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自分を見つめ 踏み出す一歩を 作家・西加奈子さんロングインタビュー

ことし、作家生活20年を迎えた西加奈子さん。

これまで一貫して書いてきたのは、「自分がどうあるかは、自分が決める」ということ。

3年前、滞在先のカナダ・バンクーバーで乳がんになり、改めて強く実感したと言います。

その体験も元につづった最新作では、現代社会でもがきながらも希望を見いだしていく人々の姿を描きました。

“あるべき姿”に縛られ息苦しさを感じる今の時代にこそ、“ありたい姿”や幸せのかたちを捉え直すことが必要だという西さんの思いとは。今を生きるあなたに西さんが送るエールです。

(聞き手 桑子真帆キャスター)

久しぶりの日本での暮らしを満喫

―3年間暮らしたカナダ・バンクーバーから日本に戻られて、1年くらいですか。

西さん

ちょうど1年ですね。12月15日に戻ったので、1年と10日ぐらい。

(※インタビューは2023年12月25日に行いました。)

―この1年は、どう過ごされていたんですか。

西さん

いや、もう日本を楽しみました。久しぶりの東京が本当に楽しくて。卵巣を取ったりはあったんですけど、それでも、すごく楽しみましたね。

―今の体調は。

西さん

いいです、すごく。

―卵巣も取られて、もう乳がんにまつわる治療は、すべて終わったということなんですか。

西さん

これからも経過観察はずっと続いていって、いろいろ検査もあるんですけど、とりあえず治療っていうのは終わりだと思います。

―ホッとしているという感じですか。

西さん

そうですね。完全にホッとすることはないんやろうなとは思うけど、日常生活が普通に楽しくて、楽しく健康的にできているので、それだけでも十分ですね。

―乳がん治療は、西さんにとってどんな経験でしたか?

治療中の西さん
西さん

なんか丸腰になりました。本当に何もない自分になって、あれはすごく貴重な経験やったと思います。まず英語もちゃんとできへんし、体力がなくなっていって、本当に1人じゃ何もできない。日本にいたときは、普通にしゃべれるし、お金もいただいているし、1人で何でもできるっていう自負がどっかであったんやと思うんですよね。でも、カナダに行ったらマジで何もできなかった。いろんな人に助けてもらわな生活できへんし、病気になったらよりそれが強くなって、そのときの清々しさったらなかったですね。「うわあ、私何にもない。でも生きている。生きているだけで価値がある」っていうか。あの経験はすごく大切でした。

乳がん治療の中でも小説を書く時間が必要だった

書店に並ぶ最新作

―最新作『わたしに会いたい』について、取材では「自分が自分として生きていける」「すごく強くなれる」といった感想の声が聞かれました。私も読ませていただいて、女性としての自分の体や生き方について、ものすごく考えさせられました。例えば、外見の特徴や内面の性格の特徴について、この特徴があるから私だと思うんですけど、それがなくなったら、私じゃなくなるのか。自分はそもそも何者なんだって、本当にあれこれ考えました。でも、決して自分を否定しなくていいんだなと思わせてくれた作品で、背中を押されました。感想の声を聞くと、いかがですか。

西さん

うれしいです。いろんな方の手に渡って新しいものになるので、本当に私が力をいただきますね。

―西さんのところにも、反響の声は届いていますか。

西さん

お手紙をいただいたり、カナダの友人で昔から読んでくれている子が、今回の作品について、「昔の西加奈子が戻ってきた感じがする」っていうふうに言ってくれたりとか。「これぞあなただっていう気がするよ」って言ってくれて、それがすごくうれしかったです。

―ご自身の中で、自分らしくないと思っていた時期があったんですか。

西さん

自分がどんな状態であっても自分なので、自分らしくない瞬間っていうのは、本当はないはずなんですよね。迷っていたりとかは、もちろんありましたけど、「自分はずっと自分やったな」という感覚はあるんです。でも、その彼女にとっては、彼女が好きになってくれた私の作品の、彼女いわく、「切れ味みたいなものが戻ってきた」と言ってくれて、「そうなんや」って、うれしかったです。

―確かに切れ味がありました。スカッとするところも、たくさんありました。

西さん

ほんまですか。ああ、うれしい。

―最新作はバンクーバーで乳がんの治療をしながら書かれた部分もあるということですよね。治療の様子は、ノンフィクション作品『くもをさがす』でも書かれていて、相当過酷なものだろうに、どういう思いで書き進めていたんですか。

西さん

あまり覚えていないんです。『くもをさがす』のときは、もちろんノンフィクションを書いているっていう感覚はなかったんですけど、書いていたときのことは覚えているんです。でも、『わたしに会いたい』は、改めて本になったときに、「うち、治療中めっちゃ書いてるやん」ってびっくりするぐらいで、つまり、書いているときにそんなにつらかった記憶もないんです。それは、周りにいた人たちが、私に時間をくれたからなんですよ。体調がいいときも、「あなたは何もしなくていい、あなたのしたいことをして」って、夫も友達も言ってくれて。だから書けた作品たちだっていうのは、もちろんありますね。本当に全然「つらい」とか、「書かなきゃ」みたいな感じじゃなくて、すごく自然に書けたものだと思います。

―やっぱり「何でもしていいよ」「好きなことしていいよ」って言われると、書く作業になるわけですか。

西さん

ね、なっていたんですね。本もめっちゃ読んでいたし、外を歩いたりとかはあるんですけど、やっぱり書いていたんやなって思います。自分にとっては、『くもをさがす』のようなノンフィクションだけではなく、フィクションを書くっていう行為もすごく必要やったんやと思います。

自分を味方にしたほうが生きやすい

―最新作の表題になっている『わたしに会いたい』という作品には、ドッペルゲンガーという、もう1人の私が出てきます。ドッペルゲンガーは、会うと死んでしまう怖いものという認識があるけれど、逆に、死から遠ざけてくれるもの、生きるための私のヒーローとして定義づけていますよね。新しい着眼点・発想だなと思ったのですが、どこから来たんですか。

西さん

元々、関西出身というのもあるかもしれないですけど、結構ツッコミ体質というか、もう1人の自分がいつもどっかにいる感じがあって、何かやったときに、「何やってんねん」みたいな。特に、作家になってからそれが顕著なんですけど、作家になるとたくさんの人の前でしゃべったり、「作家です」って感じで表舞台に出させていただくことがあるんですよ。そういうときに、自分がちょっとでもかっこいいことを言うと、「言ってんな~」みたいに言う、もう1人の自分がいるんですよね。それだけ聞くと、厳しいもう1人の自分みたいやけど、そのもう1人の自分がめちゃくちゃ自分には甘くて、「言ってんな~。でも、わかるで。頭よく見られたいもんな、このメンツやと」とか、すごく自分の味方をしてくれるんですよ。その感覚はずっとありました。


最近は時代の変化でなくなってきたと思うんですけど、昔は、いわゆるヒロインみたいな子が、ヒーローが現れて救われる、みたいなストーリーが結構あったんですよね。でも、「ヒーローを待ってなあかんのか」って。でも、自分がヒーローやったら自分次第やなって思って、そういうところから、「私に会いたい」って、私が来てくれたって思うと、すごく心強いだろうなって。

―西さんの中には、ヒーローがいると思えているということですか。

西さん

ヒーローほどかっこよくないですけど、優しいんです、自分には。自分はあかんところがいっぱいあるし、卑怯やし、うそついたりして、「ああ、やってもうたな」と思うけど、同時に「おい、やったな。やったけど、まあ分かるで。次からやめといたら」っていう感じの“仲間感”があるんです。極端な話を言ったら、親とか家族とか友達よりも、自分といる時間が圧倒的にいちばん長いじゃないですか。例えば、私は46歳なので単純に46年間離れたことがないって、「味方にせな、損やろ」というか、味方にしたほうが生きやすいんじゃないかなと。もちろん、自分に甘々になって、自分の欠点を見ないふりするのはだめですけど。いちばん自分と一緒にいる、よう分かってくれてるやつ、みたいな感覚ですね。

―めちゃくちゃうらやましいです。自分の中に、優しく寄り添ってくれる、「まあいいよ、しょうがないよ」って言ってくれる人って、みんないますかね?

