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NHK長崎 84歳被爆者...直面する現実“高齢化で団体解散”

祈念式典もテレビで「個人の力 微々たるもの」

被爆の実相を継承するための「令和の被爆者証言」。今回は、ことし3月に解散した長崎の被爆者団体で副会長を務めていた濵田眞治さん。濵田さんは団体が解散したあとも「被爆体験者」の救済を目指して活動を続けているが、個人で活動することの難しさを感じている。戦後77年という月日が経った今、被爆者が直面する令和の証言です。

(長崎放送局記者 松本麻郁)

原爆の日

「この世界から戦争を亡くしてほしい。原爆のことを思い出すと本当に悲しい」

濵田眞治さん(84)。2022年の長崎原爆の日、濵田さんは長崎原爆祈念式典をテレビで見守っていた。これまで被爆者団体「長崎県被爆者手帳友愛会」のメンバーとして参列していたが、ことし3月、団体が解散したためだ。

「あの会場に行ってお祈りすることも、あるいは畑に行ってお祈りすることも、お祈り自体は私は同じ心だと思っている。場所はどこであろうと、祈る心、その心が私は大事じゃないかなと思いますね」

被爆した当時

濵田さんが被爆したのは7歳、小学2年生の時だった。爆心地から5.5キロ離れた『旧福田村手熊小学校』(現在の長崎市手熊町)の敷地内で被爆した。

「グラウンドがあったこの場所で先輩たちと遊んでいたら被爆した。光がきた時に左を向いたらその時爆風が来たので。その場で耳と目を押さえて」

濵田さんはその後、自宅までひとりで戻った。しかし、自分がどのように帰ったのか、当時の記憶はないという。

「自宅におばあちゃんとお袋がおりまして『爆弾が落ちたよ』って走ってきたらしい。「どこに落ちたとか」って聞いたら、『山の向こうに落ちた』って言ったらしい。私は覚えていないんですよね」

それでも、被爆の記憶は身体にしっかりと刻まれていた・・・。

40代頃の濵田さん

体に異変が出始めたのは40代の頃。濵田さんは、突如、腰に違和感を覚えて病院を受診。そこで原爆の後遺症による運動機能障害と診断され、被爆者手帳の交付を受ける。

そして、濵田さんは「友愛会」に入会。そこでの出会いが濵田さんの活動の原動力に。

結成大会の様子(昭和54年)

「友愛会」には被爆地域の外にいたとして被爆者と認められない「被爆体験者」も多く在籍した。

【原爆に関する豆知識~被爆体験者とは~】

崎に原爆が投下された時、国が被爆者と認定する地域の外で、爆心地から半径12キロ以内にいて「第二種健康診断受診者証」の交付を受けた人。国は被爆体験者について「被爆体験による精神的要因の健康影響は認められる」として特定の精神疾患や合併症があると認定した場合には医療費を負担しているが、被爆者とは違い「原爆の放射線による直接的な影響はない」としている。このため、被爆者は国が一部の例外を除くほとんどの病気やけがによる医療費を負担し、条件に該当すれば各種の手当てを支給しているのに対し、被爆体験者は医療費は指定された病気のみ国が負担していて、支援には大きな差がある。

爆心地からほんの少しの差で被爆者手帳を手にすることが出来ないまま、亡くなっていく仲間たち。その理不尽さへの憤りが濵田さんを「被爆体験者」の救済のための活動に突き動かす。

「川ひとつ隔てて右が被爆者、左が(被爆)体験者と分かれているのはなんでだろう。そういう疑問はありますよね」

団体の解散

濵田さんは、「友愛会」のメンバーとして40年以上にわたって「被爆体験者」の救済活動を続けた。

しかし、メンバーの平均年齢が84歳にまでなったことし、活動の継続が困難になったとして「友愛会」は、解散した。

「私の気持ちとして断腸の思い。被爆体験者がまだいっぱいいる。その人たちが被爆者と認められるまでは戦っていきたい」

個人で活動のいま

友愛会の歴史が書かれた資料を読む濵田さん

濵田さんは今も原爆に関する資料の収集を行うなど個人で活動を続けている。その中で、今まで気づかなかったある事に直面した。

解散後、初めて迎えたことしの祈念式典。濵田さんは、これまで被爆者団体の一員として招かれていたが、ことしは案内が届かなかった。

「ことしは申告しないとだめなの知らんやった。いつもは友愛会に案内状が来ていたけど、やめたら全然違う」

被爆者の高齢化が進み、多くの被爆者団体で活動の継続が課題となる中、濵田さんは個人としての活動の難しさを痛感したという。

「やっぱり個人の力って微々たるもんですよ。個々の力を合わせて大きな波にして、その波で訴えた方がやっぱり・・なんていうかな。実効性があるっていうかな。そういう気がしますね。でも、ひとりになったから何もしないではいかんと思います」

たとえ、1人の個人になっても活動を続けたい。濵田さんは、これからも、被爆者と認められないまま命を落としていった仲間のために戦い続ける。

被爆者の高齢化が進み「被爆者なき時代」が刻一刻と迫る中で、濵田さんのように被爆者団体が解散したあとに活動をどう続けていくか模索する姿というのはほかの被爆者団体も直面する課題かもしれません。

  • 松本麻郁

    長崎放送局記者

    松本麻郁

    NHK北海道のキャス・リポ 民報記者を経てNHK記者へ 
    ・北海道出身

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