もう1つの唐津くんち?! 学生が受け継ぐ100年の歴史
- 2023年11月30日
佐賀県を代表する秋祭り「唐津くんち」は、毎年11月2日から3日間、佐賀県の唐津市で行われ、ユネスコの無形文化遺産にも登録されています。そんな「くんち」が、唐津から遠く離れた神奈川県でも行われています。唐津市出身の学生たちが受け継ぐ〝もう1つの唐津くんち〟を取材しました。
(NHK佐賀放送局・記者 藤本拓希)
神奈川県の「赤獅子」
巨大な14台の曳山(やま)が町を駆け抜ける「唐津くんち」。
期間中に唐津市を訪れる人は50万人とも言われ、佐賀県を代表する祭りの1つです。
その唐津市からおよそ900キロ離れた神奈川県川崎市に〝もう1つの唐津くんち〟を受け継ぐ寮があります。
寮の玄関に入るとまず目に飛び込んでくるのが、唐津くんちの曳山の1つ「赤獅子」です。
この寮は実は唐津市出身の大学生を中心に受け入れており、毎年10月には地域の祭りで赤獅子を引いています。
寮で「唐津くんち」が始まったのはおよそ100年前。
飛行機や新幹線がなく、なかなか帰省できなかった時代に、学生たちがなんとか地元の祭りを楽しみたいと曳山を自作したのがきっかけでした。
「くんちっ子」だった女の子
記者が取材に入った祭りの前日、寮では本番に備えて学生たちが赤獅子をきれいに拭き上げていました。
その中で、ひときわ丁寧に拭き掃除をしていた大学1年生の増本花海さんです。
生まれ育った唐津市から上京し、寮を初めて訪れた際、赤獅子を目の当たりにして驚いたといいます。
「想像以上に本物の赤獅子と似ていて、すごく大きくてびっくりしました。
唐津じゃないのに赤獅子がいるのが新鮮でした。
遠い神奈川でも地元を感じられてうれしいです」
父親が唐津くんちの曳き子だった増本さん。
その影響で幼いころから生粋の「くんちっ子」として育ち、小学1年生から曳山を引いていました。
しかし唐津くんちは本来、“男の祭り”。
地元では小学6年生を最後に女の子は参加できない決まりになっていました。
「曳山を引く方が楽しかったので、参加できなくなったときはさみしかったですね。
祭りは地元の唐津に誇りを持てる瞬間で、一番楽しい時間でした」
中学生からは祭りを見る側に回りましたが、かつて使っていたはちまきは今でも大切にしています。
「進学で神奈川に引っ越してきましたが、一緒に持ってきました。
捨てようと思ったことはないです。これかれもずっと持ってると思います」
〝もう1つの唐津くんち〟スタート
そして迎えた祭り当日、増本さんは小学生以来、6年ぶりにくんちの衣装に袖を通しました。
気分は高まりますが、衣装に身を包むのは久しぶり。
頭に巻くはちまきの角度がなかなか決まらず、何度もやり直していました。
「はちまきはなかなかうまくいかなかったですが、まあこれでいいかなと思います。
くんちの衣装は久しぶりで、単純にうれしいです」
寮の正門では赤獅子が台車の上にくみ上げられていました。
その上に学生たちが乗り込み、笛と太鼓、そして鐘からなるお囃子を奏でました。
住宅街に響く、唐津くんちのお囃子。
学生と地域の人たちが協力して綱を引くと、赤獅子はゆっくりと進み始めました。
増本さんも久しぶりに曳山の綱を手に取り、力いっぱい引いていました。
およそ100年続いている〝もう1つの唐津くんち〟。
見物人の中には、小学生のときに参加したことがあるという男性の姿も。
近くに住むという男性は当時、寮で暮らしていた学生と一緒に練習し、お囃子の鐘をたたけるようになったといいます。
大人になったいま、楽しかった祭りを自分の娘にも体験させようと、赤獅子を見に来ていました。
「大学生のお兄ちゃんと一緒に遊んでもらって楽しかった思い出があります。
まだ本物を見たことがないので、いつか唐津へ行って、実物を見たいなと思います。
もしそこで、当時の大学生のお兄ちゃんに会えたら最高ですね」
増本さんも久しぶりのくんちを全力で楽しみました。
「自分が曳山を引いていたことを思い出したし、
地元の良さを感じることができて改めて唐津が好きだなと思いました」。
「くんちっ子」の学生達が受け継いできた“もう1つの唐津くんち”。
唐津と神奈川をつなぐ懸け橋として、今後もその歩みを続けます。
取材後記
寮がある川崎市麻生区は坂が多い場所です。住宅街を進む赤獅子の全身を画角に納めようとすると、自然と坂の上から曳山を見下ろす形になりました。きれいな列をなしてゆっくりと進む曳山と曳き子たち。唐津市に縁もゆかりもない、地域の子どもや大人たちが、学生と声を合わせて赤獅子を引く姿は圧巻でした。
綱を持って歩く子どもの中には、唐津くんちの曳山がプリントされた服を着た男の子も。両親に声をかけると母親の女性は「唐津の出身なんです」。住んでいるのは横浜ということでしたが、インターネットで寮の祭りを知って足を運んだといいます。「まさかこんな所で赤獅子が見られるとは」と笑顔で話していました。
私も唐津市の出身です。そして取材した学生寮は、かつて東京の大学に進学した私が4年間を過ごした思い出の場所でもあります。記者となったいま外側から祭りを眺めると、唐津の文化が神奈川の地で根づき、愛されている縁に改めて驚かされます。寮の祭りは、入居する学生の減少やコロナ禍による中断を経て、4年ぶりに復活した経緯もあります。参加する人たちの笑顔を見ながら、この祭りが学生たちのものではなく、地域が1つになる伝統になっていることを実感しました。これからももう1つの赤獅子がこの地域を1つにするシンボルとして受け継がれていくことを願っています。