西さん

桑子さんは、ご自身に厳しいんだ、きっと。私はめっちゃ甘いんです。でも、自分に厳しい人は多い気がする。「ええやん、本当にあなたはもう十分頑張ってんのに」とか「ちょっとずるいことぐらいするやろ」って言っても、「いや、許せない」って、自分のことは許せない方が多い気がします。「そんなことないのにな」って、うちは思っちゃいます。

―昔からそう思えていましたか。

西さん

いやいや、もう10~20代はジンジンなんで、皮膚が、自意識で。やっぱりかっこよく見られたいし、調子乗りたくないし。例えば、ほめられても、ほんまはそう思っていなくても、「私なんて、私なんて」って反射神経で言うみたいなところがあったんですけど、30歳を過ぎたくらいから、「30年自分とおんねんな」みたいな感覚が芽生えて、だったら、ほんまに自分の味方でいたいなって変わってきましたね。ほめられたら「ありがとう」って結構言うようになったんですけど、それで、相手が「いや、真に受けよった」みたいに感じたとしたら、そのほうが不幸じゃないですか。こっちは常に、「ありがとう」って言って生きていこうかなっていうのは、徐々に徐々に思ってきて。今は、特に、病気したのもあるかもしれないですけど、ほんまにもう自分のことをめちゃくちゃ愛して、大好きでって感じです。

―素敵!

西さん

嫌なところはいっぱいあるんですけどね、もちろん。直さなあかんところもいっぱいあるし、謝らなあかんところとか、ちゃんと向き合わなあかんところとかいっぱいあるとはいえ、「46年よう生きてきてるやん」っていうのは、めちゃくちゃ思います。

―『わたしに会いたい』の中で、主人公が絵を描くじゃないですか。あれが自分探しをしているように私には見えたんですが、西さんは自分探しをする作業って、何かあるんですか。

西さん

1日の終わりに、何も起こらなかった日ってないから、例えばちょっとでもイライラした日があったら、何でイライラしたのかを自分で突き詰めていく作業はしています。なかったことにせんと、「あれは何で腹立ったんかな」って、解体していくっていうのはすごくします。大体、「うわあ、そうなんや」みたいな、「そんな自分の感情は見たくなかった」っていうところに行くんですけど。でも、そこをずっと見ていたら、「自分、まあまあよう頑張ってんな」みたいに思えるんです。

―ちゃんと突き詰めて自分の心と向き合っているから、もう1人の自分が「あなたよくやってるよ」って言ってくれるんだろうなと感じました。

西さん

恥ずかしい気持ちとかって、巧妙に隠せるんですよね、何十年も生きてきたら。「違う理由で私は怒っている」みたいになるけど、実はすごく卑近なことで怒っていたり、怖がっていたりっていうのがあります。それを認めると、物理的に体に負荷がかかるんですけど、でも、「おお、よう認めた」みたいな気にはなります。「そっか、本当は嫉妬しててんな」みたいな。

―すごい。逃げてないですね。

西さん

逃げてないっていうか、そのほうが自分には向いているんですよね。そうでもしないと、とことんまで逃げてしまう。元々自分に甘いから。

乳がん治療で実感した「私の体は私のもの」

手術直後の西さん

―乳がんの治療中に、「あなたの体のボスはあなただ」と言われてハッとしたというエピソードも書かれていましたね。

西さん

日本の医療のイメージがあったので、自分は「がんです」って体を持って行ったら、お医者さんがすべて何とかしてくれると思っていたんですよね。そうしたら、「どうしたい?」って、すごく委ねられて、結構びっくりしたんですよ。でも、「いや、そらそうやな」っていうか。だって、「あんたの体ちゃうもんな」、「ああ、私の体や」って。「あなたたちはプロフェッショナルだから、私の命を救う手立てを、最善を尽くしてくれるけど、どうしたいか私が決めんのや、私の体やから」って、めっちゃ当たり前のことやったはずやのに、めっちゃ開眼っていうか、「ああ」ってなって、それは啓示的でした、すごく。

―でも、元々そういう考えを持っていたんじゃないですか。

西さん

持っていたはずですけどね。

―治療中に絶望することはなかったですか。

西さん

しんどかったし悲しかったし怖かったけど、美しいことだけじゃなくて、ネガティブな気持ちも自分の体で起こっていることじゃないですか。例えば、「めっちゃ怖いよな」って、乳がん患者同士で言ったとしても、絶対その怖さって違うんですよ。「怖い」ってことばを発明してくれた人がいるから共有できることはあるけど、絶対それって解体していくと、一人一人の怖さがあって、自分は自分だけの怖さをちゃんと見たかったんですよね。どう怖いのかって。だって私しか分からんのやから。その経験もすごくでかかったです。

―怖さを突き詰めるってすごくしんどい作業じゃないですか。それを自らするのがすごいですね。

西さん

怖さに目をつぶって、「えい、私、平気や」って乗り越えるほうが向いてなかったんです。そのほうが怖いんです。無視しているのを自覚しているから。「私、怖くない。私、怖くない」って生きていっているほうが自分は絶対無理が来るって分かっているから、「よっしゃ怖いな。めちゃめちゃ怖いな。どう怖い?」っていうのを、じっくり自分で小説読むみたいに、「よっしゃ、なるほど。こういうふうに怖いんや」って分かったほうが、私は進めるんですよね。だから時間はかかるんですけど。

たった1つの自分の体を取り戻す

―最新作には8つの短編が収められていますが、共通するテーマやメッセージはあるんですか。

西さん

どの作品もメッセージっていうのはないんですよね。伝えたくて何か書くというよりは、本当に自分勝手に書いている感覚はあるんですけど。決めずに書いていたら、やっぱり体のことになりました。特に女性の体のこと、体にまつわる話になった。自分の体がたった1つであるっていうこと、それがやっぱり共通しているかなと思います。

―西さんは表紙の絵もご自身で描かれていますが、今回の表紙のイメージは。

表紙の絵
西さん

いろんな皮膚の色がある体の木に、おっぱいの実がたくさんなる、みたいな。実際の絵ではおっぱいは1個ずつ別々に描いたので、取ってもええし、着けてもええし、みたいな。いろんな形や色が自由にあって、「いろんなおっぱいがあるよね」という感じの、コンセプトというほどじゃないんですけど、そういう感じで描きました。今回、体のことを書いたので、なんとなく自然に、おっぱいの実が落ちてきたりしたら、面白いなというイメージがあって、自然にできました。

―体をテーマにこれだけの作品を書いた自分は、どういうことをしようとしていたと思いますか。

西さん

特に女性の体って、ものすごく物語をつけられてきたと思うんですよね。価値という言い方もするし、呪いでもある。「こうであるから美しい」とか「こうであるから官能的である」とか。例えば、胸1つとっても、よく昔のポルノみたいな写真で、「もう見えてますやん」みたいな格好なのに、乳首だけ星マークで隠しているものとかありますよね。乳首は基本的に男女平等についていて、もし違いとしてエロスを感じるとしたら乳房やのに、乳房は見えているけど乳首を隠すのとか、そういうのが不思議で。別に、怒りからっていうよりは、単純に自分の体を解体してちゃんと見つめたい。ただの体でしかないから。よく、「女性の体であることが生きづらい」っていう言い方をするんですけど、女性の体であることそれ自体が生きづらいわけではないですよね。女性の体を持っていることで、社会的に何らかの役割を与えられて、そのせいで生きづらくなっている。じゃあ、その体って何なんやろうって、1回解体していくっていう感じやったんやと思います。

