ページの本文へ

岩手取材ノート

  1. NHK盛岡
  2. 岩手取材ノート
  3. 能登半島地震 半島の医療維持かけたダウンサイジング

能登半島地震 半島の医療維持かけたダウンサイジング

  • 2024年01月23日

    能登半島地震の発生から3週間。今回の地震では、海と山に挟まれた半島の「中山間地域」が被災地となりました。地震の揺れで半島を結ぶ主要な道路が断たれた結果、集落の孤立や支援物資の搬送、そして地域での医療体制の維持が大きな課題となりました。こうした中山間地域は岩手県にも多く、今回の地震の教訓をどう生かしていくべきか考える必要があります。現地で医療機関の機能維持、そして応援の医師などの配置や調整を担った岩手医科大学の眞瀬智彦教授に、これから考えるべき対策を聞きました。(NHK盛岡放送局 記者 渡邊貴大)

    記者が見た、交通断たれた能登の姿

    能登半島地震の被害

    2024年1月1日に発生した能登半島地震。最大震度7の揺れを観測したこの地震では、内閣府によると石川県を始めとした9府県で人や建物への被害が発生しました。中でも石川県は、揺れの激しかった能登半島で甚大な被害が出ていて、1月23日時点で県内で233人が亡くなっています。

    火事で焼けた輪島市の朝市

    私は地震発生直後の1月1日の夜に現地を取材するため、盛岡市を出発し、翌日の午後に金沢市に到着しました。3日からは被害の大きかった輪島市に入り、臨時の避難所となっていた輪島市役所などで取材に当たりました。輪島市内では倒壊した7階建てのビルや、火事で200棟以上が焼ける大規模火災が起きた朝市を始めとする市内の被災現場の悲惨な現状を目の当たりにして言葉を失いました。

    隆起した道路で傾いた車

    それと同時に、輪島市にたどり着くまでの道路状況にも衝撃を受けました。アスファルトはいたるところでひび割れが生じていて、地面が隆起して地割れのようになった道もありました。土砂崩れや倒れた道路標識などで道が塞がれていて、能登半島をつなぐほとんどの道が断たれ、まさに「陸の孤島」のような状態となっていたのです。

    医療危機を支援 震災経験の専門家  

    山間部の多い能登半島でのこうした道路の寸断が災いし、被災地では▽集落の孤立や▽物資・人手不足といった問題が生じました。中でも深刻だったのは、▽病院機能の維持でした。災害時、最前線で命を救う現場となるはずの病院自体が被災し、停電や断水などのインフラ被害に加え、医療物資や医師・看護師の確保もままならない状況に陥ってしまったのです。

    岩手医科大学 眞瀬智彦教授

    厳しい状況に直面した石川県からの要請を受けて現場に入ったのが、岩手医科大学で災害医療を専門で担当している眞瀬智彦教授です。東日本大震災や熊本地震、そして西日本豪雨などさまざまな災害現場で医療物資や医師の配置などの調整を指揮する「災害医療ロジ」を担当してきました。

    今回の地震でも、今月8日からの5日間、半島の中部に位置する七尾市の能登総合病院に入り、能登半島の4つの市と町に応援に入るDMAT=災害派遣医療チームの医師や看護師の配置などを指揮しました。

    眞瀬教授

    私が主に活動した能登総合病院はDMAT全体の活動を仕切る活動拠点本部と、全国から集まってくるDMATが経由してから前線に向かう参集拠点を兼ねた場所でした。半島の被害情報をまとめながら県庁など他の機関との連携を取って、どこにどのくらいDMATを配置するかを判断していました。

    現地から要請も…深刻な人手と物資不足

    能登半島の4つの市と町からは連日、DMATの派遣要請や水や薬といった物資の支援要請が届いていました。眞瀬教授は、現地の病院や行政担当者とオンラインなどで会議を重ねてニーズの把握に努めました。

