ページの本文へ

NHK岡山WEBリポート

  1. NHK岡山
  2. 岡山WEBリポート
  3. 無我夢中 母に手を引かれ避難した岡山空襲 戦時下の写真

無我夢中 母に手を引かれ避難した岡山空襲 戦時下の写真

〜まちチェン〜昭和20年ごろ 岡山市内山下
  • 2023年07月14日

新感覚の定点観測「まちチェン」
案内役は岡山の街が大好きな“まち子”と岡山の路地を知り尽くした“ロジじい”
今と昔の写真を見比べて、つかのまのタイムスリップを味わってください


ロジじい

昭和20年ごろに岡山市内で撮影された写真じゃ
岡山市の前坂匡紀さんが提供してくださった

バケツを持つ人の姿も
まち子

ハシゴをかけて何をしとるんじゃろうか?

アメリカ軍の空襲にそなえて消化活動の訓練をしとるんじゃ
空襲が激しゅうなったこの時期は各地でこうした訓練が行われとったそうじゃ

「広告社」と書かれた看板 新聞の広告を扱う会社だった

今はどうなっとるかというと・・・

現在の岡山市北区内山下一丁目

同じ場所に会社があるな

さっきの会社が同じ場所で事業を続けとるんじゃ
今はタウン情報誌などの出版も手がけとる
話を聞きにお邪魔してみよう

前坂匡紀さん

写真を提供してくれた前坂さんじゃ

昭和15年生まれの前坂さん お父さんが会社を立ち上げたそう
前坂さん

この建物で私は寝ていたんです
事務所兼住宅のような感じでした

指で示した先には・・・
前坂さんの母親の姿が

私の母親が写っています
みんなでバケツリレーをしているんですね
バケツリレーをやったり、竹槍で訓練したり・・・
当時の日本の対応はそういうものだったんですよね

この写真が撮られた後の昭和20年6月29日の未明
アメリカ軍のB29が岡山の市街地に10万発の焼い弾を落としたんじゃ

岡山空襲じゃな

当時5歳だった前坂さん 母親に連れられて避難した記憶が

母親が両手で私と3歳の弟の手をひいて
背中に1歳の弟をおぶって「逃げなきゃ」と

焼い弾の降るなか京橋のたもとに逃げ込んだそう

もう無我夢中
たまたま上から何も当たらなかったから逃げられた

空襲直後の岡山市  前坂さんが暮らしていた場所も焼け落ちた

自分が暮らしていた場所が何もなくなって焼け野原
「あの辺りが我が家だったんだな」と思うと何とも言えない気持ちですよね

会社はその後同じ場所で事業を再開
前坂さんが父親の跡を継ぎ今日に至るそうじゃ

仕事場には今も写真が

いつも見守ってもらいたい
母親が私たちを一生懸命支えてくれたわけですから
こういう時代があってこそ今日があるんだということで
そういう思いを忘れないようにするために写真を飾っています

写真を見ながら「改めて戦争だけは絶対にしてはいけない」と話してくださった前坂さん
貴重な写真とお話をありがとうございました


 

ページトップに戻る