能登半島地震 被災地からの声(随時更新)
2024年元日、家族や知人がそろい1年の安全を祈る日。最大震度7の能登半島地震は、その平穏な時間を突然奪いました。地震発生直後からNHK取材班が聞かせていただいた遺族や被災者、被災地で活動されている方々の声です(「まさかこれが助かってくれるとは」がれきから出てきたものは 4月24日更新)。
2024年の能登半島地震関連ニュースで紹介
目次
4月掲載
「まさかこれが助かってくれるとは」がれきから出てきたものは(4月24日)
ばあちゃんの花が咲いた 焼け跡で見つけた希望(4月19日)
「無理、もう無理や」それでも、できるものならこれだけは…(4月9日)
「今まで、ちょっと少なかった」通常どおりの給食再開に感謝(4月9日)
入学式 2次避難先の両親と離れ、輪島市の学校へ入学する子も(4月8日)
今も残る父の「冷たい手」の感触 一緒に飲むはずだった花見酒(4月3日)
一度は辞退した内定 それでも、被災した地元で働く道を選んだ(4月1日)
3月掲載
「特別なものではなく、ただ日常を取り戻したいだけなんです」(3月28日)
「造れると思わなかった…」被災した酒造会社の新酒は(3月26日)
「涙が出ました、おいしかった」輪島の老舗食堂 仮店舗で再開(3月21日)
「まだまだ時間がかかりますが…」ろうそく店が仮店舗で再開(3月19日)
「もっと見たかったのに…」36歳で逝った輪島塗職人の作品は(3月16日)
「彼が守ってくれたから」珠洲で400年 塩田の風景、絶やさない(3月13日)
ギャラリーの涙(3月8日)
「もういっぺんやっていこう」被災した本屋 教科書販売へ準備(3月7日)
「父が亡くなったというのは、絶対、心の中で消えない」(3月7日)
「今日も一日 見守ってて下さい。じゃあ、行ってきますね」(3月6日)
輪島 妻と娘亡くした男性「地震から2か月 何も変わらず」(3月2日)
地震で海底隆起 輪島の海女 素もぐり漁できず「支援を」(3月2日)
珠洲市に3年前に移住した私が、いま写真を募集するわけ(3月2日)
「これはダメやなと思って…」ホテルから避難所へ戻った理由は(3月2日)
県立輪島高校が金沢市で卒業式 校長がエール(3月1日)
36歳で2度目の被災 熊本地震のつながりで古民家の民宿再建へ(3月1日)
「とにかく外に出ろ」と言えばよかった…妻亡くし今なお苦しみ(3月1日)
「珠洲が一番いい場所」地震2か月 地元に残る男性(3月1日)
2月掲載
「遠くに行っちゃって寂しい…」離れた友だちと会える日は(2月28日)
「まだここに住みたかった…」緊急の公費解体始まる(2月26日)
「無理やりにでも開院」給水支援で歯科医院が再開(2月26日)
焼け跡から“ラーメンのずんどう鍋”店再建を誓う(2月25日)
娘の振り袖 一緒に選ぶ日は来ないまま(2月23日)
「毎日、毎日ずっとやな」壊れたわが町 解体業者が足りなくて(2月23日)
「ことしで97歳」20年暮らした母と乾杯、その数時間後に(2月22日)
朝ドラ「まれ」主題歌が能登半島地震の“復興のメロディー”に(2月22日)
「おやじは俺がみとらにゃならん」そのために帰ってきたのに(2月21日)
「ひとりで移動できない」避難所で想像もしなかった苦労が(2月20日)
「なくしたくない」地域の憩いの場 “銭湯” 地震で存続の危機(2月20日)
「店を再開していいのか」迷いの中、街の人の声に支えられ…(2月19日)
「母が助けてくれたのかな」一緒に居間にいて救助された娘(2月18日)
食べられなかったおせち 見つからない重箱の3段目は…(2月17日)
がれきから見つかった将棋の駒を棋王戦に「妻も楽しみに」(2月15日)
17日後、夢に出てきてくれた母「遅すぎるよ、でもありがとう」(2月15日)
「やめたらダメや」日記に記したふるさとへの思い(2月14日)
被災した運転手が支えるバス「少しずつ前に」(2月14日)
「受験頑張るんだよ」前夜励ましてくれた“輪島のばあちゃん”(2月13日)
見つかった結婚指輪「また一緒にならんかいえ」(2月12日)
「なんであんただけ先に逝ったんや」弟へ(2月11日)
救急車も助けも来ない「本当にごめんなさい」(2月10日)
「最後の最後までかっこいい父ちゃんやったな」(2月9日)
パティシエ 辻口さんから広がる“甘い”支援の輪(2月8日)
もう車は動けない…6人救った介護職員の判断は(2月8日)
妻と娘亡くした男性 思い出の品“一生大事に”(2月8日)
冗談だよって出てきてくれたら…兄弟仲だった消防団員の最期(2月7日)
ヘリで全員脱出の集落「すぐにでも戻りたい」(2月7日)
孤立で救助来ず 自宅に 「父ちゃん」呼び続け(2月6日)
「いつもみたいに、笑顔で名前を呼んで欲しい」(2月5日)
「やっぞ(やるよ)!能登町」元気が出るように(2月4日)
停電しランタンで…それでも休まないスーパー(2月3日)
助けられなかった娘「ごめん」見つかった遺品は(2月2日)
「どうして代わってあげられなかったんだろう」妻と子ども3人を失った警察官は(2月1日)
「一緒に卒業するんやぞ」地震で失った級友へ(2月1日)
父の右手は固く握りしめられていた(2月1日)
孤立、別れ、とどまる決意 海沿いの集落の1か月(2月1日)
1月掲載
妻よ 息子よ どこに… 鳴らし続けた妻の笛(1月31日)
土砂の中から弟の写真「早く顔を見せて」(1月30日)
「こういう被害あることを、知って欲しい」(1月29日)
「最後まで頑張った息子が本当に誇り」(1月27日)
2次避難先 食事提供なく 避難所戻る人も(1月26日)
水なく「モーモーモー」200頭飼育の牛舎は(1月25日)
「会社もすごい被害、戻れないです」(1月24日)
自宅前の道路崩落「ドア前がすぐ崖に…」(1月23日)
濁流にのまれた孫娘を水中から救出 その時(1月22日)
実家倒壊「助けを呼んで」母の声 しかし…(1月21日)
建物倒れ父が…「現実受け入れられない」(1月20日)
救助後亡くなった母 「ゆっくり休んで」(1月19日)
2週間以上風呂入れず…「生き返るわい」(1月18日)
「別れたくない…でも母は健康でいて」(1月17日)
津波にのまれ一命とりとめ「申し訳ない」(1月16日)
「怖い…でも我慢してここにいようと」(1月15日)
孤立集落からヘリで全員避難 その時(1月13日)
「ゆっくり休む場所なく インフル感染も」(1月11日)
「悔しいのひと言 命助かっただけでも」(1月10日)
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