地震 崩れた工房から救出された輪島塗の楽器が奏でる音色
- 2024年04月23日
サムネイルをクリックすると動画を見ることができます。
能登半島地震で倒壊した輪島塗の工房から無傷で見つかった輪島塗の楽器。
輪島高校の入学式で、その音色が披露されました。
楽器を手がけた職人の思いを取材しました。
倒壊した工房から無傷の状態で見つかった楽器
輪島塗が施されたチェロとバイオリン。
漆の深い色合いとつやが美しい、ある輪島塗職人が手がけた集大成の作品です。
地震で倒壊してしまった工房から、なんとしてでも運び出したいと、地震直後から探し続けていたものです。
奇跡的に、無傷の状態で運び出されました。
伝統工芸「輪島塗」 職人歴70年の八井汎親さん
輪島塗職人の八井汎親(やつい・ひろちか)さん。
70年にわたって「おわん」などの漆器を作り続けてきました。
今回の地震で50年間仕事をしていた工房が倒壊。
1階部分が完全に押しつぶされてしまい、手がけた作品の多くは下敷きになってしまいました。
八井さんは地震発生当日から避難所生活を続けています。
それでも、工房を再建し輪島市の復興に役立ちたいと考えています。
輪島塗がどのように再興していくかはわからないけど、なんとかがんばって再興できるようにしていきたいです。
私たち一軒ではできないので、避難しているみんなが輪島に帰ってきたときに頑張れるようにということで、再興への道筋をつけていくのが僕の最後の役目じゃないかと思います。
現在は仮設の工房で、同じ輪島塗職人の息子・貴啓(たかひろ)さんと一緒に作業をしています。
下敷きになった漆器を取り出し、修復ができるかどうかを判断したり、ちりやほこりを拭いたりしています。
しかし、まだ漆器の制作を再開するには至っていません。
工房にあった漆器のうち、1割くらいしか取り出せていません。
その中には傷ついたものも多いので、使えるものは少ないと思います。
毎日のように探し出してもこれくらいです。
まだまだ一から作るというような作業には至らないですけど、まずは生き残った漆器を選別して販売につなげられたらと思っています。
汎親さんの職人人生の集大成~輪島塗の楽器~
地震発生後から下敷きになった漆器を取り出す作業を続けていた息子の貴啓さん。
地震当初のことを振り返ります。
これだけ潰れているので、中の道具やら漆やらも助からないと思いましたし、町じゅう破壊されているわけですから、職人さんたちや関係者たちもどうなっているかわからない中で、これで一区切り終わったなって思いましたね。
汎親さんは倒壊した工房から貴啓さんにどうしても見つけてほしいものがありました。
それが「輪島塗の楽器」です。
親父の漆に対する集大成だと思っています。
親父が輪島塗をやってきた証っていうんですかね。
ですから、なにがなんでも見つけ出そうっていう思いがありました。
この輪島塗の楽器は汎親さんの職人としての集大成でした。
楽器を手がけたきっかけは2005年。
国際見本市に参加するためパリを訪れた際に、街なかでバイオリンを奏でる人たちを見たことでした。
バイオリンというのはヨーロッパへ1ヶ月くらい回ったときに見てきて、日本ではなかなか見ない楽器でしたから。
ヨーロッパで見たバイオリンを作ってみようというようなことを思ってはじめたわけです。
汎親さんは、世界中の人たちが楽しむ音楽と組み合わせて、輪島塗を世界へ発信していこうと考えました。
バイオリンのニスを塗る工程に着目し、代わりに漆を塗ることで、輪島塗のバイオリンを作ることができるのではないかと思い、10年ほど前から輪島塗の楽器の制作に取り組みました。
誰もやらんことをやるって言う気持ちがとてもありました。
いくつになっても新しいことに挑戦してみる。
輪島の職人さんってそんなもんじゃないですか。
何でも思い立ったら作っちゃうていうのがおやじのいいところですね。
ニスの話の時に、なんでニスを塗らなあかんねん、漆塗ればいいんじゃないのかと。
単純にそこから思ったらしいですよ。
輪島塗は木地に漆をしみこませて強度を高めますが、バイオリンの場合、漆が下地の木に浸透すると音が硬くなってしまうそうです。
楽器に漆を塗っても絶対にだめって言われて。
