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若年性認知症「個性として受け入れて」長崎の当事者の思い

  • 2022年10月28日

若年性認知症の男性が伝えたい思い

「あの人の名前なんだっけ?」
「今日って何月何日?」
「昨日何したっけ?」

ちょっとした物忘れ、誰しもが一度は経験したことがあるのではないでしょうか?認知症は病気が原因で、物忘れの程度が重くなる症状です。

50歳という若さで認知症と診断され、ことし53歳となった男性は今、何を思うのか。自分の思いを自らの言葉で伝えています。

NHK長崎放送局 福光 瞳

 

若年性認知症

「認知症」と聞くと、高齢者のイメージを持つ方が多いかもしれません。しかし、高齢者でなくても認知症になることがあります。

若年性認知症とは18歳から64歳で発症した認知症を指します。若年性認知症の方は全国で約3万5700人いると推計されています。18歳~64歳の人口10万人当たりで50人ほどと推計されています。

年齢が若くても、「認知症」は誰もが発症しうる病気です。認知症の種類や要因は様々ですが、根本的な治療法は今のところありません。

ある日、若年性認知症に

田中豊さん

長崎市在住の田中豊さんは3年前、50歳の時、「アルツハイマー型の若年性認知症」と診断されました。

田中さんに異変が起き始めたのは45歳を超えたころ。ひどい倦怠感に襲われ、それから徐々に物忘れが増えたと言います。

ある日、仕事でミスをして反省文を書くことになった田中さんは、自宅で書いた反省文を、次の日に上司に提出。しかし、自分で書いたはずの反省文の内容を半分以上覚えていなかったそうです。

上司の勧めで病院に行ったところ、「アルツハイマー型の若年性認知症」と診断されました。50歳で診断されたときのことを、田中さんはこう振り返ります。

田中 豊さん
「『まさか自分が…』『どうして自分だけが…』と最初は受け入れられなかったです。これまでのミスや物忘れの原因が認知症と分かったことは良かったのですが、将来のことや経済的なことを考えると不安でたまらなかったですね。これからどうなっていくんだろうって」

少しずつ進行する若年性認知症

若年性認知症と診断されてから3年余り。田中さんは、薬を服用することで認知症の進行を抑えています。

それでも日々少しずつ、確実に、症状は進行しています。

田中 豊さん
「最近では、同じ職場の人や知り合いの名前が出てこない。頭の中では分かっていても、いざその人の名前を言おうとすると、頭の中がかすんだような感じになるんです。ひどい時は、自分の名前も出てこないときがあります。予定もよく忘れてしまう」

さらに、薬の副作用が田中さんを襲っています。
例えば、慢性的な倦怠感。仕事から帰宅すると、夕飯を食べる前に倒れるように寝てしまうことがあるそうです。ほかにも、めまいや全身の酷いかゆみなどがあるそうです。

公表して職場が支えてくれるように

田中さんの職場は、諫早市にあるメッキ工場。30年近く務めるこの会社で、現在も勤務を続けています。仕事を失う不安もありましたが、田中さんは認知症が発覚してすぐに職場に報告しました。

すると会社は、田中さんの心配をよそに、すぐに受け入れて対処をしてくれました。以前は、クレーンや機械を操作する複雑な仕事を担当していましたが、現在は、単純作業や補助作業の仕事を担当しています。

田中 豊さん
「物覚えが悪くなっているので配慮をしてもらい、できる限り単純な作業をさせてもらっています」

福光 瞳
「そのような対応を受けてどんな気持ちですか?」

田中 豊さん
「嬉しかったです。上司の人には感謝しかありません。自分の病気を理解して受け入れてもらえていると実感しています」

また、薬の副作用で体力が落ちていることも考慮し、残業や夜の勤務は外してもらっています。

田中さんは、同僚が残業をするなかで、自分だけ定時で上がらせてもらうことに罪悪感を抱いてしまうものの、多くの同僚がニコニコして送り出してくれることに救われていると言います。

総務部 部長 小田信博さん

小田 信博さん
「田中さんと認知症の状態を話しながら、部署を変えたり仕事の内容を変えたりして、やれる仕事に就いてもらう形で現在に至っています。彼が働けるのであれば、会社としても彼が働く場所を提供できるのであれば、これからも頑張ってもらいたいと思っています」

