「クローズアップ現代」放送30年 国谷裕子×桑子真帆 ~激動の時代を越えて~
今年、30年を迎えた「クロ現」。1993年の放送開始から23年間キャスターを務めた国谷裕子さんがゲストとして初登場し、桑子キャスターと共に“激動の30年”と“現在の危機”とのつながりを紐解きました。
☑ちょうど30年前、和平に向けて歩み出していたイスラエルとパレスチナは、なぜ今の状況に陥ったのか?
☑地球温暖化がもたらした深刻な気候変動…科学者たちの“警鐘”はなぜ届かなかったのか?
国谷さんは、世界が危機意識を共有することの重要性を指摘するとともに、「メディアには、多くの人々を巻き込んで、変革を駆動していく役割を期待したい」というエールを送りました。
(聞き手 桑子真帆キャスター)
- 7年ぶりの「クロ現」スタジオ 「不思議な感覚」
- イスラエル・パレスチナ問題 「これが解決しない限り、世界の安定はない」
- “和平に向けた歩み” なぜ挫折したのか
「武力による解決は、本当の意味の解決策にはならない。むしろ、不安定化させる」 - 対立する双方の“つなぎ役”に
「誰に対しても“フェア”に問う」 - “忘却”しないためにー
「現場で感じた“違和感”を伝え続け、無関心に抗いたい」 - 気候変動 なぜ事態の悪化は止められないのか
- 日本は変われるか?
「若い世代に科学的に明らかになっている事実、きちんと伝えていかなければならない」 - 危機を乗り越えるために
SDGs(Sustainable Development Goals)=持続可能な開発目標 - 私たちにいま求められている視点は
「“ありたい社会・ありたい地域”を目指して、合意形成を」
7年ぶりの「クロ現」スタジオ 「不思議な感覚」
――あらためまして、このスタジオ、久々ですよね。
そうですね、番組を離れて7年たちますので、ずっと23年間「クローズアップ現代」を担当していたスタジオにゲストとして戻ってくるのは、非常に不思議な感覚もありますが、今日のテーマが「パレスチナ問題」と「気候変動問題」という番組が継続して取り上げてきたテーマですので、キャスターとして伝えてきた視点からお話しできればと思っております。
イスラエル・パレスチナ問題 「これが解決しない限り、世界の安定はない」
――まずは「パレスチナ問題」を見ていきたいと思います。今年10月のハマスによる奇襲攻撃は世界を驚かせました。そのあと、犠牲者の数は膨らむばかりですが、この現状をまずどうご覧になっていますか。
あまりにも凄惨な状況が続いていて、「どうして誰も止めることができないんだろうか」と思ってしまい、胸が痛みます。10月7日に、ハマスによるイスラエルのテロ攻撃が起きて、あまりにも残虐なテロ行為、断罪されるべき、人権にももとるものだと思います。しかしそのあと、イスラエルによってハマスをせん滅させるのだということで、激しいガザへの攻撃が続き、多くのパレスチナの民間人が犠牲になって、その半数以上が子どもと女性であるということ。そして、まるで人々がイスラエル軍に追い立てられるように南へ南へと避難しなければいけない状態を見ていて、これはあまりにも国際人道法違反であるにもかかわらず、停戦に向けた道筋を国際社会が描けないでいる。国際社会が長年規範としてきて築き上げてきたことが、目の前で破られていることに、非常に大きな衝撃を受けています。
――「クロ現」もガザから出ることができない人たちとつながって、内部の状況を伝えてきましたが、日を追うごとに事態はどんどん深刻になっている。なぜここまで深刻になってしまったと考えていますか。
国連のグテーレス事務総長は、10月末の国連安全保障理事会で「ハマスによる攻撃は理由もなく起きたわけではないことを認識することが重要である。そして、パレスチナの人たちは56年間息苦しい占領下に置かれてきた」と言っているんですね。これは1967年以来、イスラエルの占領が続く中で、こうしたことがいつ起きてもおかしくない状況になっていたということだと思います。パレスチナのヨルダン川西岸地区では、パレスチナの人々の土地にイスラエルが入植地を拡大していました。ガザ地区では、人々が自由に行き来することができない封鎖された状態が続いていて、失業率は5割近く、そして、若者たちは自己実現する機会を奪われた状況になっていた。パレスチナ問題は、中東のみならず、「これが解決しないかぎり世界の安定はない」とずっと言われてきたんですけど、結果として、世界はこの重要性を忘れていたのではないだろうかと思っています。
