未来への証言 お経を上げ続けた日々

(初回放送日:2024年3月11日)
※NHK仙台放送局では震災伝承のため被災者の証言の音源を保存・公開しています。

山元町にある普門寺の住職・坂野文俊さんの証言です。
海からおよそ500mの距離にある普門寺は、津波に襲われて全壊。隣接するお墓もすべて倒されました。
当時48歳だった坂野さんは外出していて無事でしたが、およそ60人の檀家が亡くなりました。

▽証言はこちらから(音声が再生されます)▽

黒住)最初にお寺を目にした時はどんな状況でしたか?

坂野さん)建物自体はまだ建っていたんですね。だだもう外壁とかは全部破れてというか壊されて。いろんな流されてきたもの、松の木とか、隣の家の屋根だったりとかが本堂内とかすべてに入っていて、うちの本堂内にあるものが何もない状態ですよね。

黒住)お墓の状況はいかがでしたか?

坂野さん)毎日ですね、遺体が見つかるたびに電話が来て、60人亡くなっているので。もちろん自分の衣も何もないわけだから、どうしようっていう。「衣ないしすぐに行けない」って言ったら、向こうは自分の身内が亡くなっているわけだから、その時に檀家さんに逆に怒られたのは覚えているんですよ。そこでハッと気がついて、もうはってでも行かなきゃなんないっていうので近くの先輩お寺さんの所に行って「衣くれ」と。衣もらって着替えて(供養に)行った記憶はありますね。

黒住)お経を上げる先にはどうやって移動というか行かれていたんですか?

坂野さん)最初は、ガソリン入っているときはよかったですけれども、1週間後だったかな、もうなくなってからは自転車でした。リュックに衣を入れて、それ背負って、自転車で葬祭場行ったり役場に行ったりして、燃料がない時期はそれでやっていましたね。結構な距離を走っていたんだろうな。

坂野さんは、柱と屋根が残った寺を自力で修復。家族を亡くした檀家の一人がつぶやいた「先祖の墓がなくなっては生きる希望がない」という言葉に奮起し、震災直後から墓の復旧にも取りかかりました。

坂野さん)お墓に、がれき乗り越えて危ない状況で行くのではなくて、獣道みたいなのでもいいから作ってあげて「そこがあんたの家のお墓だよ」って。「そこまで行って近くでお線香あげられるよ」って。それが出来たら何か役に立つのかな。ボランティアさんとかが来て一緒にお墓を片づけて、クレーンを頼んで石をある程度戻すわけですね。朝の6時ぐらいにここに来て、帰りは(午後)5時とか6時っていうような生活がずっと続いていたので、そんな感じでしたね。

黒住)再生されて。ここにお墓が戻されて、そういう状況になってから檀家さんからはどんな反応が多かったですか?

坂野さん)そこからは明るくなっていきましたよね。自分たちは苦しいけれども、少しでも先祖は守れたというので、前向きに進んでいくような環境にどんどんなっていったっていうところですね。

黒住)そういった経験は坂野さんにとってはどんな経験でしたか?

坂野さん)まさかここにこんな津波が来ると思わなかった。悲しい状況を見てきて、二度と同じ光景を私は見たくないし、たぶん被災された方々みんな同じだと思うんですよね。私も何か、特に坊さんだから無駄にしたくないし、生かしたいので、そのためにももうその命の大切さとか災害に対する防災意識とか伝えてやっていきたいと思ったところはありますね。