―自分の中で見失いそうになったことがあったんですか。

西さん

10~20代の若いころはそんなのばっかりでしたね。“かわいく”なりたかったし、胸がちっちゃいことがずっとコンプレックスやったんですよ。何でコンプレックスだったのか考えると、胸が大きい女性がかっこいいとかでもなくて、エロティックだと思っていた。お付き合いする方に「胸ちっちゃいから申し訳ないな」ってほんまに思っていたし。でも、「いや、よう考えたらかわいい、ええ胸やったよな」とか、今になったら思うのもあるし、そういうのを見直したいというか。それは渦中にいる人にはなかなか難しいと思うんですけど。もちろん、胸にアイデンティティーがあることがまったく悪いわけではないし、かわいくなりたいって思う気持ちが悪いわけではないけど、その気持ちがどっから来ているのかっていうのを考えたかった。ほんまに自分が望んでいることなのかとか、ちょっと分からなくなっていたので、1回ちゃんと考えたいというか。

―「外からこう見られたいからこうなりたい」っていう自分発信じゃなくて受身な理由によって、「自分がこうありたい」って思うのって、本当は悲しいことですよね。

西さん

ハッピーに、すごく素敵な人を見て、「わあ、ああなりたい」やったらいいけど、「ああじゃないと愛されませんよ」みたいな脅しには乗りたくないなっていう感じですかね。例えば、本を読んでくれた方に、「私こないだクマ取りしちゃったんです、もうありのままの姿じゃないんです」と反省している方がいたんですけど、それでその人がもっと素敵な自分になって、「やったあ」って思うんやったら全然いいと思うんですよ。うちもお化粧もするし、「この服、素敵やから着たい」って思うし。でもそれが、「これ取らんとやばい」「これ取らんと愛されない」とか、「こういう服を着ないと痛いと思われる」とか、そういうネガティブなものに変わった瞬間に、いったん手放すべきやと思うんですよね。

―『あなたの中から』という作品は、まさに女性として、周りからどう見られているかを考えすぎて、壊れて、でも最後は取り戻すというストーリーで、本当に最後に救いがあってよかったなと思ったんですけれど、あれは西さんご自身の過去の経験が反映されたものなんですか。

西さん

彼女ほど過酷ではなかったですけど、やっぱり多かれ少なかれあるんじゃないかなって思います、ああいう生き方。写真家の長島有里枝さんが、「彼女はサバイバーだ」って言ってくださって、それがすごくうれしかったんですけど、本当にそうだと思うんです。彼女の生き方は誰も否定できないし、彼女は彼女で一生懸命生きてきた結果、そうなっていった。私たちも「こう見られないといけない」とか「こうじゃないといけない」とか、どっかに絶対あると思うんですよね。それを1回、ねぎらいと言ったら変ですけど、「ようやったよ。ようやってるよ」と、自分にも主人公にも言いたかった。

―読み進めていって、どんどん自分を取り戻していくような気がしました。

西さん

うれしいです。この作品だけじゃなくて、自分の身体とか心とか、すべてを社会からいったん取り戻すっていうのは、共通して書いてきたことやと思うんですよね。「こうじゃないと社会で居場所はありません」というチェックリストみたいなものとか、あるいは「こういう自分で愛されるでしょうか」って、ジャッジを委ねていたような状態やったと思うんですよね。例えば、「私は今46歳で、こうで、こうで、こうで、こうなんですけど、社会的にどうですか」ってジャッジを、得体の知れないものに委ねているような。そうじゃなくて、生まれてしまったからには、自分はここに居てええんやっていうことを、ちゃんと確認したい。


これもすごく注意しないといけないんですけど、神聖で優しくていい人だから・正直だから、愛される・社会で大切にされる・尊重されるっていうんじゃなくて、どんな嫌な奴やろうが、生きているかぎりは尊重されるべきなんですよね。

―それは自分自身で確認したいし、読んでくれる人たちにも確認しようよっていうことですか。

西さん

結果としてそうなってくれたら、もちろんいいですけど、やっぱりメッセージではないので、読んでくださる方がどんなふうに思ってくれても、もちろんいいんです。でも、すごく大きい言い方だけど、いったん、すべての命は肯定したいというのはすごく思います。

自分を取り戻すために必要なこと

―今は、ギュッと自分が縮こまってしまいやすい社会だと思います。その中で、「自分は自分でいいんだ」って思い続けられるようにするのってすごく難しいと思いませんか。

西さん

特に、若い方は過酷やと思います。私たちももちろん、過酷な時代をそれこそサバイバルしてきたと思うんですけど。インターネットが発達して、個々の世界が細分化していったので、みんなが一様にうなずける1つの大きい「正しさ」があるわけではなくなったのはすごくいいと思うんですけど、同時に常に「こういうためにはこうしたらいい」って情報が入ってくるっていうのは、めちゃくちゃしんどいやろなって思います。「こうなりたい。イェーイ、ハッピー」やったらいいんですけどね。「こうじゃないと、私は愛されないんだ」とか、心ないことばを投げられたりして、「おまえはそうだからだめなんだ」みたいなこと言われるのってどんなにつらいかと思います。

―その中で、「自分は自分なんだ」って思い続けられるようにするためには、どういうことが必要なんでしょうか。

西さん

すごく変な言い方ですけど、「自分は自分なんだ」って思う必要はないぐらいだと思うんです。だって自分じゃないですか。傷ついているのも自分やし、その感覚って、もう自分でしかないやん。絶対に“自分性”から逃れられないなら、この自分というものをどれだけ喜ばしたるかちゃうの?と思います。


私は作家の金原ひとみさんの大ファンなんですが、彼女の作品を読んでいると、自分を愛さない権利もあると気づかされるんです。権利は全部、私たち側にあって、自分を愛する権利ももちろんあるし、私は愛する方をエンカレッジしているタイプやと思うんですけど、金原さんみたいに、愛さない権利もあるんだっていうことを言ってくれる作家もいて、それに救われる人も絶対いますよね。


大事なのは、本当に自分が思っていることなのか、思わされていないかということだと思います。この社会に居たら100%自分の意見であることは不可能やと思うんです、悲しいけど。絶対に何らかの影響は受けているし、親の影響もあるし。じゃあ、せめて自分はなるべく自分の気持ちの分量を多く取っとかへん?と思います。自分の気持ちを取っとくには、自分がどう思うか、自分がどうしたいか、自分が何が好きかをなるべくたくさん集めて、“自分性”を増やしたらええんちゃうかと思うんです。“自分性”を増やすには、やっぱり自分にちゃんと聞くことが大切で。例えば、誰かに「西さん、オレンジ似合うと思うで」とか「こんな仕事が向いていると思う」とか言われて、自分が気づかないような、向いている・似合うものはあるかもしれんけど、自分が何をやりたいかとか、自分が何が好きかってほんまは自分だけが知っているはずじゃないですか。でも、「今これが流行っているから、これが好き」とか、もっと怖いのが、「前からこれが好き」って思わされることはすごく怖くて。思わされているっていう意識もないっていうのが、私はすごく怖いので、とにかく自分はどうしたいか、自分は何が好きかっていうのを分かるためには、やっぱりなるべく情報から離れることやと思うんですよ。何をしているときの自分が楽しいか知るには、精神的な無音の場所に行くことが私にとってはすごく大切でした。

時間をかけて自分なりの答えにたどり着く

執筆中の西さん
西さん

小説ってたったひと言を言うために全場所に寄り道するようなジャンルやと思ってるんですよ。実生活でも、実はそれくらい時間をかけたいんです。何かの答えにたどり着くまでに、間違えて間違えてボコボコになってたどり着きたい。間違うことを恐れたくない。


