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長崎発 “命に代わるものはない” そう言った夫は死を選んだ

  • 2023年07月05日

「命に代えられるものは何1つない」

生前、そう言っていた男性は2人の子どもと妻を残し、みずから命を絶ちました。

男性は市民の命を守る警察官でした。

なぜ夫は亡くなったのか。

死の真相を追い求めた妻がたどり着いたのはゆがんだ勤務の実態でした。

「警察官である前に“1人の人間であること”“大事な家族の一員であること”」

すべての警察官と家族に送る、遺族からのメッセージです。

NHK長崎放送局記者 中尾光

震える手で開けたドアの先には

「出勤してこない。連絡もとれない」

よしえさん(仮名)のもとにかかってきた一本の電話。

この日、よしえさんは単身赴任中の夫・まことさん(仮名)のもとを訪れる予定でした。

無断欠勤はおろか、遅刻もしないまじめな夫。

前日に送ったメッセージにも返事がなく、胸騒ぎがしたというよしえさん。

片道2時間の道のり。

「疲れて寝ているだけだ」

そう自分に言い聞かせ、涙をこらえて、車を走らせました。

しかし、震える手で部屋のドアを開けて目に入ったのはすでに息絶えた夫の姿でした。

誠実な警察官だった夫

亡くなったまことさんは大学を卒業後、警察官になりました。

当初から勉強熱心で、警察学校では誰よりも真剣に授業を受けていたといいます。

当時を知る警察官
「テスト前にはいつもノートを見せてもらっていましたが、活字のように綺麗でした」

本格的に働き始めてからは、主に交通部門で経験を積み、交通事故・事件の捜査に携わってきました。

困っている仲間がいると放っておけない性格で、まことさんのようになりたいと背中を追う後輩もいました。

「まことさんを悪く言う人はいないし、まことさんから人の悪口を聞いたことがない」

周りの人からそう言われるほど、誠実な人だったと言います。

家庭では“頼りになる夫”

妻のよしえさんとの出会いは20年ほど前。よしえさんは当時、先輩警察官でした。

白バイ隊員を志していたまことさんが、白バイ隊員としての勤務経験があったよしえさんに話しかけたことからやりとりが始まりました。

休日には趣味のバイクで県内外をツーリング。2人は仲を深めていきました。

そして、出会いから2年後に結婚。2人の子どもに恵まれ、順風満帆な生活でした。

よしえさん
「夫は私よりも年下でしたが、頼りになる存在でした。子育てのことになると、つい感情的になってしまう私と対照的に常に冷静で、どんなことでも夫に相談し、夫の意見を尊重していました」

妻が感じた異変

そんなまことさんに異変があったのは、亡くなる半年前の2020年3月。県北部の警察署に交通課の係長として転勤になり、単身赴任を始めて間もないころでした。

よしえさんが連絡をしても、日を追うごとに返事が遅くなり、返事がないことも増えました。

まことさんが働いていたのは、事故・事件の多い都市部の警察署。

「仕事で忙しいのだろう」

警察官の仕事をよく知るよしえさんは、少しでも前向きな気持ちで仕事ができるよう、明るいメッセージを送り続けました。

(5月21日 メッセージ)
よしえ:「今日も1日元気に頑張ろう」
    「ちゃんと起きてるかな?」

(7月15日 メッセージ)
よしえ:「今日の占い
     ミスを引きずると悪循環に
     ラッキーパーソン一目置いてる先輩」

しかし、まことさんからの返信には明るさが消えていきました。

(9月14日 メッセージ)
まこと:「徹夜でした。明後日なら電話出来るかも」
よしえ:「ホントに本当に、大丈夫!?」
まこと:「大丈夫じゃないけど、死んでませんから」

そして、このやりとりから3週間後。まことさんはみずから命を絶ちました。

伝えられなかった叫び

よしえさんを心配させまいと、
弱音を吐くことは少なかったというまことさん。

一方で、まことさんの携帯に残されたメモには、打ち明けられなかった本音がつづられていました。

(5月31日 携帯メモ)
「仕事をするためだけに生きているはずはないが、現にそうなっているので辛い」
「正直逃げられるなら、病気になりたいし、ケガをしても構わない」