深まった家族の支え合い

田中さんは、妻、高校2年生の長女、中学2年生の長男の家族4人暮らしです。田中さんの妻にも持病があるため、子どもたちが積極的に家事に参加してくれています。

料理が好きな長女の優香さんは、夕食作りの担当です。

優香さん
「学校の図書館に認知症の本があって、それを読んで勉強しています。とにかく野菜を多めに、栄養バランスを考えてて、少しでもお父さんの認知症の進行が防げたらいいなって」

優香さんが1週間分の献立を考え、週末に家族4人で食材の買い出しに行きます。買い忘れがないよう、4人でチェックしながらスーパーを回ります。

田中さんは、若年性認知症になったことで、家族同士の支え合いが深まっていると感じています。

田中 豊さん
「娘が食事を作ってくれたり、物忘れをしたときは家族みんなが『〇〇忘れてるよ!』と教えてくれるので助かっています。家族も含めて、周りの人みんなが支えてくれているようなものです。誰がとかじゃなくて、本当に周りのみんなが支えてくれています」

長崎県若年性認知症フォーラム 開催

長崎県庁

2022年9月10日、長崎県庁で「若年性認知症フォーラム」が開かれました。若年性認知症への理解を深めてもらおうと開かれ、長崎県では6回目の開催となりました。

リモート参加を含めると、200人余りが参加。回を重ねるごとに少しずつ、参加者が増えているそうです。

フォーラムでは、認知症への理解を呼びかけるパネル展や、当事者や専門職の方による講演が行われました。

「個性として受け入れてほしい」

田中さんは、このフォーラムに参加し、当事者として登壇しました。言葉が出てきやすいよう、包括支援センターの職員の方と2人で登壇し、インタビュー形式での講演を行うことになりました。

田中さんが今回の登壇を決意したのには、大きな理由があります。それは、同じ病気の人の助けになりたいという思いからです。

家族が見守るなかで始まった講演。田中さんは、若年性認知症の人が、仕事を続けるなどこれまで通り暮らすためには、受け入れてくれる社会が必要だと繰り返し訴えました。

田中 豊さん
「若年性認知症は見た目では病気と分かりません。年齢が若くしてなるので体は元気です。ミスや物忘れをしても、頭が悪いとか、そんな風に言われてしまうこともあります」

「認知症の人からすれば、『好きでこの病気になったんじゃない』という気持ちがとても大きいです。認知症だからといって、差別的に考えるのではなく、人間性を尊重して、個性として受け入れてもらえたらいいなと思います」

これからも伝え続ける

田中さんはこの日、長崎県から、認知症本人大使である「ながさきけん希望大使」に任命されました。これは、希望や生きがいを持って暮らす認知症の方に委嘱されるものです。

任期は2年間で、今回のような啓発活動などで自分の経験を語り、理解を広く呼び掛けていくということです。

取材後記

若年性認知症の方がいるとは知っていても、どういう病気で、実際にどんな症状が出るのか、どんなサポートが必要なのか具体的なイメージが湧かない方が多いのではないでしょうか。私もその一人でした。

はっきりとした原因が分からない認知症は、自分や家族がなってもおかしくない、それくらい身近な病気です。田中さんとお話するなかで、沢山のメッセージを受け取りました。そのなかで、とりわけ皆さんに知っていただきたいことがあります。

それは、認知症になったからといって、突然すべてのことを覚えられなくなったり、忘れてしまったりするわけではなく、性格も人間性も変わらないということです。このことを念頭に置いておくだけで、いざ自分や周囲の人が認知症になったとき、接し方や受け入れ方のヒントになるかもしれません。

「みんな違って、みんな良い」。月並みですが、そんな言葉が頭に浮かぶ取材でした。田中さんの経験や言葉を通して、少しでも若年性認知症について考えるきっかけになれば幸いです。

  • 福光瞳

    NHK長崎放送局

    福光瞳

    「イブニング長崎」リポーター
    岡山県出身
    福祉関係を中心に取材

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