“和平に向けた歩み” なぜ挫折したのか
「武力による解決は、本当の意味の解決策にはならない。むしろ、不安定化させる」
――かつては対話による和平を望んでいていた人でさえ、今はもう絶望的になってしまっているという現実があるわけですが、ちょうど30年前「クローズアップ現代」の放送が始まった93年には「オスロ合意」がありました。そのときに世界を包んでいた空気がどういうもので、そうした中でどういう思いで伝えていたんですか。
(※オスロ合意=1993年9月、イスラエルとパレスチナの二国家共存の道を開くため、イスラエル軍が占領地のヨルダン川西岸やガザ地区から撤退し、パレスチナ側が暫定的な自治を始めることで合意)
今では憎しみが双方に植え付けられて、対話の機運が全くないままになってしまいました。信じられないかもしれませんが、30年前に番組が始まった年、国際ニュースで最も重要なニュースとなったのがオスロ合意でした。双方に、「和平に向けて歩みたい」という機運、高揚感が確かにありました。共同宣言が調印されたその夜、「クロ現」の放送時間を延長して伝えました。ゲストとしてお迎えしたのが、イスラエルとパレスチナ双方のジャーナリスト、中継で参加してくれたんですけど、私は「ハマスなどの過激派を抑えることができますか」とか、「最大の焦点となっているエルサレムの帰属問題について解決できますか」などの質問を投げ掛けたんですけど、それぞれが同じように、「考えの違う人々、そして宗教の違う人々とこれからは共存していくのだ、二国家共存に向けてあらゆる可能性を模索しなければいけないのだ」と話していまして、和平に向けた機運、希望というのを語ってくれたんですね。ただ、スタジオにいたゲストの専門家は、「和平の機運、希望を民衆の間に浸透させていくためには、国際社会の支援が必要である」とおっしゃっていたのも印象的でした。
――当時から、「国際社会の支援が必要だ」と指摘されていたわけですね。
そうですね。やはり支えていかなければいけないと言っていたわけですね。ですから、確かにあのときあった、「和平に向けて歩んでいこう」という機運を、どうすれば継続させていくことができるのかという思いが、その後、パレスチナ問題を番組で取り上げるときに、ずっと私の心の中に残っていましたね。
――ただ現実は、今に至っても和平は実現されていないわけですよね。国谷さんは23年間、このパレスチナ問題も含めて、世界がどんどん不安定になっていく様子を見つめてこられて、どういうことを感じてこられたんですか。
和平の希望から始まって、憎悪と復讐の連鎖が始まっていった23年だったわけですけど、その23年の間に起きたのが、2001年9月11日のニューヨークでの同時多発テロ事件でした。このテロ事件を受けてアメリカは、アフガニスタンのタリバン政権を倒します。そして、大量破壊兵器を持っているとして、イラクのフセイン政権を倒すことになりました。こうした武力による行動というのは、世界というものをより不安定化させていくことになったわけです。パリ、ロンドンなどでもテロ活動が活発化し、そのことを見るにつれて、「武力による解決というのは、やはり本当の意味の解決策にはならない。むしろ、不安定化させるのだ」ということだったのではないかと思います。「クローズアップ現代」では、たびたびパレスチナ問題に関連して、パレスチナとイスラエルの指導者へのインタビューを行っていくわけですが、「なぜ武力ではなく対話によって解決を目指さないのだろうか」「なぜ妥協ができないのだろうか」ということを、繰り返し問うこととなりました。
対立する双方の“つなぎ役”に
