そして、数ある港から塩釜が選ばれたのには、ある偶然も関わっていました。
当時、明治政府は塩釜から15キロ離れた東松島市の野蒜地区に東北初の国際港を作り、鉄道の資材を荷揚げする計画だったのです。

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ところが建設中、台風が直撃。
明治政府は壊滅的な打撃を受けた港を放棄してしまいました。

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そこで代替地として選ばれたのが塩釜でした。
住民が協力して自ら工事を行い、港の整備をしていたからです。

偶然作られた塩釜駅。しかし鉄道輸送を目的に各地から船が集まるようになり、塩釜を東北有数の港町にしていったのです。


安藤のひとこと。

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安藤さん
「明治に入って塩釜港は一時廃れそうになったということなんですが、その時危機感をもった住民が自ら港を整備しようという動きがあったことで、駅ができ町が発展していったということなんですね。
この住民の熱意、これが今につながる塩釜の発展これを形作っていったんだなと感じました。」





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