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自分らしく生きる トランスジェンダー・倉堀翔さんの思い
飯尾 夏帆アナウンサー
2023年03月24日 (金)
「嘘をつかずに生きていれば、こんなにも素晴らしい人生を歩むことができますということを、私の人生が証明している」
去年(2022年)1年間の中で、私が最も心を打たれた言葉です。
お話を伺ったのは、倉堀翔(くらほり・しょう)さん(35[)。大分市出身のクラリネット奏者です。
別府アルゲリッチ音楽祭若手演奏家コンサートなど、県内各地でコンサートの依頼が相次ぐ、いま注目の若手演奏家です。
倉堀さんは、「出生時に割り当てられた性別」と、「性自認(自分の性別をどう認識しているか)」が異なる“トランスジェンダー”。出生時に割り当てられた性別は、男性。11年前から 女性として生きています。
ただ、そう決めるまでにはさまざまな困難がありました。
自分らしく生きる倉堀さんに、その思いを聞きました。
(1) 自分の“性”に違和感を覚えた少年時代
倉堀さんが自分の性に違和感を覚えはじめたのは、保育園のとき。男の子用の青色の上着を着せられるたびに、
泣いていたといいます。
成長するに従い男女の区別をしっかりつけられるようになると、違和感は、自分が女性だという意識にはっきりと形を変えました。
(倉堀さん)
制服(学ラン)に関してはどうしても許せないというか、私は男じゃないっていう芽生えがそこで出てきました。
(飯尾)
同級生からからかわれり、嫌なことを言われたりした経験はありましたか?
(倉堀さん)
あります。いっぱい。オカマは日常茶飯事。
ショックだったのは、友達の親御さんから、「お前はそんなやつと仲いいのか、家に来ることも許されない」とか、
「遊びに来るな」みたいな。
生きているだけで批判されるんですよ。普通に生きているだけだと思っていることが、
周りと違うことで、批判されて面白がられて…。
(2) クラリネットと恩師との運命の出会い 「音楽は平等」
そうした辛さを忘れようと打ち込んだのが、クラリネットでした。
そのクラリネットは、人生を変える出会いを連れてきてくれました。
山本勝彦(やまもと・かつひこ)さん。
倉堀さんが通っていた大分雄城台高校で吹奏楽を教えていました。
バイオリン奏者としても活動していた山本先生の指導は、音楽に対して一切妥協のないものでした。
(倉堀さん)
「音楽をする芸術家は絶対に差別はしてはならないし、音はみんな平等です」と。
楽器の奏者として成長するのではなくて人として成長してくださいっていうのを、直接言われたわけじゃないけど
そこを私は感じ取れたんですよね。
指導を受け始めてから半年が経ったある日。
倉堀さんは山本先生に「文化祭で演奏に合わせてダンスを披露してほしい」と声をかけられました。
文化祭の様子 (水色の服を着ているのが倉堀さん、白いタキシードが山本先生)
倉堀さんは、200人ほどの生徒が見守る中、その大役をやり遂げました。
その時に山本先生にかけられた言葉が忘れられないと言います。
(倉堀さん)
「君はキャラクターが素晴らしい。個性に満ち溢れているから人を幸せにできる」と言われて。
普通の人だったら「恥ずかしい」「嫌です」となったと思うんですけど、私はすごく嬉しくて、
私を1人の人としてちゃんと個性を認めてくれて、見てくれているんだということが分かる場面だったんですよね。
個性を認めてくれた山本先生。しかし、その別れは突然でした。倉堀さんが2年生の冬、病気でこの世を去ったのです。
(倉堀さん)
私も、誰からも尊敬されて慕われて一緒に音楽ができる先生になれたらなっていう夢も与えてくれた。
過ごした年数は1年ちょっとしかないんですけど、一生大切になるようなことを教わったなと思います。
(3) 憧れの教師の道へ その時、偽りの自分に気づく
山本先生の背中を追って、音楽教師の道に進んだ倉堀さん。
現在は演奏家としての活動の傍ら、大分高校で音楽の授業を担当。
県内各地でクラリネットのレッスンも行っています。
取材にうかがった日、休み時間中にもかかわらず、生徒たちが倉堀さんのもとに集まってきました。
生徒たちに、倉堀さんはどんな先生なのか聞きました。
女子生徒
「めっちゃ面白い、めっちゃ優しい、何しても怒られない(笑)」
男子生徒
「いつも明るくて、みんなに音楽の授業を楽しんでもらおうという感じがすごくするいい先生だなと思います」
新人教師時代の倉堀さん
今でこそ、ありのままの自分を出して教壇に立っている倉堀さんですが、教師として生徒に教え始めた頃は違いました。
