JR長崎駅 三角屋根の「シンボル」 あの“大時計”はいま
- 2023年12月06日
NHK長崎開局90年のことし、とっておきのアーカイブス映像で振り返る「長崎あん時ものがたり」。今回は明治時代に開業し、現在5代目となる駅舎が活躍する長崎の陸の玄関口、JR長崎駅の「あん時」です。
三角屋根で親しまれた3代目駅舎「シンボル」の大時計はいま、意外な場所に残されていました。
NHK長崎放送局 森下 拓磨
生まれ変わった長崎駅
ここ数年で大きく姿を変えたJR長崎駅。
去年西九州新幹線が開業し、線路が高架化。駅前周辺の再開発も行われ、新たなにぎわいを見せています。
およそ120年前に撮影された、現在の長崎駅が建つ場所の写真です。ここはもともと、海が広がっていました。
長崎駅の記憶を辿る
初代の長崎駅は、現在の浦上駅がある場所に建てられました。1897(明治30)年のことです。
その後、市中心部の埋め立て工事が行われ、現在の場所に作られたのが2代目長崎駅です。
ドイツ風建築のモダンな2階建て木造駅舎でした。
しかし1945(昭和20)年の原爆により焼失してしまいます。
その4年後に再建されたのが、三角屋根と時計がシンボルの3代目長崎駅です。
1968年に撮影された映像には
若者たちが都会へ向かう集団就職列車の出発のようすが残されていました。
1969(昭和44)年には駅前に高架広場が完成します。高架広場から見える三角屋根と丸い時計は、待ち合わせの目印として親しまれました。
昭和から平成にかけて半世紀にわたり活躍した、3代目長崎駅。
老朽化で取り壊される際には多くの利用者が別れを惜しみました。
2000(平成12)年に完成したのが、駅と一体化した商業施設を備えた4代目長崎駅です。
2005(平成17)年、長崎駅はいまの場所に移転して100年を迎え、歴代の駅舎を写した
記念乗車券が販売されました。
隣接するかもめ広場では様々なイベントが開催され、長崎駅は陸の玄関口としての役割から
にぎわいを生み出す場所へと進化していきます。
駅の“シンボル” 大時計
現在の長崎駅です。隣接する商業施設はリニューアルし、かもめ広場も生まれ変わりました。
広場の中央には、ひときわ目を引く液晶ディスプレイの時計が設置されています。
何度も姿を変えてきた長崎駅。そこには、いつの時代もシンボルとなる大きな時計がありました。
特に多くの人の記憶に残るのが、三角屋根との組み合わせが
印象的だった3代目長崎駅の丸い時計です。
あの三角屋根の時の丸い時計ですよね。長崎って感じでした
目印やったよね~時間を見るとに
携帯も無かった時代だし、待ち合わせの時“あと何分”みたいなのは覚えています
この3代目長崎駅の時計。意外な場所に今も残されていました。
三角屋根の時計はいま
長崎市にある飲食店です。
なぜこの時計を所有しているのか、店主の林田一利さんに聞きました。
3代目駅舎の時計は今から22年前、店の常連客から贈られました。
当初は店内に置く予定でしたが、大きくて重さもあるため、店の外に飾られています。
時は刻んでないんですけど、針は止まったままなんですけどね、残念ながら
奇跡的に残った3代目駅舎の時計はいま、店のシンボルとして親しまれています。
学生のときに待ち合わせしていた時、高架広場でながめてました。
ここに時計が残っていることは、いいなと思います
大時計があるところって言ったら「あぁ、あの店」って言います。
残った時計が店のシンボル、街のシンボルまでいったらいいですね
林田さんは、時計が思い出を振り返るきっかけになればと感じています。
これを見て昔を思い出してもらって、ほっこりしてくれれば。
“懐かしいな”っていい思い出を思い出してもらえたら、時計も満足だと思います
JR長崎駅で人々を見守ってきた、時計。
変わりゆく街のなかで、これからも新たな時を刻み続けます。
取材後記
長崎市民の私は現在33歳ですが、三角屋根時代の駅舎の記憶はあまり残っていません。
しかし両親や祖父母に長崎駅の印象を聞くと、必ず3代目駅舎についての思い出話になります。
母は若いときに父と遠距離恋愛をしていたそうで、三角屋根の長崎駅から福岡にいる父に会いに行くときはウキウキしたと話していました。
私の記憶としては4代目駅舎で、高校時代に友人と駅で待ち合わせをし、卒業旅行でハウステンボスに行った思い出が今でも忘れられません。
駅舎は違えど、誰しもの記憶に鮮明に残る長崎駅。
現在も飲食店に残る3代目駅舎の時計は、針は動きませんが、県民の様々な思い出を呼び起こさせる“タイムマシン”だと思います。