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宮崎県串間市 人口わずか4人の「築島」 内藤アナが自撮り旅

  • 2023年06月27日

今年(2023年)は、宮崎県が明治16年(1883年)に現在の形で置かれてからちょうど140年!この節目の年に、NHK宮崎では、局内に残る懐かしい映像とともに地域の魅力を再発見する取り組みを進めています。そんなアーカイブス映像とアナウンサーの自撮り旅をコラボさせた今回の企画で、宮崎県最南端、串間市の沖合200mほどのところにある「築島(つきしま)」を訪ねました。

かつては伊勢えび漁で栄え、100人以上が住んでいた時代もありましたが、いまは2世帯4人が暮らすのみ(2023年6月現在)となっています。島にあった分校は閉校になり、子どもたちの声が聞こえなくなって10年以上が経ちました。島はいまどうなっているのでしょうか。 
アナウンサー 内藤雄介

旅のきっかけは分校の教諭からのメッセージ

私が築島を訪れるきっかけとなったのは1通のお便りでした。島にあった串間市立市木小学校・築島分校に30年ほど前に勤務していたという、投稿ネーム「青爺(あおじい)」さんからのものです。当時すでに児童数5人、教員は青爺さん含め2人だけという小さな学校でしたが、島の人に大変良くしてもらって、夢のように楽しい3年間だったそうです。

2023年6月14日放送 NHK宮崎『てげビビ!』より

「かつての島の様子をもう一度見たい、そして今の島の様子も知りたい」という青爺さんの熱意に押され、私は島を訪ねることにしました。

定期船のない島

築島は串間市側の陸地から200mほどに位置する、周囲約3.7キロの小さな島です。串間市側との間に橋はかかっていないため、住民は自身が所有する船で対岸の舳港(へたこう)と行き来しています。

上空から見た築島

こちらは築島の港から見た串間市の舳港です。旅の冒頭に、私がカメラを長~い三脚に取り付けて高い位置から撮影しました。本当に近いのがわかりますよね。島までは船でわずか3分でした。

懐かしの映像発掘!① 「ビロウの島」で生きる人々

島を観察すると、宮崎市などで多く見かけるフェニックスに似た植物がたくさん生えているのがわかります。ヤシ科の植物「ビロウ」です。築島は広い範囲にビロウが自生していることから、「ビロウの島」とも呼ばれているんです。

ビロウの木

NHK宮崎に残る築島の最も古い映像、1967(昭和42)年に放送された「新日本紀行」では、島の人がビロウの葉を使って、うちわを作る様子が紹介されていました。「うちわ一つの工賃、30円。これが観光客のお土産として店先に並ぶときには150円になります」というナレーションがつけられています。手間のわりには儲からないと、当時既に作る人が少なくなっていたようでした。

『新日本紀行~日南海岸~』より ビロウの葉でうちわ作り
『新日本紀行~日南海岸~』より 完成したうちわ

空き家が目立つ島

では、いよいよ島を歩いてみます。港から、斜面にたくさんの家が並んでいるのが見えました。どうなっているんでしょうか。

島を背景に港に立つ 家がたくさん見えるが・・・

それぞれの家に近づいてみると、人の気配はありません。
伊勢えび漁で栄えた島も、年々漁獲が減少。住民の高齢化も進み、買い物や通院に不便な島の暮らしが難しくなり、多くの人が離れたということです。

住宅の多くが空き家になっています

高台に建つ恵比須神社。漁師が伊勢えび漁などの豊漁を祈願してきたお社です。自然の恵みに感謝をささげようという島の人々の思いを感じました。

赤い鳥居をよく見ると、水道管で使われるようなパイプをつなげて作られていました。物資が限られる離島ならではの工夫なのかもしれません。

パイプをつなげて作られた鳥居

いまも島に住み続けている方を訪ねる

そうした中で、今でも島に住む方を訪ねました。築島出身の築島真知子(つきしま・まちこ)さん(69)です。同じく築島出身の夫・勝美(かつみ)さんとともに、もう60年以上島に住んでいます。

自宅前にテーブルを置いて編み物中でした
笑顔がとってもチャーミング

真知子さんは、番組にお便りをくれた「青爺さん」が赴任していた築島分校で、2010年(平成22年)休校になるまで、25年間給食調理員をしていました。当時の思い出の品を見せてもらいました。