最近は情報を得ることがすごくたやすいから、正しい答えにたどり着くのがめっちゃ速くなってしまっている気がして。だから、SNSをやっていないっていうのもあります。自分の中で特に転機だったのが、「Black Lives Matter(ブラック・ライブズ・マター)」(※2020年~黒人に対する差別の撲滅を目指し広がった運動)のときでした。自分が何かを感じる前に、自分の尊敬している人が何を言っているかを見ちゃうんですよね。例えば、チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ(※ナイジェリア出身の作家)とか、ゼイディー・スミス(※ジャマイカ人の母とイギリス人の父を持つイギリスの作家)とか、ロクサーヌ・ゲイ(※ハイチにルーツを持つアメリカの作家)とかの意見を見て、「そのとおり」みたいに思う。でも、私は自分のことを知っているので、「そんなはずない。絶対最初にこれは思ってへんやろ」って。もっと間違えて、間違えて、間違えて、間違えて、絶対もっと時間かかったはずやんって。でも、最初にそれを見てしまうと、「前からそう思っていた」みたいになる。それがめっちゃ怖いんです、自分がないやんと思って。そこから意識的にインターネットからちょっと離れようと思いました。ニュースを、なるべく新聞とかで見て、最初に自分がどう思うかを大切にしようと思っています。それが間違っていたとしても、小説的なやり方で遠回りして、遠回りして、間違ったって分かったうえでたどり着いたほうが、自分には残るんですよ。それはすごく意識的に変えました。まだ全然渦中ですけど。


インスタントにできる自分は自分じゃないんですよね、多分。もちろん新書とかで素晴らしいものはあるけど、目次をたどるだけで変わる自分は絶対自分じゃないって、私は思ってるんです。いろんな人がいて、もちろんそれだけでほんま劇的に変われる方もいらっしゃるけど、自分は時間がかかるタイプのはずやから。申し訳ないけど全ニュースを追えないし、でも、とにかく自分が自分なりの考えにたどり着くまでちゃんと考えるっていうことをしたいんですよね。自分として生きて考えたいっていうのはすごくあります。

―今って、本当にスマホを開けばすぐ答えが出る。

西さん

“答えめいたもの”がね。

―それを答えと思いたい自分がいたり、それで理解した気になって、1つ成長した気になったりする。それは悪いことなんですかね。

西さん

それは本当に人それぞれやと思います。本当に成長する方もいらっしゃるでしょうし。自分1人じゃないって思える人がたくさんいる、インターネットやSNSは、本当に素晴らしいツールやと思います。ただ、私に関して言えば、ちょっと速すぎる気がして。何度も言いますが、こんなに速く私は答えには辿り着けない。もっといろんな人と話していろんな意見を聞いて、間違ったことを言って、時にはけんかして、時間をかけて、「ああそっか、自分にはこういうことや」ってなるはずなんです。強調したいのは、この話も、今までの話もすべて主語が「I(私)」ということです。私の向き合い方のスピード感がこうなだけであって、人それぞれ違うのは当然だと思います。だから悪いとかいいとか、一概には言えない。

―どうして自分がそういうスピードの人間なんだと分かるようになってきたんですか。

西さん

そもそもこんなに小説が好きっていうのは、そういうことやと思うんですよね。ニュースは速さと正確さが売りですけど、小説を読むのって、ニュースとかインターネットで見るより、めちゃくちゃ時間がかかるじゃないですか。例えば、ガザの話や世界のニュースで、何人亡くなったというのを見るじゃないですか。でも、私は忘れちゃうんです、おぞましいんですけど。そのときはショックを受けて、「なんてことや」って思っても、2~3日たったら、「何食おうかな、きょう」ってなってしまう。もちろんそうじゃないと生きていけないというのもあるけど。でも一方、例えば、ガザの出身の方の書いた小説を時間をかけて読んだら、100人亡くなったときに、100人って塊がなくなったんじゃなくて、この分量の一人一人の人生が破壊されたんやということが、やっと分かる。それを感じるのに、私は時間がかかるんです。だから、小説がこんなに好きってことは、時間をかけて自分のものにしていくタイプなんやろなっていうふうに、自分は思えたのかな。

―SNSは何でも言えるからこそ、それが過熱して、ときに人を追い詰めて傷つけてしまう要素もはらんでいて、その危うさを私は感じるんですけど、どうご覧なっていますか。

西さん

どこにフォーカスするかですよね、素晴らしいツールではあるから。でも、そもそもツールって、人間の生活をよりよくするために発明されてきたはずやから、人間がハンドルするべきですよね。SNSを、自分の生活をよりよいものにするために利用する分にはいいけど、目に見えない画面の向こう側の世界に主導権を握られて踊らされてしまうようになったら、ちょっと手放したらって思うんですよね。SNSを見てハッピーになるんだったらいいけど、「SNSやらないとあかん、見とかないとあかん」ってなったら、もうそれって楽しくないですよね。

―西さんはそこに気づけたから、距離を置くことができたということですか。

西さん

やっぱり自分は自分性を高めたいので、自分の意見を考えたいっていう気持ちもあったんですけど、あとは、それよりも小説を読んでおきたいっていうのはあります。小説のほうが情報量は少ないけど、自分にとってはのちのちまで残るからっていうのがありますね。

―とはいえ、今、「みんなスマホを置こうよ」って言っても…。

西さん

無理ですよね!あんなに楽しいんですもん。

―無理じゃないですか。そんな中でどういうふうに自分を保ったらいいんですか。

西さん

いや、分からんな。人それぞれですもんね。でも、ほんまにちょっとでも離れられないですかね。今それも無理なんかな。離れることが無理やったら、もうこの話は無駄なんですけど、ちょっとでも離れて、まったく情報に触れてへんときに自分がどう思うかを感じたら、「うわ、なんか楽しい」ってなれへんかな。電波が圏外のところに行くのはワクワクしません?ワクワクせえへんのやったら、もうこの話はやっぱり無駄なんですけど。「誰にもつかまらへん」「私しかおらん」世界では、「私が見たものは自由に私が感じていい」じゃないですか。それって楽しくないですか?自分自身とやっと二人っきりになれる、ていう言い方もできるかもしれません。


あとは、何もかもシェアせんでええやんっていうのはすごく思っています。特に、美しいお話とかをシェアしてくれる方が多くて、そのおかげで自分は普通に生きていたら出会わなかった話に出会えていて、うれしいんですけど、「これはあなたが本当に自分だけのものにして、誰にも内緒で、そのまま一緒に最後に焼かれるべき美しいものじゃないの?」って思うときがあって。私はそれが結構あるんです。「こんな美しい思い出は、この場所は、誰にも渡さない」って。ちょっと欲深いんですけど、そのスペースに救われているところがあるんですね。本当にあなただけの場所、誰にも触れさせないものがあることって、今の時代とても大切なことなのじゃないかなと思います。

―電車に乗って、とりあえず何も考えず自動的にスマホを出すみたいなことが、いかに何かを失っているのかっていうことにまず気づかないといけないですね。

西さん

楽しかったらいいですけどね。笑っている人全然いないですもんね。自分もスマホ見ているときの顔はしかめ面ですもんね。それで自分がちょっとワクワクしたりしたらいいですけどね。もちろんめちゃくちゃ便利やし、私もめちゃくちゃお世話になっているし。ただ、「しんどい」って思うんやったら少し離れてみたらいいと思います。

正しさより優しさを大事にしたい

―若いころの自分から、変わってしまったと思うところはありますか。

西さん

昔の自分は、今より美しいことを口にすることを恐れていなかったですね。恥ずかしいことをいっぱいしたし、間違ったこともいっぱいしたけど、その当時の自分は間違うことも恐れていなかったし、美しいことを言う、友達に対して「大好き」と言うとか、そういうことを恐れていなかった気がします。


『わたしに会いたい』の中の一編『ママと戦う』に反映されているんですけど、作家としての私とか、大人としての私が、正しいことを言えているかどうかっていうふうに考えたときがあったんです。若いころはそんなことはなかったのに。当時、友達が容姿のことで人から悪く言われるって悩んでいたときに、私はその彼女に「あんたはかわいい、めちゃめちゃかわいい。そんなこと言う奴のことは気にすんな」って言っていたんですよ。それで、抱きしめていたんですけど、今思うとそれはやっぱり間違っていた。その子がかわいいかどうかではなくて、人の容姿をジャッジする社会がおかしいじゃないですか。そこに対して一緒に怒らなあかんかったし、かわいいとかじゃないし、抱きしめるっていう行為も、もしかしたら身体的な接触が苦手な子もおるかもとか、今やったらいろんな正しさを考えちゃって。


例えば、今、桑子さんが「私、何々に自信がなくて」って言ったときに、「そんなことない」ってすぐ断言できへんようになっている。「この場合の正しいことばって何だろう」って考えるのが、すごく嫌なんですよね。距離感ができるっていうか。それが特にコロナで大きくなった気がしています。転んだ人を助けに行けなかったじゃないですか、物理的に。そういう距離をとろうとする精神が自分の中にできてしまった気がしていて、誰かが傷ついているときに、手を差し伸べるより前に正しくあろうと先に思っているのがしんどくて。もしかしたらその子を傷つけるかもしれんし、間違っているかもしれんけど、とりあえず行って何かできたんちゃうんかなとか。間違うことを恐れるようになったのがすごく嫌で、それに今必死であらがおうとしている感じです。

他者が自分であることも認める

―西さんの作品は、自分は自分だと思わせてくれると同時に、他者をどう認めるかについてもすごく考えさせられます。『掌』という作品の登場人物のアズサがすごくかっこいいなと思っていて、決して他者を否定しないじゃないですか。みんながああいう人だったらどんなに社会はよくなるだろうと思いました。どういう思いで書き進めていたんですか?