    眞瀬教授

    中でも深刻だったのは水不足でした。飲み水もそうですが、医療にも清潔な水が欠かせません。半島のほぼ全域で断水が続いていたため十分な水が全く確保できていない状況が続いていました。

    加えて、地震が発生してから「とにかくできることを」と働き続けてきた現場の医療関係者の体力も限界に近づいていると感じた眞瀬教授。しかし、すぐに要請に答えてDMATを派遣したくても、厳しい道路状況がそれを許しませんでした。

    能登半島を結ぶ主要な国道や県道では、地震の影響であちこちで崩落や土砂崩れが起こっていて、行き来に通常よりもかなり時間がかかる事態となっていたのです。例えば、眞瀬教授が活動した七尾市から、半島の一番北にある珠洲市までは、通常であれば2時間弱で到着できるはずでしたが、通行止めや回り道をしなければいけない影響で、移動だけで8時間もかかってしまう状況でした。

    眞瀬教授

    要請を受けてDMATを派遣するにしても、朝に『そこに行ってください』と言っても、現地に着くのが夕方近くになってしまうという状況だったので、継ぎ目のない支援だとか、緊急性を要する支援の時になかなかうまくいきませんでした。

    解決策は病院の”ダウンサイジング”

    このまま無理に通常の医療を維持しようとすれば、現地の医療はパンクして病院が維持できていれば救えるはずだった命まで救えなくなってしまう。危機感を抱いた眞瀬教授は、医療を維持するための決断を下します。それが、病院機能の規模を縮小する「ダウンサイジング」です。

    例えば、最も過酷な状況だった珠洲市の総合病院については、160床ある入院患者のベッドについて、通常時の3割あまりとなる60床まで受け入れ可能数を減らしました。医師や看護師などについても、被災している現地の医療従事者をなるべく休ませるため、ダウンサイジングした病院を維持できる必要最低限の人数を見極め、DMATなどの支援を派遣しました。

    ※病床イメージ

    こうした病床数の削減や限られたスタッフで病院機能を維持する対応は、新型コロナウイルスの感染が拡大したときに、病床の確保や病棟の制限などの対応で奔走した経験が生きたといいます。

    眞瀬教授

    能登半島の4箇所の基幹病院はダウンサイジングして、大体通常時の5割から3割ぐらいまで病院の機能を制限しました。これらの病院と協議しながら、ダウンサイジングによって医療の提供を継続できるような仕組みを考えてきました。新型コロナの時に岩手の厳しい医療環境で対応したことが被災地で生かせたと思います。

    ダウンサイジングした分、受け入れが難しくなる患者も出てきますが、容体を現地で確認した上で、長時間の移動に耐えられると判断した場合には、救急車やドクターヘリを使って、被害の比較的少なかった金沢市内の病院まで搬送する対応をとって乗り切りました。

    医療維持のため事前に細かな想定を

    岩手県の山間部

    眞瀬教授は、こうした事態は岩手県はもちろん、同じように中山間地域や半島を抱える全国どこでも起きうると言います。その一方、こうした医療のダウンサイジングが多くの災害現場で不可欠になっているにもかかわらず、あまり具体的な議論がされていないことが課題だとも指摘しています。

    そのため、どれだけの被害でどれだけの病院機能を制限する必要が生じるのか、それぞれの病院や行政が事前に、細かく想定を分けたシミュレーションをしておくべきだとしています。

    眞瀬教授

    岩手県も決して人ごとではなくて、中山間地域などでは強い地震が来ると孤立してしまう可能性がすごく高くなります。さらに、今回のように電気や水道がダメになる可能性もあるので、どこまでダウンサイジングしていいかということをあらかじめ考えておいて、それを回すための人と物をどう入れるかということは、考えておかなくてはいけないと思います。

      • 渡邊貴大

        NHK盛岡放送局

        渡邊貴大

        平成25年入局
        東日本大震災を仙台で経験し記者を志す。
        今回の能登半島地震は発災翌日から石川県に入り、輪島市で取材にあたった。

      ページトップに戻る