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長崎ヴェルカ 髙比良寛治主将 病と闘う少年に夢を

  • 2023年07月05日

もしも、あの日、あの場所で“あの人”と出会っていなければ…。闘病中の息子のために奔走していた父親。“あの人”とは、息子が以前から憧れていたプロバスケットボール選手でした。「バスケで勇気と元気を!」。長崎と香川で育んだ、選手と少年の交流物語です。

                         長崎放送局記者 山口真路

“突破力”に憧れて

佐々木琉聖さん(15)

高松市に住む佐々木琉聖さん(15)。小学2年生からバスケットボールを始め、今では日本のプロバスケットボールリーグ「Bリーグ」の観戦に熱を上げる高校1年生です。
 

香川ファイブアローズ時代の髙比良選手

琉聖さんの憧れの選手は、長崎ヴェルカの髙比良寛治選手。おととしまでプレーしていた、香川ファイブアローズ時代からの大ファンです。身長183センチながらも高さのある外国人選手にもひるまず、トップスピードで切り込んでいく突破力のあるドライブと勝負どころでの決定力が持ち味。今は、キャプテンとしてチームを引っ張ります。そんな姿に大きな魅力を感じていました。

佐々木琉聖さん
「自分よりも大きな人でも果敢にアタックできるプレーが好きです。長崎ヴェルカでは、キャプテンとして重荷を背負いながらも活躍を続けていて、かっこいいです」     

その人は突然現れた

病室で点滴を受ける琉聖さん (提供:佐々木俊輔さん)

琉聖さんはおととしの3月中旬、突然病魔に襲われました。40度の高熱に、首のあたりにあるリンパ節の腫れ。病院で検査を受けた結果、白血病を診断されました。琉聖さんは、その日から入院生活を余儀なくされました。コロナ禍の中、両親以外の兄弟や友人の誰とも会うことはできない日々が続きました。

運命の出会い

そんな息子の様子を気にかけていたのが、父の俊輔さん(48)でした。親として何か息子の力になれないか。俊輔さんは、琉聖さんが憧れる髙比良選手に励ましのメッセージをもらえないだろうかと考えていました。そんな矢先、運命的な出来事がありました。琉聖さんの入院から2週間後、通っていた高松市内のしんきゅう院を訪れた時のこと。俊輔さんの視界に、建物から出てくる1人の男性の姿が飛び込んできました。見覚えのある姿。髙比良選手でした。俊輔さんはとっさに身体が動きました。

父・佐々木俊輔さん(48)

 

父・俊輔さん
「何か励ましのメッセージをもらえませんかとお願いしました。きっと彼も病気と戦う力がもらえるんじゃないかと思ったんです」

目の前に息子が最も憧れる選手がいる。そのパワーを少しでも頂けたら…。
わらにもすがるような思いで、俊輔さんは髙比良選手にことばをかけました。

髙比良寛治選手
「わかりました。すぐにでも書かせてもらいます」

髙比良選手は、即答でメッセージを書くことを了承してくれました。俊輔さんは、持っていた色紙を髙比良選手に渡し、後日、琉聖さんに届けることを約束してくれました。

目がくぎづけになった

髙比良選手と俊輔さんの偶然の出会いから約2週間後。ちょうどそのころ、高松市では、香川ファイブアローズのホーム最終戦が行われ、琉聖さんも病室のテレビから試合を見守っていました。試合終了後に行われたセレモニー、画面には髙比良選手が観客に向けてあいさつをしている様子が映し出されていました。そんな時でした。琉聖さんの目が画面にくぎづけになりました。

試合後にあいさつをする髙比良選手(提供:佐々木俊輔さん)

 

髙比良寛治選手
「いつもここに応援に来てくれている子が白血病という大きな病に今おかされて、たぶんきょうも病室から応援してくれているブースターの子がいます。勇気と元気を与えるためにしっかりチームとしてプレーオフに行って、その子にも病気と闘って頑張ってほしい」

サプライズに驚く琉聖さん(提供:佐々木俊輔さん)