西さん

先ほど言ったように、私が正しさにばかり目が向いて、優しさを忘れる瞬間があるというのが始まりっていう感じですね。アズサは、正しくはないけど優しい。正しさを目指していないけど、優しさを絶対に忘れない人っていうのを書きたくてアズサってキャラクターができました。

―西さんは、“他者性”ということばを使われますけど、ご自身の経験と合わせると、どういうふうに他者性というものを考えているんですか。

西さん

少し不思議な言い方ですけど、どんな他者も、本人にとって自分は自分じゃないですか。だから、いろんな「自分」がいる、世界にはただたくさんの「自分」がいるということじゃないですか。それに気づけるのって、やっぱり自分をちゃんとケアしてからやと思うんですよね。自分が自分のことをきちんと認識して、「自分の体って私のもんや、誰にも奪わせない」っていう状態にならないと、周りに目が行かへんのちゃうかな。今はそういう時間さえも奪われている気がします。とにかく「自分の体は自分のものや。自分の人生は自分のものや」っていうことを、本当に本当にちゃんと認識して、初めて他者に目が行くようになるんじゃないかなって思います。だから、本当はすごくちっちゃいところから始めるべきですよね、きっとね。

―ちっちゃいところというのは。

西さん

やっぱり自分を見ることじゃないですか。半径1メートルどころじゃない、半径0の自分で、「ああ、もう自分の人生ってたった1回や」って。それって、イコール、「あ、この人の人生もたった1回で、この人の体もたった1つなんや」って思うこと。私に関しては、そうしてからやっとつながっていきますね。

―よく家族や大切な人を大事にしましょうって言いますけど、その前に自分ということですね。病気の経験は、その考え方に何か変化をもたらしましたか。

西さん

私は子どもを40歳で産んだんですけど、授乳中は自分がドリンクバーみたいに思えて。子どもが来たらジャーって出るみたいな。どんどん体力も落ちるし、カルシウムもなくなったりして、自分の体が子どものために存在しているような気がしていたんです、ずっと。そのときは、子どももすごく無力やし、1人で絶対生きていけないから、一体化していたんですけど、病気になって思ったのは、あれはたまたま生きていく上でそういう状態の時期にあっただけで、どれだけ授乳してようが、どれだけ体を差し出してようが、私の体は私のものやったっていうのを改めて思いました。

逆もそうで、どれだけ非力で、1人で生きていけなくても、赤ん坊の体は赤ん坊のものやった。それは、母と赤ん坊の関係だけじゃなくて、例えば、どんなに人のヘルプが必要な人であれ、その人の体は絶対その人のものであることに変わらないし、どれだけヘルプしていても、誰かの体を所有できるとは絶対思ってはいけない。

―病気をしたから、当時の授乳しているときの自分を振り返ったということですか。

西さん

それもあったんじゃないですかね。やっぱり、自分の体は自分のものやっていうのを、こんなに感じた8ヶ月はなかったので。それはイコール、誰の体も所有できないということで。

―自分を奪われてもいけないし、他者から奪ってもいけないと強く思われるのはどうしてですか。

西さん

女性として生きてきて傷つくことが多かったし、自分が奪われているって思う瞬間がすごく多かったと思うんです、若いころは特に。でも、だんだん自分が年重ねていくと、「自分は完全に被害者です」だけなわけないとわかったんです。もちろん100%被害者である場面もあるけど、それが加害性を相殺しないというか、自分にも絶対加害性はある。間違ったことをいっぱいしたし、人をいっぱい傷つけたし、そういう側面も絶対忘れたらあかんなって思うようになりました。被害にあったときには、私の大切なものが奪われたって思うじゃないですか。じゃあ、私が加害に回ったときは絶対誰かの大切なものを奪っているんですよね。だから、すごくシンプルです。自分がやられたくないことは、人にしない。でも、そう考えていても絶対、加害性の上には立っているので、どれだけ注意してもしたりないと思います。

ことばにすることの怖さともどかしさ

―小説は子どものころからずっと好きで読んでいたんですか。

西さん

最初に読んだのは中学生ぐらいですかね。高校生のときに、トニ・モリスン(※アメリカの作家。1993年ノーベル文学賞を受賞)の『青い眼が欲しい』という本に出会って、世界が本当に変わりました。それまでは、音楽とか映画とか漫画とか、いろんなジャンルが好きやったんですけど、小説がそれを凌駕(りょうが)していく瞬間が訪れたっていうか、「なんやこれ」ってなりました。

―「なんやこれ」っていうのはどういうふうに、「なんやこれ」だったんですか。

西さん

これも難しくて。作家になったら、自分の人生を変えた1冊とか、100回ぐらい聞かれるんですよ。そのたびに、「トニ・モリスン」って言って、「なぜですか」って、限られた時間で答えていたら、だんだんモリスン漫談みたいなのができてきて、うまいこと答えられるようになってきたんですよね。でも一方で、10代で初めてモリスンに出会ったときの私って、そのすごさをまったく言語化できなくて、誰にも言えなかったんですよ。だから、ときどきモリスンの話をしていると、10代の自分が自分を見ているっていうか、「何うまいことしゃべってんねん」って、「私のストーリーやったのに、なんでおまえのストーリーにしてんねん」って言われている気がして、最近すごく心がチクチク痛むようになってきたんです。


それを踏まえた上であえて単純化してしまうと、私のためだけに書いてくれているような気がしたんですよね。それは、言語化できなかったとか、誰ともシェアできなかったっていうのが大きいと思うんですよ。小説って、一対一の作業というか、気づいたら読んでいるってことが絶対ないんです。音楽って、気づいたら聞いていたとかあるけれど、小説は能動的に読まないと絶対に世界に入り込めないし、しかも時間もかかる。もちろんモリスンは世界的な作家だと分かっていても、「これは私のものや」って思えたっていうか、すごい体験でした。でも、あの体験はもうあのときの私しかできへんって思いますね。

―無理にことばにさせようとして申し訳ないです。

西さん

いえいえいえいえ、それが仕事ですから。こっちも、うまいこと言えるようになっちゃうんですよね。

―でも、「それでいいのか」って言っているもう1人の自分がいるわけですね。

西さん

小説もそうなんですよ。すごく不思議で。言語化されていなかったものに形を与えて、ことばを尽くして、それを表現したいって気持ちがめちゃくちゃあって、できたときはもちろんすごく「ああ」ってなるんやけど、同時に、「そうやったっけ」って。ことばって呪いでもあるから、例えば、「寂しい」って言ったら、「寂しい」ということばに集約されちゃうのがすごく怖くて。寂しさだけじゃなかった、もっと言語化できない何かがあったはずやのに、こうやってまとめちゃっていいんかなっていう恐怖はいつもあって。それもあって絵も描いているんだと思うんですけど。ちょっと怖いって思うときはあります。もどかしいというか。