男性の服を着ながらも「自分は女性なんだ」という思いが、言葉や仕草などに現れていたのです。
その姿を見た生徒から心ない言葉を浴びせられ、夢だった教師を1年余りで辞める決断に至りました。
(倉堀さん)
「話し方が気持ち悪い」とか、「もうちょっと男っぽく喋ろっちゃ」と。
「男なん?女なん?」という生徒の純粋な質問に対して、自信を持って女ですと答えることができない自分がいたんですよね。
しかし、生徒の言葉の中から気付かされたこともあったと言います。
(倉堀さん)
そうか、と思ったんですよね。私、いま嘘ついて生きているんだって。
嘘をついている人に、信頼して私の授業受けてねと言っても説得力がないじゃないですか。
そのとき、自分らしく生きる決心をした。女性として生きようって。
(4) ありのままの自分で生きる
持っていた男性用の服を全て捨て、女性用の服を人生で初めて購入。
メイク道具も揃え、女性としての人生をスタートさせました。
今は「メイク道具集め」が趣味だという倉堀さんに、自分にとってメイクとはどんなものなのか聞きました。
(倉堀さん)
(メイクを)しない日はないと思います。それが私。
結局は自己満足でしょうけど、自己満足が生きる勇気をくれたり気力になったりするんだったら、
自己満足でもよくない?と思う。
山本先生から与えられた夢を諦めたくないと6年前、再び教職に復帰。
おととし(2021)、クラリネットの全国コンクールで、教え子を2位に導きました。
そうした活躍を恩師の山本先生に見てほしかったと感じています。
倉堀さんに、「もし今先生に会えたら、どんな言葉を伝えたいですか?」とお聞きすると、
涙を流しながら、こう答えてくれました。
(倉堀さん)
どんなに願っても、今の自分の成長した姿を見せられないのが本当に寂しい。
見てほしかったなとすごく思うんですよね。
やっぱりクラリネットを聞いてほしいし。
「あなたが育ててくれた私みたいな生徒以上の生徒を育てます」というのが、今の私の夢になっている。
出会えていなかったら、多分、今の私はいないんだろうなと思います。
(飯尾)
本当に素晴らしい出会いですね。
(倉堀さん)
本当にそうですね。クラリネットにも感謝しかないし、(山本)勝彦先生にも感謝しかないです。
取材にあたって、山本先生の妻・律子さんにもお話をうかがいました。
倉堀さんについて、こう話してくれました。
(山本律子さん)
倉堀君、いまは「翔ちゃん」と呼んでいますが、夫が大変可愛がっていた生徒の1人でした。
心優しい子で、私とは今も交流があります。夫も今の活躍を誇らしく思っていると思いますよ。
(5) 誰もが自分らしく生きられる社会へ
自分らしく生きる道を歩みはじめて。倉堀さんは今、新たな活動を始めています。
それは、教育現場などで自分の経験を話す活動です。
(倉堀さん)
私はトランスジェンダーです。生まれたときは男の子でした。
しかし、自分の性でとても悩み、苦しみました。
今、私は自信を持って言います。
私は、女性です。
これは、去年(2022)の12月上旬、国東中学校の生徒と保護者に向けて行った講演会での言葉です。
大勢の人の前で「私は女性です」と言い切る倉堀さんに勇気づけられる人が多いと感じました。私もその1人です。
制服の見直しなど学校現場でも多様性が重視される中、
自身の経験を伝えてほしいと、倉堀さんのもとには大分県内各地の学校から講演の依頼が相次いでいます。
この日、講演を聞いた中学生は、倉堀さんの言葉をどのように受け止めたのでしょうか。
(中3 男子生徒)
どんな人でも過ごしやすい社会にしていけるように、日々そういうことを考えて過ごしていきたいと思いました。
(中3 女子生徒)
1人1人やっぱり人間は違って、1人1人それぞれの人間だから、
私たちが勝手に決めた普通というものを取り除いて、みんなで違いを認め合っていけたらと私は思いました。
倉堀さんの言葉は、子ども達にしっかりと届いていました。
インタビューの最後に、倉堀さんにこれからの夢を聞きました。
(飯尾)
約10年前に女性として生きることを決めました。次の10年はどういう10年にしたいですか?」
(倉堀さん)
私みたいに希望を持って夢を追いかけられるような、差別がなくなる世の中にしていきたい。
こうありたいとか、こういう自分でありたいとかいう自由は誰にも邪魔をされてはいけないと思うんですよね。
自分はこうありたいというものを自由に選択して、自分らしく生きていってほしいということを伝えていけたらなと思います。
去年(2022年)12月だけでも5回、講演に立った倉堀さん。
今後も依頼があればこうした活動を続けたいと言います。次の10年に向けて、倉堀さんの挑戦は続きます。