東北ココから「"同じで違う"傷を、共に生きて」

仙台市蒲生(がもう)北部地区。
工場ひしめく土地にポツンと建つ、海を望む不思議な小屋があります。
そこには、色とりどりの花が植えられた花壇や、手作りの畑。大きな観音像も建っています。
小屋の主である笹谷由夫さんと、その妻・美江子さん。
ふたりとの出会いは、夫婦や家族について考える時間でした。

(ディレクター倉持大地)


「夫婦ってなんだろう?」。ことし30歳になる私の最近の疑問です。
パートナーに出会い、「好き」と思ってつきあって、そして結婚…?でも、その「好き」という気持ちはそんなに続くのかな?と…思うのです。私の両親は離婚をしていますが、そうした状況もまた、疑問を加速させます。はかない「好き」だとわかっていながら、なぜみんな「共に人生を歩む」という大きな決断をするのだろう、と。
そんな時に出会ったのが笹谷さん夫婦です。

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工場に囲まれた小屋「舟要洞場(しゅうようどうじょう)」

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舟要洞場には花が咲く

2人に出会ったのは、蒲生北部地区。“日本一低い山”である日和山を有する沿岸の土地です。
かつては、3092人が暮らしていましたが、東日本大震災による津波の被害をうけて、災害危険区域に指定されました。新たに住居を立てることができなくなり、いまは民家に代わって見渡す限り工場が立ち並ぶ…そんな場所。

そこにポツンとある小屋が、「舟要洞場」です。

主である笹谷由夫さん(77)は、震災後にその小屋を建て、以来、毎日欠かさず通っています。ちょっと不思議な小屋の名前「舟要洞場(しゅうようどうじょう)」は、2人の息子、舟一さんと要司さんの名前からとりました。

震災前、ここには2人との生活がありました。

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由夫さんの“おつとめ” 毎日仏壇に手を合わせる

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舟要洞場の手入れはすべて自分で行う

由夫さんがここに毎日通うのは息子たちへの「懺悔」のため、と語ります。

津波のときに あのとき こうすれば良かった、こう言えば良かったとか。
どうしても、わが身に振り返ってくる。
だから そうしてくると、俺たちが殺したんじゃないかと。

毎日、舟要洞場に作った仏壇に手を合わせ、すこしでもにぎやかにしようと花を植える。
それを自らの「つとめ」と呼び、舟一さんと要司さんのため、12年続けてきました。

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美江子さん 家にこもりがちの生活

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ちりめん細工は「子どもたちの健康を願って作る」と聞いて始めた

妻の美江子さん(64)も、そんな夫の「つとめ」を応援しているかと思いきや・・・

自分の逃げ場を作っているようなものだっちゃね。偽善者みたいで。
いまさら。生きているうちにかわいがればよかったべや。
だってキャッチボールすらしてくれなかったからね、お父さんは。

美江子さん曰く、由夫さんは、震災前、仕事ばかりで家にもあまりおらず、気難しい性格のため、子どもたちと一緒に時間を過ごすことはほとんどなかった、といいます。
震災後、毎日蒲生に出向く由夫さんと異なり、美江子さんは家にこもりがちに。
出来るだけ人に会わず、息子たちを思ってちりめん細工をつくる日々を送っています。

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笹谷美江子さん(左)と由夫さん(右)

昔かたぎで気難しかった夫と、おちゃめでいつも息子たちとふざけあっていた妻。
子どもと重ねた時間が異なるが故に、“同じで違う傷”を抱えた2人。
この12年、離婚を考えたことさえもあったといいます。
今も、時々「出ていけ!」と、こちらがヒヤッとするような会話もあります。
でも、2人の間には不思議な結束感があります。

…もしかして、これが夫婦の絆ってもの?

あるとき、震災後のふたりの歩みをお聞きするなかで、「絆」という話になったら、2人が口をそろえるように「絆って言葉が大嫌い」とのこと。そこでは、意気投合する、ふたり。

番組では、夫婦の12年の歩みを確かめながら、そのふたりの姿を記録しています。
荒っぽい言葉で口喧嘩をするふたりに、「おっとう!おっかあ!いいかげんにしろ!」と、笑って見守る舟一さんと要司さんを思い浮かべながら制作しました。