―でも、ことばにしていくのが仕事ですものね。

西さん

そうなんです。それもしたいし。「なんちゅう仕事や」って思うときあります。「何やってんのやろう」みたいな。

小説の持つ力

―西さんの作品に共通するのは、“ハッピーエンド”なのかなと思うんですけれども、ご自身は世代で言うといわゆる就職氷河期世代で、なかなか苦しい世代だと思うんです。そんな西さんがハッピーエンドを書きたいっていうふうに思い続けてらっしゃるのはどうしてなんですか。

西さん

自分がそういう特権の上にあったからだと思うんですよね。例えばどれだけ不景気でも、本当にハッピーエンドを信じられる環境にあったんやと思うんです。簡単に言えば恵まれてたんだと思います。


でも、作家になってすごく思うのは、たくさん作家がいて、それぞれの作品を書いているんですよ。ハッピーエンドを書く人ももちろんいるし、絶望を書いてくれている人もいるし、先ほどお話しした金原ひとみさんみたいに、愛さない権利を書いてくれる人もいるし。だから自分は堂々とハッピーエンドを書ける。私1人が作家やったら、そんなことはできないですよね。いろんな作家がいて、いろんな作品があるから、自分は全力でこれを書ける。多様な作家がいることがセーフティーネット、みたいな感じです。誰かを救いたいと思って書いているわけじゃないけど、自分の作品で取りこぼしてしまう読者の方がたくさんいても、その人たちは絶対誰か他の人の本で救われているんですよ。もし救われる作品にまだ出会ってない人も、ほんまに安心してほしいんですけど、なんぼでもあるんですよ、本は。読み切れないほどの本が世界中にある。私は何回も救われてきたんですけど、まだこれから出会う作品があるって思うと本当に心強いんです。トニ・モリスンが亡くなったときに、すごくショックで、結構不安定になっちゃって、「もう彼女の新作は読めないんだ」って思ったんですけど、トニ・モリスン性、トニ・モリスンのかけらみたいなものを持った作家が、今いっぱい出てきていて、彼女たちの作品は読めるんですよ。変な言い方やけど、「全然死んでへんやん」って。トニ・モリスンの新作は読めないかもしれないけど、彼女の匂いのするものいっぱい読めるし、本当に希望が途切れないんですよね。

―何か1つに出会えればいいということですか。

西さん

そうです。絶対出会えるんです、時間がかかっても、絶対に。それは本当に約束できる。ただ出会ってないだけと思います。世界中のいろんな作家のことを考えると、作家としては「すごい地元の先輩いるんで」みたいな感じで心強い。「西さんの作品は好きじゃない」って言う方も、もちろんいっぱいいるじゃないですか。「そうなんや」って落ち込むけど、「だったらアーヴィング先輩(※ジョン・アーヴィング:アメリカの作家)いるんで!めっちゃ強い先輩なんで!」みたいな感じっていうか。もちろん、アーヴィングのような大御所だけではなく、「こんなすごい新人いるんで!」みたいな、そういう感じです。

―現代社会において小説の持つ役割ってどういうものだと思いますか。

西さん

そもそも作者として役割っていうことを考えることがあんまりないんです。私に関して言えば、本当にエゴイスティックに、好きなものを書いているので。でも、読者として言えば、まず、このめちゃくちゃスピードが速い時代に、小説を読むっていうこと自体がカウンターになっているっていうのはありますね。物理的にどうしてもゆっくりのペースになっちゃうのは、小説の持っている大きな特徴だし、あとは、何度も言いますが、誰ともその時間をシェアできないんですよね。一緒に映画見たり、一緒にライブ行ったり、一緒に絵見たり、同時にシェアできることが多いけど、小説だけは能動的に1人っきりでその世界に入らないと受け取れないんですよね。だから、めちゃくちゃちゃんとした孤独を味わえるし、ちゃんと自分のペースを維持できる。こんな時代が来ると思わんかったけど、今は小説を読んでいるだけで、なんとなく時代にあらがっている気がしますよね。

―それは思いますね。休日に本しか読まない日って、「自分ちょっとかっこいい」って。

西さん

今日1回もスマートフォンを見ずに小説を読んでいたって、めっちゃレアな日になっていますよね。昔はそれが普通やったのに。

―ハッピーエンドの話で言うと、西さんの作品の中でも『夜が明ける』は、とにかく苦しい現代社会を書いているじゃないですか。仕事に忙殺されて、人と違うことに苦しんで、もがいてという、読んでいて本当に苦しい、でも共感する作品だと思うんですけど、あの作品に対しては、どういう振り返り方をされますか。

西さん

本当にあの作品も、自分が自分のために書きたい、書かないとって思ったところはあります。私は貧困当事者でもないですし、ブラック企業で働いた経験もないですけど、フィクションの力を借りても絶対書きたいって思った作品でしたね。

―最後のほうに完全なハッピーエンドではないですけど、「助けを求めていいんだ」っていうメッセージがすごく強く響いて、あれはやはり強く思ったことですか。

西さん

助けを求めていいっていうのもあるし、自分の悲しみとか自分の苦しさを人と比べなくていいっていうのは、ここ最近の話ではなくて、前からすごく思っていたことなんですよ。いろんな国に住んだわけじゃないけど、特に日本人にその傾向が多い気がして。「あの人に比べたら、私は恵まれているので、頑張らせていただきます」みたいな。究極的に人間性を剥奪されないと「しんどい」って言ったらあかん、みたいな感覚が年々強くなっている気がして、そんなことはないっていうのは強く思ったことです。もちろん「私が世界でいちばんしんどい」って言う必要はまったくないです。でも、自分のしんどさは、世界にたった1つのしんどさやから、きちんと精査されるべきだっていうのをすごく思いました。

一人一人が自分の人生を歩めるように

―2024年はどういう年にしたいですか。

西さん

桑子さんは、どういう年にしたいですか?

―笑顔が多い年にしたいですね。

西さん

自分の?

―自分の。まず自分が笑わないといけないなって、今すっと出てきました。西さんのお話を伺ったら、やっぱりまず自分が笑わないと、相手を笑わせられないなって。もう今すごくすっと思いました。ありがとうございます。

西さん

素晴らしい。

―西さんは、いかがですか。

西さん

ほんまに正直でありたいですね。それは2024年だけじゃなくて。正直に自分のペースでやりたいっていうのはあります。

―今後書いてみたいと考えていることはありますか。

西さん

正直に自分が今書きたいものを書くって感じですかね。あんまりそのテーマとか考えずに、何か気になることがあったら、とりあえずそれを何となく書いていって、それが小説になったらええな、ぐらいの感じです。

―これまでもそういう書かれ方をされてきたんですか。

西さん

若いころはもっと腕まくりをしていたときとかあったと思うんですけど。

―これについて書こうっていうことですか。

西さん

そうですね、あんまり覚えてないですけどね。多分あったと思うんですけど、そういうのが本当になくなりましたね。自分のペースでやらしてくださいって。自分のペースで正直にやっていく。

―この社会に対しては、どういう年になってほしいなっていう思いはありますか。

西さん

格差の問題やマイノリティへの視線など、社会全体が不寛容になっているっていうのは感じます。一人一人に会うとめっちゃくちゃ優しいし、美しいですよね、すごく。それが、社会という固まりになると変容してしまう。社会を変える、と言うとスケールの大きなことに感じますけど、社会を作っているのは一人一人、個人ですよね。ほんまにおこがましいですけど、少しでもたった1つの自分の人生を、一人一人の方が大切に歩めるようになればいいなっていうのはすごく思います。

―そのためにできることってどんなことでしょう。

西さん

やっぱり自分の体は1つやっていうことを、とにかくしつこいほど感じること。私は治療中、お風呂に入っているときに、自分の体を撫でて言い聞かせてました。「よう生きてきたな、すごいな」って。そして、自分の体が1つしかないことに、毎回驚いていました。例えば一点ものの美術品にめっちゃ価値があるのは分かるんですけど、自分らの体も、一点ものって言ったら一点ものですよね。たった1人ですからね、本当に。アホみたいなことを言うけど、たった1人の、たった1つの人生なんですよ。それってすごくないですか?

