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令和の被爆者証言 祈り続けるクリスチャン

~山田笑子さん~
  • 2023年12月29日

被爆の実相を継承するためシリーズでお伝えしている「令和の被爆者証言」。今回は、4歳で被爆した山田笑子さん(82)です。山田さんは、結婚を機に、多くの犠牲者が出た浦上地区に移り住んで、カトリック信者として60年、浦上天主堂で祈りをささげています。世界情勢が緊迫する中、核兵器のない平和な世界の実現を願っています。

長崎放送局 松本麻郁 記者

祈り続ける被爆者

 

(早朝の浦上天主堂の鐘)「カーン」

午前5時半、長崎市の浦上地区。鐘の音が、まもなく礼拝が始まることを知らせます。

被爆者でカトリック信者の山田笑子(82)さんです。毎週日曜日の明け方、浦上天主堂へ向かいます。

浦上天主堂の日曜礼拝の様子

原爆で倒壊し、その後、再建された浦上天主堂。この地区で犠牲となったカトリック信者、およそ8500人の慰霊のために山田さんは祈り続けています。

「カトリックでは死者の月といって11月はとても大切にしている。自分の先祖の人とか亡くなった人たちのためにお祈りをする。(原爆で多くの人が犠牲になった)ここら辺の人にとって ものすごく大切な月」

4歳で被爆

長崎市の西山地区

山田さんが被爆したのは4歳のころ。爆心地から2点5キロに位置する西山地区で友人と遊んでいたときでした。

「光だけ、黄色というか水色というかさすようなバーっとさすような光もう全体がビーとなって。今までに経験したことのない光」。

驚いた山田さんは慌ててそばの自宅に戻り、玄関の塀に隠れたといいます。

「息ば止めとった。やっぱり防衛的になっていたんとないかな口ひろげているんじゃなくてこうしていたのは覚えている」

山田さんは、当時のことをほとんど覚えていないと言います。

浦上に移り被爆の惨状知る

高校を卒業後、すぐに地元企業で働いた山田さん。19歳のころ、同じく被爆者でカトリック信者の    武俊さんと出会い、その後、結婚。自身も信者となりました。

山田さんが原爆の恐ろしさを実感したのは、武俊さんの地元・浦上地区に移り住んでからでした。

武俊さんが住んでいた場所は、爆心地から500メートルと近い距離にあり、多くの人が原爆で亡くなりました。両親がいなかった武俊さんも、親代わりだった祖父母や親戚、9人を失いました。山田さんは浦上地区に来て、原爆による死がより身近に感じたと言います。

「私の原爆の体験っていうのはもう光だけやからね。嫁いできてみたらもうすごいあれを聞きましたね。みんな死んだということをね。もう火は出てるし、もう信号だとかも人間も転がっているし」

武俊さんの親戚から聞く凄惨な被爆体験。被爆者の自分にできることは、この地区で亡くなった人たちを思うことだと信じて、これまで60年、祈り続けてきました。

2023年8月9日の追悼ミサ

毎年、8月9日には必ず原爆犠牲者を追悼するミサにも参加し続けています。山田さんはいま、新たな脅威に心を痛めています。ロシアによるウクライナ侵攻やイスラエル軍とイスラム組織ハマスの軍事衝突です。世界情勢が緊迫する中これからも核兵器のない平和な世界の実現を願い、祈り続けます。

8月9日に祈る山田さん

「核のない世界、対話でもって世界平和に導いてもらいたい。私たちにできることは微々たることだけどお祈りを続けて自分の身近なところから平和になってもらいたい」

  • 松本麻郁

    長崎放送局記者

    松本麻郁

    民放記者を経てNHK記者へ 
    ・北海道出身
    ・経済を担当

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