漆を塗ったらまず重くなるだろうし音にも影響するだろうから、木の中に漆を浸透させないようにするにはどうしたらいいかっていうのを考えました。
汎親さんは、ふだんの漆器を制作するときと塗り方を変えました。
塗る回数と漆の量を減らし、木の表面に「薄化粧をする」イメージで薄く塗り重ねるように何度も試しました。
塗り重ねすぎると音が硬く響かなくなり楽器も重くなるので、ミリ単位の調整を繰り返しました。
ものすごく試行錯誤はしましたよ。
漆のテストの板なんかでも、恐らく100枚は塗ったと思いますよ。
何枚も何枚も板でやって、浸透しないように作り上げました。
努力の末、完成した輪島塗のバイオリン。
西洋の楽器と輪島塗を調和させるために、輪島塗では珍しい鮮やかな外国の草花と、和の模様を組み合わせました。
汎親さんが手がけた輪島塗の楽器を貴啓さんも一緒に制作をしました。
これまでにバイオリンやチェロだけでなく、ビオラなど12丁の輪島塗の楽器を制作してきました。
八井さんが制作した輪島塗のバイオリンはアメリカの「ボストン美術館」にも収蔵され国際的な評価を得ています。
輪島塗の楽器との再開
地震発生から1か月が過ぎた2月5日。
貴啓さんはその日も作品を取り出す作業をしていました。
探しているうちに、あれ?バイオリンじゃない?と言うのが見えて、そこを潜っていったらバイオリンがまず見つかって。
その近くで偶然にもチェロが見つかりました。
発見されたのは、輪島塗のバイオリンとチェロ。
取り出してみると、傷一つない、震災前と変わらぬ あめ色の姿を見せました。
絶対にこの中で無事ではいられないと思っていたので、見つかったときはびっくりでした。
その後も取り出す作業を続け、工房内にあったバイオリン、チェロ、ビオラの合計7本あった楽器のうち4本が、無事見つかりました。
これだけ壊れた工房の中に無事に残っていたということには、驚きましたし、何か伝えたいことがあったんじゃないかと思います。
この無事だった楽器を使って、これからの輪島の再生にむかって、みんなを元気づけられないかなと。
みんな苦労しながら生活をしているので、音楽を聴いて被災した人たちが笑顔の一つも見せてくれるようになればいいなと思います。
託された輪島塗の楽器~思いを輪島へ~
4月上旬、金沢市の音楽堂には、八井さんの輪島塗の楽器を演奏するプロの演奏家の姿がありました。
八井さんの輪島塗の楽器の話が県内で開かれる音楽祭の関係者の耳に入り、被災者たちを元気づけようと演奏会が企画されたのです。
いい感じでした。素敵なバイオリンですし、とてもキレイでしょ。
4時間ちょっと弾いてみてけっこう慣れたと思います。
私の願いは演奏会を通して、プレイヤーの人たちと、この素晴らしい楽器によって、輪島の人たち、子どもたち、被災された人たちに癒しの心、そして未来への大きな力と希望を届けたいです。
以前にも1度この楽器は弾いたことがあるんですけど、また久しぶりにこうやって出会えてすごく嬉しいなという気持ちで弾きました。
輪島の人は特に輪島塗って身近なものだと思うんですよね。
震災から残った輪島の芸術品の楽器を輪島で演奏するというのは大事な事だと思っています。
被災地に響く輪島塗の音色
4月8日。
輪島高校の入学式の会場で、地震の後初めての演奏が行われることになりました。
汎親さんも避難所から会場にかけつけました。
楽しみにしていますね。
きっといい音を出してみんなを勇気づけてくれると思いますよ。
新たなスタートを切った高校生たちを祝い、輪島の人たちを元気づける演奏が始まります。
輪島の未来を担う、被災した若者たちを元気づけたいという八井さんの願いがこもった音色が響きました。
目の前でその音を聴けて、被災したからこそ出せる音色というか、そういうのも感じられてよかったです。
震災を受けても力強い音色を聴かせて下さってすごく励まされました。
やっぱりすばらしかったですね。
ちょっとでも触ったら壊れそうな楽器が残って、今日はそれをまた上手な方が弾いて下さったからね。
とても元気をもらったような感じがしました。
家も会社も全部潰れているのに、非常にいい音がして伝わったと思いますよ。
あしたにむかって立ち上げていこうというような。
春の輪島に響いた輪島塗の音色が、復興に向けた新たな一歩を後押しします。