―希望をもらえる作品をぜひこれからも楽しみにしています。

西さん

ありがとうございます。

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担当 「クローズアップ現代」取材班の
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みんなのコメント(37件)

感想
サマンサ
40代 女性
2024年1月27日
このクローズアップ現代を見て、ハッとしました。自分と丁寧に向き合えているか、人から見える自分を気にし過ぎて無いか、自分に問いかける時間を持つようになりました。そして、新刊もじっくり読んで、読み終わったあとはあたたかい気持ちにもなりました。
あと、最近は本や雑誌も携帯やパソコンで読むことが多かったので、本を久しぶりに買って、重みとか紙をめくり進める感触が良かったです。
感想
匿名
50代 女性
2024年1月23日
西さんは人間としての立ち位置というか、志が高い人だと思う。カナダで乳がんに罹患した小説というか、ノンフィクションもいかに西さんを慕う人が多く、手をさしのべてくれる人が多いことがわかる。そしてお金もあり、作家としてのポジションもある。人間が誇りと満足感を持って生きてゆくに十分のものを持っていることを感じた。
今回のインタビューもやはりそういったあらゆる方向での愛情や慈しみを感じた。西さんの考え方はとても美しく、気高い。つい自分の性格や環境と比べてしまい、多少複雑な気持ちになった。同時に、他人をうらやむばかりではなく、自分自身がもっと素直に前向きに生きていけるように努力することも、いまの私には大切だと思った。
感想
桜子
70歳以上 女性
2024年1月22日
録画して見直しも、活字で読むとやっぱり、メッセージが心に入ります。本当に良い時間でした
感想
頭痛持ちの三毛猫
50代 男性
2024年1月22日
作家 西加奈子さん
お名前は存じておりましたが、初めてトークをお聞きしました。

私54歳 うだつの上がらないサラリーマン。
出世街道を外れて、どんどん年下に追い越されおり、会社でも家庭でも浮いた存在になりつつあります。
今回の番組を拝見して、西さんのお人柄もそうですが、人間くさいというか。遠い昔に忘れてしまっていたものを思い出したような感覚になりました。

ありがとうございました。
お昼ごはん代節約して本買いますね。
感想
がみぱん
40代 男性
2024年1月21日
私は逆に共感が持てなかったです。
衣食足りて礼節を知るなどと言いますが、ささやかでも少しだけ贅沢程度のお金と能力そして身体が足りてこそそのような思考を保てるように思います。
しかしながら生活が不安定でいつ再発するかわからぬ障害を持っていると自分の体を取り戻すとか自分は自分で良いなんて思えないと思います。
とはいえ西さんのようなラッキーな方はそのように生きればいいと思いますし、私は明日を呪いながら毎日を過ごします。
感想
てん
50代 女性
2024年1月20日
癌経験者です。西さんの仰る通り患者ひとりひとりで痛みも悩みも怖さも違う。6人部屋で自分がいちばん辛いと思っていてもとても言えないし、他の人が経過が良かったり面会が多いことを妬むような気持ちはずっと封印していました。髪が抜けたこともそうでした。自分によく頑張ったなと言ってあげたい気持ちになりました。
感想
なのはな
50代 女性
2024年1月19日
カラダに沁み渡る。言語化してくれて、有難う。西さん、インタビューを受けてくれて有難う。

