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辺野古で課題となる石材の調達先 沖縄戦体験者の思いとは

  • 2024年01月19日

国がアメリカ軍普天間基地の移設先になっている名護市辺野古沖で、代執行に伴う工事に着手してから1週間あまりとなります。現場では海に石材が投入される様子が断続的に確認されていますが、この埋め立てをめぐっては調達先も課題となっています。

(NHK沖縄放送局記者 上地依理子)

工事着手と同じ日に

防衛省が名護市辺野古沖で工事に着手した1月10日。那覇市の県庁前の広場では、長年にわたり沖縄戦戦没者の遺骨収集を続け「ガマフヤー」として知られる具志堅隆松さんが、ハンガーストライキを始めました。

「ガマフヤー」具志堅隆松さん

辺野古沖の埋め立てでは、沖縄防衛局が沖縄戦の激戦地だった本島南部を採取予定地のひとつにしていて、糸満市米須で琉球石灰岩の採掘に向けた作業が行われています。

具志堅さんは、いまも住民や兵士の遺骨が見つかっているほか、本島南部の石は戦後、戦没者の魂がこもっているとして遺族に届けられていたことから、アメリカ軍の基地を作るために使うのは、戦没者に対する裏切りで冒とくだと主張しています。

その上で、防衛局には本島南部を採取予定地から外し、玉城知事には防衛局に本島南部での計画を撤回させるよう全力をあげることなどを求めました。

具志堅隆松さん
血と戦没者の魂を仕込んだ御霊石を国は海へ捨てようとしています。国は戦没者の慰霊に努めるとしてきたが、その行為をみずから否定することにほかなりません。

採掘現場は沖縄戦の激戦地

糸満市米須の現場では、業者が搬出道路を建設し、山の一部が切り崩されている状態が確認できます。そして搬出道路の地下には、シーガーアブと呼ばれる洞くつが広がっています。沖縄戦の際に、避難していた住民がアメリカ軍から油を流し込まれ攻撃を受けたと記録されている場所です。また、日本軍の主力部隊の有川主一旅団長らが自決した場所でもあり、すぐ隣には慰霊碑が建てられています。

搬出道路の地下にシーガーアブ(黄色部分)が

そして、採掘場所の周辺には、沖縄戦のあと多くの戦没者の遺骨が野ざらしになっていて、およそ3万5000人の遺骨を集めて作られた「魂魄の塔」が、戦争の悲惨さを伝えています。

沖縄戦体験者の思いは

米須地区に暮らす大屋初子さんは、長年にわたって、「魂魄の塔」のそばで花を売り続けてきました。

沖縄戦体験者 大屋初子さん

沖縄戦当時は9歳で、砲弾が飛び交う中、家族や親戚あわせて11人と一緒に米須地区を逃げ回ったという大屋さん。地元の戦跡をきちんと残してほしいと考えています。カミントウ壕と呼ばれる洞くつで見たことが今も忘れられないからです。

門中墓には負傷した兵隊さんがたくさんいて、夜になってカミントウ壕に移動してきました。カミントウ壕もいっぱいでしたね。上のほうだったら空いているけど、爆弾が落ちたら危ないよと。でも入るところがないさ。なんとか入って、そしたらうちのお父さんが遅れてきて、また家族が一緒になって。

とってもお水が飲みたくて泣いたんです。壕にも水があったみたいだけど、この水は命の水だからあげられないよって。それで、仕方なくお父さんたちが壕のそばで水を取ってきたら、親戚のお父さんがアメリカ軍に気づかれて、壕の中に弾を入れられて。うちのお父さんは先に入ったから命拾いしたわけ。あとのお父さんは即死。

壕に避難民がいるっていうことは分かるから。朝になったらアメリカ兵が「デテコイ、デテコイ」ね。何十回も何百回も声かけてくるから。ただ、前に友軍の兵隊さんが2、3名くらいいて、この人たちが出さないわけよ。あるおばあちゃんがね、「アメリカは声かけているのに、出た方がいいんじゃないか」って。その時に出ていたらね、みんな命はあったわけよ。出ないからアメリカも手榴弾入れて。それで家族ぐるみで自決が始まったわけよ。

おばあちゃんが「早く自分たちもやってよ」とお父さんにせがんでいるわけ。私は「私は死なないよ」とせがんだわけ。私は死なないよって泣いたからね、うちのお父さんが、私が長女だから「初子の言うことを聞いて明かりを見てから死んでもいいか」と言って出てきたんですよ。

大屋さんは「壕の中で自決があったときの血の生臭さはとても記憶に残っている」と話します。

そのカミントウ壕。実は埋め戻され、いまは見ることができません。大屋さんは、工事の影響で、シーガーアブも崩れて失われてしまうのではないかと心配しています。戦争のあとが残されている場所がなくなると、沖縄戦の体験を継承できなくなるのではないかと考えています。

大屋初子さん
戦争のあとが残されている場所はとても大事です。これから何があるか分からず、いつも平和とは限らない。孫やひ孫たちに戦争で亡くなった人たちのことを伝える方法が失われるので、そのまま置いておいた方がいいのではないか。

  • 上地依理子

    NHK冲縄放送局 記者

    上地依理子

    2021年入局。
    現在は県内の文化やスポーツなど幅広く取材。

    上地の読み方は「うえち」ではなく「かみじ」です。

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