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“アメリカ統治下から続く戦い” ある牧師が語ったのは

  • 2024年03月23日

アメリカ統治下で住民の願いを代弁するため、ある勇敢な行動に踏み切った男性がいます。戦いを続けていくのは沖縄のありようだと語る男性に、その理由を聞きました。

(NHK沖縄放送局 内原早紀子キャスター・渡辺考ディレクター)

軍国少年からキリスト教徒へ

平良修さん、92歳です。沖縄市の自宅で、子ども時代の写真などを見せてもらいながら、話をうかがいました。

1931年に宮古島で生まれた平良さん。軍国主義的な教育を受けながら、小学校時代を過ごしました。

戦争に向かっている時代。すばらしくすぐれた軍人になるということが大きな価値でした。教師の指示に従ってその言いなりになって、軍隊式の命令でもって下級生を学校を全体を整えていく。小さな軍隊であるような雰囲気を学校そのものが持っていました。

沖縄戦が迫る中、平良さんは台湾へ疎開。沖縄以外から来た人もいる中で、より日本人らしく振る舞う気持ちが強まりました。

完璧な日本軍人魂を持たないと、当たり前の日本人として扱われない。琉球人ということがありますから。平均的な日本人が恥ずかしくなるくらい立派な大和魂を持った日本人にならないといけない、「沖縄はすごいじゃないか」と言われるようなものになりたかった。なることが自分たちの生きる道でした。

高校3年のときに洗礼 キリスト教徒の道へ

しかし、日本は敗戦。軍国少年として育った平良さんのアイデンティティーは大きく揺らぐことになりました。何を信じて生きていけばいいのか。戦後、ふるさと宮古島に帰った平良さんは、友人から教会に誘われたのをきっかけに、高校3年のときに洗礼を受け、キリスト教徒としての道を歩み始めました。

自分たちが日本の学校を通して、日本の政府を通してたたきこまれていた価値観は間違っていたということの発見ですよ。ここに全く新しい価値観が示されたことに対する驚きがありましたね。私はこれこそが、私が担うべき新しい価値観だと分かりました。

高等弁務官就任式での行動は

その後、東京の神学校を終え、牧師となって赴任したのはコザの街。嘉手納基地のゲート近くにある上地(じょうち)教会でした。当時、コザでは、沖縄の人たちが事件や事故の被害にあっても泣き寝入りを強いられるなど、アメリカ軍基地の様々な矛盾が露呈していました。

平良さんが赴任した当時のコザの街

その中で平良さんは、自身の思いを貫くことの大事さを痛感していました。アメリカ本国では、黒人の人権を求める公民権運動が広がっているのを聞いていたからです。こうした中、平良さんの運命を大きく変えた出来事がありました。

ちょっとおかしいんじゃないの。これでいいのかなといったふうに違和感を感じるようになった頃に高等弁務官の就任式があったんだと思います。

1966年11月2日、キャンプ瑞慶覧の中にあるフォートバックナー劇場。その日、行われていたのは、沖縄を統治する最高権力者、第5代のアンガー高等弁務官の就任式。地元を代表する牧師として壇上にあがり、英語で祈りのことばを述べることになった平良さんは「最後の高等弁務官となり沖縄が本来の正常な状態に回復されますように切に祈ります」と述べ、沖縄の人たちが心の中に抱え続けて来た願いを最高権力者の前で突きつけたのです。

沖縄のすべての注目が、神経が、そこに集中しているような時間、場所ですよね。そこでアメリカ側の思いに反してこの高等弁務官が最後の高等弁務官であるようにと祈りをしたんですよ。気持ちは安らかでした。大変なことをしでかしている危機感というか恐怖感はありませんね。どのように響いたかということは彼自身に反応を聞いたことがないので分かりませんが、かなり複雑な気持ちだったでしょうね。

戦いを続けていくのは沖縄のありよう

「心をうつ牧師の祈り」。「住民の願い」。平良さんの祈りは、県内のみならず県外でも大きな反響がありました。

普天間基地のゲート脇でゴスペルを歌い続ける

平良さんはそれ以来、アメリカ軍基地に不安を抱え、反対する人たちと共に歩んできました。その活動は半世紀以上にも及びます。毎週月曜に、普天間基地のゲート脇で行っているゴスペルを歌う会もそのひとつです。基本的な人権を求めた黒人たちの象徴になっていた曲を歌い続けています。

沖縄は本当に大きな国内的な国際的な勢力の中に巻き込まれていつも痛い思いをしてきました。ただ沖縄には痛めつける勢力に対する怒りがあるんです。戦いを続けていくということは沖縄のありようだと思います。背負っていくしかない、私はウチナーンチュだから。

  • 内原早紀子

    キャスター

    内原早紀子

    石垣島出身 現場に行って取材することに生きがいを感じています

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