それは、髙比良選手から琉聖さんへのメッセージでした。憧れの人からのエール。それは、どんな薬よりも効き目のある“特効薬”でした。画面を見つめる琉聖さんは、驚きとうれしさが入り交じった表情を見せながら、目を輝かせていました。琉聖さんのもとには後日、応援のメッセージが書かれた色紙とユニホーム、そしてチーム全員のサインの入ったバスケットボールが届きました。

琉聖さんの元に届けられた応援メッセージの書かれた色紙と
サイン入りのバスケットボール

 

琉聖さん
「憧れの人から応援してもらうのは、はじめは驚きましたが、とても嬉しかったです」

ユニホームをお守りに

髙比良選手は長崎ヴェルカへと移籍したあともSNSを通じて、琉聖さんを励まし続けました。

髙比良選手から送られたメッセージ(提供:佐々木俊輔さん)

琉聖さんにとって、つらい抗がん剤の治療が始まりました。多いときで1日3、4種類の点滴、丸1日かけて点滴を打つこともありました。それでも、琉聖さんは決して弱音を吐きませんでした。病室のベッドのそばには髙比良選手のユニホームがありました。それをお守り代わりに、琉聖さんは病気と闘いました。

琉聖さん
「髙比良選手から僕もバスケット頑張るから、琉聖君も病気に負けず頑張ってねと応援メッセージをいただきました。そして退院したらホーム戦に招待してあげるよって。とてもうれしくて、病気に負けず頑張ろうって気持ちになりました」

病室の様子(提供:佐々木俊輔さん)

バスケの試合と病気の治療。土俵は違えども、2人は互いに刺激を受けながら、目標に突き進みました。そして入院からおよそ1年が経った去年3月、琉聖さんは無事退院。同じころ、長崎ヴェルカも
Bリーグ参入からわずか1年でのB2昇格を決めました。

夢に向かって…

髙比良選手と初めての対面を果たした琉聖さん(提供:佐々木俊輔さん)

退院から約2か月後。琉聖さんにとって、忘れられない瞬間が訪れます。髙比良選手が忙しい合間を縫って、長崎から高松まで会いに来てくれたのです。2人は、初めての対面を果たしました。いつもは、テレビ画面でしか見られなかった憧れの人が、琉聖さんの目の前に立っていました。緊張の余り、なかなか目も合わせられず、話しかけられない琉聖さん。そんな中で、髙比良選手からこんなひと言が。

髙比良寛治選手
「退院おめでとう、これからも(闘病)頑張ってね」

試合でスリーポイントシュートを放つ琉聖さん(提供:佐々木俊輔さん)

その後、琉聖さんは、中学のバスケットボール部に復帰するほど回復しました。選んだ背番号は、「14」。それは、髙比良選手が長崎ヴェルカで付けている背番号と同じものでした。もしも、あの日、しんきゅう院で髙比良選手と出会っていなかったら…。俊輔さんは今でも、この奇跡の出会いに感謝しています。

父・俊輔さん
「はっきり言うと何か高比良選手に見返りがあることはないと思うんです。それでもこちらが恐縮してしまうくらい、常に気にかけていただいて本当に感謝しています」

長崎で行われた香川ファイブアローズ戦の試合後に撮影された写真
(提供:佐々木俊輔さん)

今シーズンも長崎で行われた香川ファイブアローズとのホーム開幕戦に髙比良選手が招待するなど、2人の交流は続いています。この春、高松市内の高校に進学した琉聖さん。いまは服用する薬の影響で、思うように登校できない日々が続いています。しかし、それでも琉聖さんは前向きです。なぜなら、大きな夢があるからです。大好きなバスケットボールに関わる仕事に就くことです。

琉聖さん
「髙比良選手は自分に夢を与えてくれて、生き方のお手本となるような人。
 将来は、髙比良選手のようなバスケットボールプレーヤーを支える仕事をしたい

髙比良選手のプレーように、ひるまず、がむしゃらに。交流を通じて、何事にも諦めない気持ちを育んだ琉聖さんが語ることばに、力強さがみなぎっていました。

  • 山口真路

    長崎局記者

    山口真路

    長崎出身。2022年入局。現在、スポーツ担当。バスケはプレーするのも、観戦するのも大好き

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