(6月4日 携帯メモ)
「出勤したくない」

(8月13日 携帯メモ)
「10時に帰宅、仕事が思うように進まず、苦しい」
「展望がなく、希望が持てない
 4月よりも踏ん張りが効かない
 半年間耐えられる自信もない」

そして、亡くなる3週間前。

「大丈夫じゃないけど、死んでませんから」

そう妻にLINEを送った1分前に更新したメモには、
妻には伝えられなかった心の叫びが記録されていました。

(9月14日 携帯メモ)
「仕事中に初めて泣きました。
 結局逃げることもできませんでした。
 死ぬこと(リストカット)も出来ませんでした。
 何を大事にすればいいのだろう」

まことさんが亡くなったあと、メモを目にしたよしえさん。夫を救う手立てはなかったのかと悔やみ続けています。

よしえさん
「主人は『命に代えられるものは何1つないから』って。『生きてりゃいいこともあるさ』って以前、言っていて、そう思っていると考えていたから、まさかこんなことになるとは思ってなかった。私が甘く見ていたのかもしれないです。何かもうちょっと声のかけ方とか、たらればですけど、ああしておけばよかった、こうしておけばよかったって、後悔しかないです」

見えなくなっていた長時間労働

よしえさんと2人の子どもを残して亡くなったまことさん。

何がまことさんを追い詰めたのか。

当時、交通捜査係の係長として、10人の部下を1人でまとめていたまことさん。

ある県警関係者は「1人で対応する業務量ではなかった」と振り返ります。

昼夜を問わず、交通事故・事件の捜査の指揮を執る中で、勤務はふくらみ、長時間労働が常態化していました。

一方で、亡くなる前の月までの半年間に、まことさんが上司に申告していた超過勤務は1か月あたり平均で40時間。
過労死ラインの半分ほどでした。

では、なぜ、みずから死を選んだのか。

まことさんが残した遺書には、その答えが記されていました。

「時間管理にはうそばかり書くことになりました」
「署長と課長の指示で“時間内に終わらせないのは
 捌けない者の責任でありいくら残業しても認めない”」

その後の調査で、当時、男性の上司である課長は、月の超過勤務を一定の時間内に収めるよう指示。このため、まことさんやまことさんの部下は実態とは違う勤務時間を申告していたことがわかったのです。

まことさんの死後、職場のパソコンの起動時間から推計された実際の超過勤務は1か月あたり平均で200時間以上にも上りました。

ゆがんだ勤務管理の結果、表面的に見えなくなっていた長時間労働。このため、亡くなるまで、医師の診察を受ける機会もありませんでした。

みずからの命の代わりに実態を告発したまことさん。

遺書の最後はこう締めくくられていました。

「改善されることを願います」

2度と同じ悲劇を生まないために

よしえさんは2021年2月、公務災害を申請。

2022年1月、地方公務員災害補償基金が定める長時間労働やパワハラに関する項目に該当するとして認定を受けました。

その後、県警は「自殺の要因になったことは間違いないと思う」として、まことさんの死と長時間労働やパワハラの因果関係を認めました。

また、県警の殉職した警察官の慰霊碑にまことさんの名前が刻まれました。

かつては自身も警察官だったよしえさん。いまの一番の願いは、同僚たちに2度と夫と同じ悲劇が起きないことです。

よしえさん
「遺書の最後に大きな字で『改善されることを願います』と書いてあったので、これが主人が一番願うことだと。それを叶える、達成するのは私の責務、県警の責務だと思っていて。長時間労働の改善は、長崎県警だけではなく、警察組織全体で取り組むべき課題だと思っています。職員の方々は、その職責を全うすべく日々の任務に当たられていると思いますが、警察官である前に“1人の人間であること”、“大事な家族の一員であること”を忘れずに自分の人生を大切にしてほしいと思います」

結婚式の日、まことさんとよしえさんの薬指にあった指輪はいま、よしえさんの薬指に2つはめられています。

よしえさん
「いつも一緒にいたい。その気持ちではめました。いまもその気持ちは変わりません」

  • 中尾光

    長崎放送局 記者

    中尾光

    令和2年入局
    警察・司法担当

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