ページの本文へ

NHK宮崎WEB特集

  1. NHK宮崎
  2. 宮崎WEB特集
  3. 寮歌復活!宮崎県東京学生寮「血潮の歌」OBが込めた思いとは?

寮歌復活!宮崎県東京学生寮「血潮の歌」OBが込めた思いとは?

  • 2023年06月28日

寮生が入れかわる中で、いつしか歌われなくなり、忘れ去られていた「寮歌」。
現在の学生寮が入るビルの取り壊しをきっかけに、83歳の学生寮のOBが歌を復活させました。
どんな思いを込めたのか、話を聞きました。

復活した寮歌

東京・千代田区にある宮崎県の東京学生寮。こちらは県内出身者のための学生寮ですが、今の建物は、学生寮としては2代目に当たります。
寮歌が作られたのは、もう1つ前の、初代学生寮の時代でした。今から、およそ60年前になります。

初代学生寮の様子

今回、復活した寮歌は、その名も「血潮の歌」。昭和35年頃、寮に入っていた学生が作詞し、宮崎出身の作曲家によって曲が付けられました。

当時の学生寮

その歌を復活させたのは、宮崎市に住む学生寮のOB・鈴木正人さん。県からの依頼で学生寮の歴史を振り返る資料を探したところ、およそ60年前の寮歌の楽譜を見つけ、歌の存在を多くの人に知ってほしいと思い、ほかのOBに呼びかけて歌を収録したCDを作りました。

鈴木さんが見つけた寮歌の楽譜
鈴木正人さん

すぐに寮の思い出がバーッと浮かびましたよね。ありありですよ。
あの時にこうやって歌ったなとかね。

鈴木さんが東京の大学に進学したのは東京オリンピックの2年前の昭和37年。県の学生寮で3年間、暮らしました。

こちらは学生寮で同郷の仲間たちと酒を酌み交わしていた時の写真。慣れない都会生活の中で、宮崎弁で話しながら過ごす時間は鈴木さんにとって大きな心の支えだったと言います。

当時の日本は戦後の高度経済成長期を迎え、学生運動も盛んな時代でした。

学生寮で乾杯する様子

寮歌に込めた思い

「都の大地を踏みて立つ精鋭競い集まれり」「血潮は燃ゆる意気を見よ」

寮歌の歌詞

歌詞からは、上京した血気盛んな学生たちの意気込みが伝わってきます。当時は寮の祭りなどのイベントで歌われていたと言います。

鈴木正人さん

(戦後)復興していって前向きの時代でしたもんね。だから、全然意気込みというか 若い血潮の沸騰度は違っていたでしょうね。東京で一旗あげるという気持ちが奥底にはあるでしょうから、そういう気持ちで歌っていたと思うんですよね。

寮歌が作られて、半世紀以上。鈴木さんは今の若者たちにも当時の精神を感じながら寮歌を歌い継いでいってほしいと願っています。

鈴木正人さん

若い人はいろんなことに冒険してほしいし、自分たちの心に残るような歌い方でみんなで折りに触れて歌ってほしいなと思いますね。この歌詞の通りに歌って、自分も血をたぎらせようかなと思ってもらえればそれでいいかなと思いますね。

生まれ変わる学生寮

鈴木さんが入寮していた当時は、宮崎と東京は列車で行き来するのが一般的だったので、24時間以上かかっていたそうです。今は飛行機で2時間弱で行き来できますから、今と比べて、東京は心理的に遠い場所だったといえます。その分、東京で暮らす同郷の仲間たちとの結束も強かったと、鈴木さんは話していました。

そして、今後は学生寮も生まれ変わります。 現在の2代目となる寮が入った県東京ビルは建設から50年以上がたって老朽化が進んでいるため、建て替えられることになりました。
これまで男子学生しか入寮できなかったのですが、4年後の令和9年には新しい学生寮がオープンし、女子学生も入れるようになります。これについて鈴木さんは「女性も入寮できるのは喜ばしい。男女分け隔てなく、都会でたくさんの経験を積んでほしい」と話していました。

新しい学生寮のイメージ

「血潮の歌」歌詞

宮崎県東京学生寮寮歌 「血潮の歌」 作詞:金藤浩幸 作曲:川口晃
都の大地を踏みて立つ 精鋭競い集(あつま)れり あゝ青春の幸を求むところ
究め求めん我が理想(のぞみ) 見よ旺(さか)んなるかな 我らの宮崎学生寮

わだつみの果てにこだません 血潮は燃ゆる意気を見よ あゝ青春の幸を語るところ
学びて採らん君の友情(こころ) 見よたくましきかな 若人の宮崎学生寮

輝け理想はバラ色に つちかいきずきしわが糧を あゝ青春の幸を思うところ
顧み語らんありし日を おゝなつかしきかな 久遠の宮崎学生寮

  • 玉木絢子

    宮崎局・記者

    玉木絢子

    2019年入局
    延岡支局で県北のできごとを取材中

ページトップに戻る