「早く自宅へ帰りたい」愛知への避難者
- 2024年01月22日
「なんとか乗り切って早く自宅へ帰りたい。ライフラインが整ったら夫婦で行って、後片付けをみんなで協力してやりながら、みんなの顔を見ながら生活したい」
能登半島地震で被災し、愛知県内に避難している石川県珠洲市の80代男性のことばです。地震の発生から約3週間、今の心境を聞きました。
名古屋局・記者 佐々木萌
餅を食べていた正月に・・・
地震が起きたのは、元日の午後4時すぎ。石川県珠洲市宝立町鵜飼地区の中嶋復太郎さん(80)は、妻の和子さん(78)と一緒に自宅で餅を食べていたときでした。
「餅を食べていて、初めはなんだろうと思ったが、これはひどいと感じた。こたつの下で毛布をかぶって、家内の手をつかんで大丈夫だよとしか言えなかった。そしたら、また今度は長い揺れが来たんです」
幸い、復太郎さん夫婦は無事でした。しかし、自宅は、母屋以外はすべて倒壊。母屋でも、部屋の中はものが散乱したといいます。
訪ねてきた消防団員に、避難するよう言われ、スリッパで部屋の中を踏み分け、非常袋と毛布を持ち出して自宅を出ました。橋も崩れ、電柱も倒れてしまった暗い道をたどり、近くの小学校などを回りましたが、受け入れてもらえず、3か所目の小学校にようやく避難することができました。
中嶋さんは、当時の自宅や町の様子を、時折ことばをつまらせながら話しました。
中嶋さん
「こんなひどいものかなと思った。玄関を開けたら、水が中の方まで来てますし、とにかくひどい。橋も崩れ、電柱も倒れてしまって、いつものようには道を通ることができないです。辺りはみんな潰れてしまってなんとか避難したときは放心状態でした」
避難所で聞いた「7人が家の下敷きに」
避難した小学校には、たくさんの人が集まっていて、少し落ち着くとお互い状況を確認し始めました。中嶋さんは犠牲になった人の話も耳にしたといいます。
中嶋さん
「どうだこうだと確認するが、津波でやられたとか、こんなところまで津波が来たかという感じで。わたしの町内は78軒くらいあるが、そのうち7人が、その時点で建物の下敷きになってしまった。家はやられてしまうし、親戚も犠牲になってしまったが、助けることはできなかった。ゴルフにもよく一緒に行った仲だった。言葉にできないです」
避難所は、地域ごとに教室を分けて、掃除当番やトイレ当番を決めて、みんなでなんとか運営を担ったといいます。水も電気もない状況で、明かりは懐中電灯だけ。寒さはストーブと持ち寄った毛布でしのいだといいます。
地元を離れ愛知へ避難
中嶋さんは、1月6日まで避難所で生活したあと、東京に住む長男の車で移動し、金沢市内や長野県の親戚の家に一時的に身を寄せました。その後、名古屋に住む長女を頼り、名古屋市内で部屋を借りることに。部屋を契約するまでの間、愛知県の宿泊施設に滞在することにしています。
宿泊施設で生活できることに感謝しかないといいますが、地元を思うとつらさがこみ上げてくるといいます。
中嶋さん
「宿泊施設の方には、ただただ感謝だけです。り災証明の手続きを教えてもらうなど、丁寧に対応してもらい、何も言うことはありません。頑張りたい、その思いに応えたいと思うんですが、やっぱり、ずんときてしまうんです。知らない土地にいるというのがいちばんつらいです。なんで珠洲だけ、なんで、われわれの所だけひどい目にあわなければならんのか。バチでもあたっているのかなといつも思っている」
そして、食事のときも地元のことが気がかりでならないといいます。
中嶋さん
「食事しながら、名古屋はすばらしいなと話していました。ところが、頭に浮かぶのは自分のところが雪でぺちゃんこになって・・・という様子です。地元では、みんな大変な思いで一生懸命過ごしているのに、自分たちはここで食事していていいのかと。そういうことを思うと寝られない。ぜいたくに、コーヒーを飲んだりしているけれど、自分たちの住む地域の人たちは、どうしてるかな、と」
「早く自宅へ帰りたい」
依然、ライフラインやインフラの復旧の見通しが立たない被災地。それでも、早く自宅へ帰りたいと言います。
中嶋さん
「自分の孫とコミュニケーションがとれて、癒やしてくれるので、なんとか乗り切って早く家へ帰りたいです。わたしは家が残っているので、少し手をかければ生活できる。みんながたいそうな思いをして力を合わせて一生懸命やっている中で何かお手伝いをしたい。そうしないと気が許さない。生まれ育ったところだから、早くライフラインが整ったら妻と2人で行って、後片付けをみんなでやりながら、みんなの顔を見ながら生活したい。みんなが思っていることだと思います」
「お願いしたいことは2つ」
2023年5月にも大きな地震が発生した能登地方。生活再建を進める中で、やっとの思いで迎えた正月、再び発生した地震に「犠牲になってしまった人たちの分まで生かさせてもらっているので、とにかく頑張ろうという気持ちでいます」と語った中嶋さん。
私たちの取材に、どうしても伝えたいと、繰り返し訴えていたことが2つありました。
1つは「被災した家での盗難や、人の弱みにつけこんだ犯罪はやめてほしい」ということです。
「家からとりあえず必要なものを持ち出したくらいで、大事なものも家に残っている。わたしたちは住んでいたところが残っているし、避難所から近いから、取りに戻ったりして、ある程度はなんとかなったが、運び出すことができなかった人もいると思います。不謹慎なことをするのは絶対にやめてほしい」
もう1つは、「ライフラインやインフラの復旧に向けて、国は総力をあげて取り組んでほしい」ということでした。
「日本の国力なら、早く回復できると思う。本当に国をあげてやったら私はできると信じている。道路も通行ができるようになれば住民は明るくなりますから、いち早く生活を回復させてほしい」