「活字を編む」 長崎・小値賀島 活版印刷の魅力を未来へ
- 2024年04月23日
1824年(文政7年)印刷業界に名を残す人物が長崎で生まれました。その名は本木昌造。様々な事業で日本の近代化に貢献しましたが、なかでも「活版印刷」では、その後の日本の印刷文化に大きな影響を与えました。本木が生まれてから200年の今年、時代は大きく変わり、デジタル時代となっています。そんな令和の時代。発祥の地・長崎で活版印刷の今を取材しました。
NHKアナウンサー 木花牧雄
近代活版印刷の祖・本木昌造
本木昌造は1824年(文政7年)に長崎で生まれました。オランダ通詞の家庭で育ち、様々な事業に携わることで日本の近代化にも貢献しました。中でも「印刷分野」では重要な役割を果たしました。
現在の長崎市立図書館。そこに活版伝習所跡の碑があります。1869年(明治2年)に開かれた活版伝習所では、活版印刷の技師であるウイリアム・ガンブルを招き、技術の習得が行われました。そこから技術は広まり、日本の印刷文化がさらに花開いていくことになります。
そんな本木昌造が長崎で生まれて今年で200年。時代はデジタル時代・令和です。SNSなどデータとしての文字は膨大に行き交っています。そんな時代にリアルな印刷物・活版印刷はどうなっているのでしょうか?
小値賀に引き継がれる「活版印刷」
活版印刷の今を取材すべく、長崎県の離島・小値賀町にやってきました。
小値賀町には古い町並みが今も残っています。「小値賀諸島の文化的景観」になっている家々もあり、町の貴重な財産にもなっています。そのうちの1軒がこちら👇
なんと現在も活版印刷を営んでいる建物です。こちらにお邪魔して、活版印刷の方法や特徴についてお聞きします。
出迎えてくれたのは、4代目の横山桃子さん。活版印刷の魅力をどう感じているのでしょうか?
横山桃子さん
「活版印刷は手作業で時間をかけてできるものですが、出来上がったものには温かみを感じますね。印刷物が平坦ではなく凸凹していたりする手触りの部分や、印刷機の音やインクのにおいなど、五感に訴えかけてきてくれるものと感じています」
五感に訴えかけてくるという活版印刷。その印刷所を案内していただきました。まず驚かされるのが活字の数々。数えきれないほどの文字が壁に並んでいます。横山さんによると数万個はあるのではないかとのことです。
この中から必要な活字を拾っていきます。
必要な活字を集めたら、組んで「版」を作っていくことになります。桃子さんの父でもある3代目は、活版印刷は「活字を編む」と表現されました。まさに、文字で文章を編んでいく作業になるんです。
ここは作業スペース。印刷を終えた後の片付け途中の様子です。何やら多くの部品があるのがわかりますか?
様々な大きさや幅、厚みの部品があります。その種類は膨大です。これは「込物(こめもの)」と呼ばれる活字の間を埋めるパーツです。活字とともに、この「込物」をうまく組み合わせることで・・・👇
このように組み上がります。微妙な隙間などは「紙」で埋めていくというほどの細かさ。形・幅を考えながら組み合わせていく職人技です。ちなみにこれを印刷すると…。
こんなおしゃれな印刷物になります。
「〇とTを組わせてメロンのデザインにしてみました。黙々と細かい作業をするのは好きなんですよね」
そして、こちらは印刷の枠に用いられる罫線。活版印刷では枠も考えて作らなくてはいけません。そんな中、右の方には・・・👇
模様が刻まれた罫線もあります。飾罫(かざりけい)というもので、これを使うことで印刷物がおしゃれになります。リアルな物質を人の手で組み上げていくことで、味わいのある印刷が生み出されてきました。
では、横山さん愛用の印刷機を見てみましょう👇。
ドイツの「ハイデルベルグ社」の印刷機で、1.5トンもある重厚な印刷機です。小値賀島の港からフォークリフトで運んできたそうです。
大学進学で一度は島外へ出た横山さんは、デザインを学んだあと活版印刷を行うため、再び島に戻ってきました。若い横山さんの手によって、デザイン性を高めた新たな活版印刷が小値賀町で生まれています。
「ただ文字を組むだけだと面白みが欠けるというか、私自身あまり楽しくないんですよね。自分が一番作っていて、楽しいものを大切にしたいなと思います」
横山さんもレイアウトなどはパソコンで作業します。それをもとに活版印刷で商品を作っています。令和の時代、デジタルとリアルを融合させた方法で印刷物が生み出されています。
今の時代だからこそ求められるもの
現在、人口およそ2100人の小値賀町。かつては1万人ほどが暮らしていました。昔は様々な施設があり、「布袋座」という劇場もありました。その布袋座で開かれたセールのチラシが残っています。桃子さんの先々代、祖父が手がけたものです。
時代は変わり、布袋座はなくなり、島の人口も減少してきました。その小値賀町で横山さんが大切にしているのは「活版印刷体験」です。小値賀町に観光に来た人たちに活版印刷体験の場を作っています。
「外から来た人たちと島の人が直に触れ合い、会話をしながら活版印刷を楽しんでほしいんです。AIではできない人の交流。活版印刷をきっかけに小値賀の魅力も伝えつつ、やっていけたらいいなと思うんです」
「なるほど。小値賀全体のことも考えているのですね。小値賀町の活版印刷体験にみなさん何を求めているんでしょうか?」
「印刷してみないと出来上がりが分からない、偶然に出来上がる面白みがあると思います。手間暇かけて作ったものなので愛着がわくみたいですね。名刺を作ったのに配りたくないという人もいらっしゃいます」
活版印刷を未来へ残していくために
「活版印刷は長崎の文化だ。だから長崎で作りたい」
こうした理由で小値賀町の横山さんのところに注文がくることもあるそうです。本木昌造が生まれた長崎だからこその思いを活版印刷に持っている方もいます。では今の時代だからこその、活版印刷の強みとは何でしょうか?
「今の時代、パソコンと向き合えば結構、何でも簡単にできてしまいますよね。活版印刷は逆で、手を動かして、頭を使わないとできない面はあります。没頭できる楽しさがあると思います」
活字を拾って、版を組んで、印刷して・・・。昔は職人さんが何人もいたそうですが、今は一人でやる役割が多くなっています。横山さんはこう話してくれました。
「今後は活版印刷に触れる人のパイを増やしたいです。その中で興味がある人と一緒にやっていきたいですね」
そんな横山さんに、ここ小値賀町で活版印刷を続ける思いを聞きました。
横山桃子さん
「活版印刷はゆったりとした時間の中でできあがっていくものです。それと小値賀町の暮らしのゆったりとした流れが似ているなと感じているんです。観光で来てくれるお客さんにも、ゆっくりと時間の流れを感じながら、ゆっくりと活版印刷で時間をかけて、印刷物を作っていってほしいなと思います」
忙しいこの時代、時間に追われることなく、何かに没頭してみるものいいですね。私も時が経つのを忘れて横山さんに取材させていただきました。活版印刷の今を取材して、ゆったりとした気分で、時間をかけながら何かをしてみようと考えながら、小値賀島を後にしました。