分校の児童が書いてくれた寄せ書き

真知子さんは子どもたちから「まちこばちゃん」と呼ばれていました。真知子さんは分校の子どもたちのことを自分の子どもや孫のように可愛がっていたそうです。

懐かしの映像発掘!② 串間市立市木小学校・築島分校とは

NHKにかつての分校の様子を記録した映像が残っていました。

1989(平成元)年放送 NHK宮崎『分校の春』より 
かつての分校外観

こちらは異なる学年の児童が同じ教室で勉強する複式学級の様子です。

1989(平成元)年放送 NHK宮崎『分校の春』より 
低学年の児童のクラス

体育館で行われていた「学習発表会」の様子も記録されていました。子どもたちがこの1年間に学んだ成果を見てもらおうというイベントで、島の人たちが大勢体育館に集まり発表の様子を見守っています。分校は、島の人々と子どもたちとの交流の場でもあったんですね。

1989(平成元)年放送 NHK宮崎『分校の春』より
「築島太鼓」も披露されていました
1989(平成元)年放送 NHK宮崎『分校の春』より
見守る島の人たち

いよいよ築島分校へ

真知子さんから分校の場所を教えてもらい、向かいました。港に面した急な坂を上ったところにあるとのこと。

坂を上る 海がよく見える

学校の名前が書かれた石積みの案内がありました。教室と書かれた矢印の方向に進みます。すると・・・

道の周りに急に草が増えてきて・・・

子どもたちがいなくなってから10年以上が経ち、校舎の前庭には草が生い茂っていました。

かつてはこの場所に子どもたちの声が響いていたんですね。明るい色使いの看板が、往時の楽しい雰囲気を伝えていました。

体育館は今も現役

当時の体育館が、今は地元の集会所として使われていると聞き、訪ねました。

体育館外観

板張り床。壁には学校の旗や校歌の歌詞も掲げられ、当時と変わらない姿がありました。

壁に分校の年間行事が写真で紹介されていました。

先ほどの恵比須神社で行われていたお祭りもありましたよ。はっぴ姿の子どもたち、凛々しいですね。

今に伝わるビロウのうちわ

体育館の壁に、あるものを見つけました。新日本紀行で紹介されていた、ビロウのうちわです!まだ残っていたんですね。傘もありました。

うちわを手に取ってビックリ!形がとても美しく、まるで芸術品のようです。思ったよりも軽く、あおぐと優しい風が吹きました。

1枚の葉を根元の部分から丁寧に広げて作られていました
涼し~い!!

思い出のチーズケーキ

再び分校の元給食調理員、築島真知子さんのもとへ。校舎の様子を見てきたことを伝え、当時の思い出話をもう少し聞かせて下さいとお願いしました。すると・・・

何やら出してくださいました
焼きたてのスフレチーズケーキ!
築島真知子
  さん

分校は子どもたちの人数が少ないので、給食の材料を大量に仕入れて原価を抑えるということができず、予算の都合でデザートを削っていたんです。それはさすがに子どもたちがかわいそうだと、月に1度、私がケーキや水ようかん、ゼリーなどを作って出していました。

特にチーズケーキには熱心なファンがいて、今でも「食べたい!」という卒業生が訪ねてくるので時々作ってあげるんだと、真知子さんは目を細めて話してくれました。すべての子どもたちが島を離れた今でも、真知子さんが子どもたちを変わらず大切に想っていることを感じ、胸が熱くなりました。

ふわふわのチーズケーキはとってもおいしかったです

島で暮らし続ける思いとは

かつて100人を超える人がいた島も、いまは築島さん夫婦ともう一組だけになっています。真知子さんも年齢による体の衰えにより、定期的に船で串間市内の病院まで通っています。子どもの声が聞こえなくなった島になぜ住み続けるのか、伺いました。

築島真知子
  さん

やっぱりこの海の景色がないとダメなんです。海から離れて住むと、数日で気分が苦しくなってきてしまうほどです。
自分が生まれ育った大切な島だから、無人島になって荒れ放題になってしまうのはやっぱり寂しいですよね。誰か入ってきてくれて、再び活気づいて欲しい。その時が来ると信じて、体力が続く限りは島に住み続けたいと思っています。

「元気なうちは、島を守っていきたい」

取材後記 ふるさとの島を大切にする人々の思いに触れました

「青爺」さんからのお便りをきっかけに始まった島への旅。歩けばあちらこちらに往時を偲ばせるものが残っていました。かつて子どもたちの声でにぎわった島の現状を知り、過疎高齢化が進む島国・日本の縮図を感じました。
一方で、やむを得ず島を離れた元住人たちも、いまでも島に思いを残していて、対岸の島を望むところに居を構えたり、海が見えるところに住んでいる人が少なくないということです。

アーカイブス映像に残された島の人たちの笑顔を見て、私もまた島ににぎわいが戻る日を信じたい気持ちになったのでした。

  • 内藤 雄介

    NHK宮崎 アナウンサー

    内藤 雄介

    2002年入局。静岡-岡山-神戸-広島-東京アナウンス室で勤務。瀬戸内の島々をはじめとした島巡りも趣味のひとつ。

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