満足した番組でした。
感想
小雪
40代 女性
2024年1月18日
西さん、元々とても好きな作家さんなので、インタビューを放送時に70歳を過ぎた母と拝見しました。癌という大きな病に対して、怖さを知りたいと仰っていたこと、すごく勇気のある方だと思いました。自分も自分の中の様々なことを見つめて、西さんのように強く逞しく生きていけたらと思いました。母もすごいなぁと言いながら観ていました。幸い、私も母も大きな病なく生きてこれましたが、これから死ぬまでどのようなことが起きるかわかりません。西さんの考え方を参考に生きていきたいです
感想
ぼちぼちと。
50代 女性
2024年1月17日
朝イチに出演された西さんのトークに涙し、この対談でも同じように 深く頷きながら 自分を見返す機会をまた頂いた。これまで、テレビで これ程までに真っ直ぐ「自分の体を褒めてあげよう。あなたの身体を誰もジャッジなどさせる必要はない。まして広告の脅しに乗ることなんかない」と発言した人がいるでしょうか。どれほど多くの女性が勇気付けられたことでしょう。よくぞ言ってくれた。自分を知るのは自分。時間をかけてできるだけ好きになれるよう 私も頑張ってみよう。
感想
菜乃花
20代 女性
2024年1月17日
西さん、また素敵な作品を書いてくださり、ありがとうございます。早速、拝読しました。これまでもたくさんの作品に力をもらっています。今回のインタビューも拝見し、西さんがデビューから一貫して発信されている自分の体や意見は自分のものであり、その在り方は自分で決めたら良いというメッセージは、とても共感できることだと感じました。自分のままでできることを頑張ったら良いんじゃないかなと考えます。
感想
masachi
50代 男性
2024年1月16日
50代会社員です。西先生の考え方に共感しました。社会を作っているのは一人一人…。確かにそうですね。一人で出来る事は僅かかもしれませんが、その一人が少しでも変わる事で何かが始まるのであれば…。今度改めて作品を拝見させていただこうと思います。
感想
北龍堂
70歳以上 女性
2024年1月16日
「くもをさがす」年が明けて、読み出したところでした。
 桑子さんの優しく話される人柄に引き込まれて、西さんが誰にもわかることばづかいで答えてくださり、又次の作品を楽しみにしています。
感想
ユキちゃん
70歳以上 女性
2024年1月16日
このとしになっても、生き方がこれでいいのかしらと、いつも自分に自信が持ててないなぁと思っていたけど、若い西さんのお話しを聞いて、楽しくいきなきゃと、ホントに力をいただきました、本もよみたいとおもいます 
感想
ちょす
2024年1月16日
素晴らしい。TVの放送を視聴したときには「?」だったことや、このインタビューの全容を読んではじめて「こういう問いに対しての答えだったのか!」など腑に落ちることが多かった。
TV番組では放映時間も限りがあるため、せっかくの対談内容を編集でカットせざるを得ないところもあっただろうが、こうしてその内容をじっくり読めるのはうれしい。
対談ならできればTV番組でも、ノーカットで放映してほしいが、それが難しいのであれば、長くてもこんな感じで読めるようにしてほしい。
感想
とし
60代 男性
2024年1月16日
西さんの「どれだけ非力で、1人で生きていけなくても、赤ん坊の体は赤ん坊のものやった」のコメントで、若い頃に読んだ「母よ!殺すな」横塚晃一著、「母親の殺意にこそ─重症児殺害事件の判決を終わって」をふと思い出しました。
今は昔となりましたが、重度の障がいを持つ子どもの将来を母親が悲観し殺害、世の中は減刑嘆願運動をした事件。
感想
ユキちゃん
70歳以上 女性
2024年1月16日
このとしになっても、生き方がこれでいいのかしらと、いつも自分に自信が持ててないなぁと思っていたけど、若い西さんのお話しを聞いて、楽しくいきなきゃと、ホントに力をいただきました、本もよみたいとおもいます 
感想
ずー
30代 女性
2024年1月16日
適応障害と診断され、休職中です。この記事を読み、私も自分と二人きりになって、向き合う勇気をもらいました。また、いろんな作家がいるから自分の書きたいことを書けるという話で「いろんな人がいるから、自分はこういう人でいないとダメだ!じゃなくて、自分は自分でいて、自分が他の人を救えないところは他の人がしてくれるんだな」と思えました。特に人を支援する仕事ではそうだと思います。
西さんの作品にたくさん救われています。記事にまとめて頂き、ありがとうございました。
感想
ピー子
70歳以上 女性
2024年1月16日
昨今は、スマホでいろんな情報がすぐ入り、情報の渦の中で溺れながら、鵜呑みにしている私です。
深く考え、自分であればどう感じどう思うか、そしてどうしたいか、どうありたいか、自分は自分であり、主体は自分なのだと、自分の心の奥の自分と対話し、これからは自分らしさを出して生きていきたいと思いました。
ありがとうございました。
感想
フーミン
60代 女性
2024年1月16日
私は、今67歳ですが、いつも安易な方を選んできました。
生きるか死ぬかの経験も無く、今は、精神的に落ち込んで、仕事も出来なく、生活保護で生きています。
テレビを見て私は、私自身をみてきたのかと考えさせられました。今でも、自分自身が自分を一番嫌いで、好きに慣れません。たった一度の接触で、アメリカ人との一人息子を産む。自分の両親の養子としなければならず、その息子もパニック障害で、生活保護を受けている。母とは見てもらうず、姉として接しています。
私も私としてどう生きたいかを考えようか思います。
有り難う御座います。
感想
食いしん坊
50代
2024年1月16日
現代の世の中は、若者に限らずすぐに正解に辿り着くご時世、そして人からどう見られるか常にアンテナを張らないといつ攻撃されるか、またその逆もあり得るので自分自身の在り方すら周りの様子を伺いつつ決めていく、というなんとも大変な社会に生きていることに気づかされました。
とりあえず西さんの最新作を読んでみようと思います。
大変興味深く拝見しました。
ありがとうございました。
感想
桜獅子
70歳以上 男性
2024年1月16日
西加奈子さんのお話を、初めて聞いた75歳です。感動…目から鱗…やっと僕の言いたい事言ってくれた人に出会った…
もう、とっくに諦めていた事、諦めなくていいんだ…自分の思う自分でいていいって、…自分ではずっとそう思いながら、違和感に埋め尽くされて生きて来た僕には、何と言う福音であったことか…ありがとうございました♪♪♪改めてご著書を読ませていただきます。
感想
グラタン
40代 女性
2024年1月16日
西さんの作品はサラバが一番好きですが、がん治療という大きな経験をされた後の最新作も読んでみたくなりました
提言
三浦
50代 男性
2024年1月16日
とても参考になりました。いい女性作家だと思います。他人に影響与えるのですから。要するに自問自答大切さ訴えてるのだと感じました。他者意見も大事ですが最後は自分でどんな事も決める賛成です。失敗しても自分で尻拭いすればいい訳ですから。解答丸写しは簡単。情報振り回されず社会情勢現象冷静分析大事だと共感。自分はどう成りたいのか?1歩踏み出す勇気、不安葛藤トラウマ人間の証。目標持った人間が勝つ時代だと思います。意識してはみ出したいです。
感想
あみ
19歳以下 女性
2024年1月16日
やっぱり作家さんってすごいなと思いました。いつも私の心の奥底にあるものを言語化してくれて、こう思ってるのは自分だけじゃないんだと思わせてくれます。この記事でもすごく共感できるところがたくさんあって何度も涙が込み上げてきました。自分の本音を言おうとすると泣きそうになったり上手く言葉が出てこなくなることがよくあるのですが、西さんのようなたくさんの素晴らしい作家さんたちに私の言葉をいつも代弁してもらっています。
どうかこれからもずっと西さんの言葉を書き続けてください。応援しています。
感想
ミーコ
70歳以上 女性
2024年1月16日
私は現在74歳にもなるのに未だに己れとの闘いです。今夜西さんのお話しを聞いて そうか。そう言う考え方 当たり前のことなのに教えてもらわないとわからなかった って自分の脳なのに…もっと西さんの本を読みます。そして明日から煩悩のかたまりの私を今風にアレンジして軽やかに生きよう。ありがとうございます。お身体を大切に益々のご活躍を願います。おやすみなさい
感想
ララハッピー
60代 女性
2024年1月16日
自分の体は 1点もの…この言葉が とても印象的でした。本当に その通りです
自分を生きる…今の私のテーマなので 西さんのお話は まさにジャストフィット!背中を押されました これから作品を読みます。
感想
りちのしらべ
50代 女性
2024年1月16日
涙がすーっと出てきました。
50才になり、私が私でいいのだと少しずつ思えるようになりました。ここまで来るのに紆余曲折ありました。ぶつかってばかりの自分に嫌気がさすこともありました。ですが、この番組を見たあと、そんな私に「お疲れさま。よく頑張ったね。そして、これからもどうぞよろしく」と言ってあげようと思いました。そしてたくさん、たくさん自分のことを褒めてあげようと思いました。この番組を見て、たくさんの気づきを得ました。本当にありがとうございました。
感想
ヒロリン
60代 女性
2024年1月16日
とても西さんの生き方大好きです。私は、今63歳ですが周囲には、とても社交的でとても明るいと言われてきました。3人の子供達も皆良い伴侶に恵まれて幸せな結婚をしています。ですが、最近配偶者ができ、環境も違いお互い協調する中で、皆が集まった時お母さんが話し過ぎると苦言を呈されて相手の事をしっかり聞いてあげるべきと言われました。その事で酷く自信が無くなりましたし、なんか今自分から子供達が遠ざかってしまった様に感じたのです。それから、酷く自分自身に戸惑いが生まれました。でも、西さんの話でなんだか晴れやかな気分になりました。
体験談
akishann
60代 女性
2024年1月16日
乳癌を通して、自分が自分である事を徹底的に向き合われたという体験をお伺いして、今乳癌の手術をして入院中の友達の体験と決断を重ね合わせて受け止めさせて頂きました
感想
shichan
60代 女性
2024年1月16日
西さんの考え方実感してます
私は5年目にして癌の遠隔転移が見つかりました。今年で完治と甘い考えを持っていました。転移がわかったのが5年目で良かったと今は思えます。5年目過ぎてたら治療にできなかったかもしれないからです。西さんの自分は自分よく分かる。組織内で仕事をしていたときは人の眼ばかり気にしていましたが、癌に罹患し定年を迎え組織というしがらみと海外に行くことで何でもありだよねと思うようになってから二人羽織から解き放されて、毎日、寿命更新と笑って過ごしています。無理していた人付き合いも切り捨てることで本当に楽に過ごしてます。治療中のため味がわからなくなったことがストレスですが、それも楽しいとレシピ本とにらめっこです。素敵なインタビューありがとうございました!
感想
四葉と話すネコ
50代 女性
2024年1月16日
ずっと気になって居るのに 一度も読んで居ませんでした。早速 読みます。
私も 50代になってから手術や入院を経験しました。入院中は本当に色々考えて 自分の命と向き合えました。今の人生を苦しいものにするか、楽しいものにするかは自分次第なんだよな、もう少し自分を好きになりたいなと感じて居たので 読むのが楽しみです。ありがとうございました。
感想
なんちゃって論理派
50代 男性
2024年1月16日
西さんの考え方、とても素敵だと思いました。私は周囲の人に自分の考えを押し付けがちでした。西さんのお陰で、もう少し相手に寄り添った対応が、できそうな気がします。そして比較的完璧主義な自分にも、もう少し甘めになれそうです(笑)西さんの新刊を早速読んでみます。ありがとう御座いました。
感想
ノリノリ
50代 女性
2024年1月16日
なんとなく気になっていた作家さんなので、作品を読んでみたくなりました。
図書館に行きます。ありがとうございました。
感想
こころ
70歳以上 女性
2024年1月16日
西さんの話、始めて聞き入りました。私も自分の中に叱る自分や良いじゃんそれでと許す自分がいて、良いんじゃないと言う考えです(笑)自分が楽しければ人にも優しくなれます。人生楽しみましょう
感想
タカシ
50代 男性
2024年1月16日
まったく、当たり前で特別でもないごく自然な考え方や思い方、それが当たり前。
そうや、そうやった!何事も、あえて難しく考え思っていた。と気付かされました。毎日の、自分の感情を解体して構造を確かめたいと思いました。できれば全て記録し、再生したいと思いました。
感想
カッチン
60代 男性
2024年1月16日
途中から見ましたけど、興味もちました。
感想
みっいぇんえ
60代 男性
2024年1月16日
司会者がいつになく生き生きしていて凄くよかった。こちらは心地よい
有働さんに感じたものがある。
勿論、作家の自分を見つめられる力が何より凄さがあった。