【新人Dが行く】謎の石碑の正体は?調査で深まる知識と絆
- 2023年09月06日
視聴者のみなさんの疑問に答えるもぎリサーチ、今回は若手職員3人で調査してきました。
疑問はこちら!
「京橋のたもとの花壇のなかに岡山市役所の石碑があります。
書いてあることがわかりません。何に使っていたものですか?」
調査していくと、歴史的に意味のある興味深い事実がわかりました。
(岡山局ディレクター 溝口悠之介・下村えりか・岡夏帆)
謎の石碑、どこにある?
質問をくれた江田守さんに、石碑まで案内してもらいました。
それぞれの面には「迷子」という文字、「たずねる」「しらせる」と思われる言葉、
そして「明治25年に岡山市役所が建てた」ということも刻まれています。
そしてもう一つ気になる点が、石碑上部にあるくぼみ。何に使われていたのでしょうか?
調査開始!
まずは岡山市役所に調査。
石碑に文字が刻まれているので、何か知っているはずと期待したのですが…
石碑が建てられた明治25年は今から約130年前。
当時石碑をたてた課はもう存在しておらず、資料も残っていませんでした…。
そこで、本腰を入れ担当スタッフ全員で各地に電話取材。
すると…。
なんと石碑についての情報があるという方を発見!
やってきたのは岡山県立図書館
この石碑はいったいなんなのか、佐藤さんが資料からわかることを教えてくれました。
石碑は迷子を捜すための情報交換として使われていた「迷子しるべの碑」であったことが判明!
では、くぼみはどう使われていたのでしょうか?
ここまでの調査をまとめます。
石碑の名前は「迷子しるべの碑」。
各面には「迷子しるべ」「たづぬるかた」「しらするかた」と書かれていることが判明しました。
使い方は、石碑の上部の穴に迷子について書いた紙や木札をおいて情報交換をするというものでした。
迷子が多かったのはなぜ?
当時、石碑のある京橋周辺は町の人の暮らしを支えるお店でとてもにぎわっていたといいます。
当時は船着き場もあり、岡山の玄関口としても栄えていた京橋。
多くの人々が行き交うなかで、親とはぐれる子どもも少なくなかったため、石碑が建てられたと考えられます。
謎の石碑を調査してみると、当時の人々の暮らしや町の歴史を垣間見ることができました。
質問をくれた江田さん、そして調査に協力してくれたみなさま、ありがとうございました!
担当ディレクターのひとこと
はじめて担当した”もぎリサーチ”。
歴史の謎を紐解いていくことがとても楽しかったです!
迷子しるべから当時の京橋のにぎわいが見えたときは感動しました!
130年以上前の人々はどのような思いで石碑に木札をいれていたでしょうか…。普段何気なく見過ごしていた石碑が、とても重要なものだと分かって勉強になったでごわす!!
最初に石碑を見たとき、くぼみはただのデザインでは?と思っていました…。歴史を知ることで見慣れた町も新たな視点で見ることができ、とてもおもしろかったです!