「誰に対しても“フェア”に問う」
――国谷さんが指導者に問いをぶつけることを大切にされている、この理由は何でしょうか。
特にこうしたパレスチナ問題に関連しては、膠着した事態を打開することができるのは指導者だけだと思います。それだけに彼らが置かれている状況について知り、そして指導者の思いや苦悩を伝えることで、指導者が持っている、抱えている“熱”みたいなものを伝えることができるのではないかと思っていました。
――そう思うようになったきっかけ、原点のようなものはあるんですか。
私は、かつてアメリカのABC放送が南アフリカから中継で伝えた番組が、とても印象に残っています。その番組は、人種隔離政策撤廃運動を行っていた黒人の指導者と、白人の政府の代表、南アフリカ代表を中継で結んでインタビューをするといったものなんですけど、それまではこうした黒人と白人の指導者たちが、政治の場でも外交の場でも公に話をすることがなかったんです。ただ、その番組で2人を結んだことによって、初めて公の場で両者が話をした。そして番組の中で、「自分たちも変わっていかなければならない」という発言をしたんですね。私はテレビジャーナリズムがインタビューを通して、対立する当事者たちについての理解を深めることができるということ、そして、そのきっかけをつくることができるだけではなく、テレビと言葉が持っている可能性を、強くその番組を見て認識した記憶があります。
――まさに、歴史的瞬間をテレビがつくった、つなぎ役になれた瞬間を目の当たりにされたということなんですね。
そうですね。
――対立関係にある双方を取材することもあると思います。そのときに大切にされている視点は、どういうものなんでしょうか。
必ずしも対立している人たちに限らないんですけど、インタビューをするということにおいては、私は「誰に対しても“フェア”に問う」ということを心掛けていました。問うべきことをしっかりと問う。言葉を通して真実を浮かびあがらせるということを目指していたわけですけど、そのときに気を付けなければいけなかったのは、自分の中に偏見や思い込みがないかということに常に気を付けながら、聞くべきことを聞く、そして繰り返し角度を変えて聞くということが大事だと思っていました。国連安全保障理事会でのグテーレス事務総長の「ハマスによる攻撃は理由なく起きたものではない」という発言ですけど、この発言を受けて、イスラエル側は強く反発し、事務総長の辞任まで要求することになるわけですが、事務総長はイスラエルとパレスチナに対して中立という立場ではなくて、事実に基づいて発言をする。そして、その事実に基づいた発言を、国際社会に向けてメッセージとして発信されたんですね。私はそのことが、メディアが取るべき「常に“フェア”でなければいけない」という姿勢と重なるものを感じました。
“忘却”しないためにー
「現場で感じた“違和感”を伝え続け、無関心に抗いたい」
――私も今年2月に、対立をしているロシアとウクライナ双方の人たちを取材したんですね。戦時下のウクライナにも足を運んで、やはり実際に直接見て、聞いてみると、とても感じることがたくさんありました。必ずしもロシアとウクライナの中は一様ではなくて、いろんな人が、いろんな複雑な思いを抱えていたり、そこに分断があったり、事態は単純ではないんだなということを強く感じたんです。
海外からの報道を見ていても、ロシアによるウクライナ侵攻のニュースが次第に減ってきていると。
――そうですね。
最近では情報が駆け巡るスピードが非常に早くなって、情報の受け手側の関心もだんだん短くなってきているように思うんですけど、大事なことを伝え続けるということと、人々の関心に応え続けるということの両立が、だんだん難しくなってきていると感じませんか。
――本当に情報があふれ過ぎていますよね。その中でどんどん情報が消費されていくような時代になっていると思います。その中で自分に直接分かりやすく関係があれば関心を持てますが、少し遠い出来事だと、なかなか関心を持つのが難しい。では、どうやったら関心を持ってもらえるかというときに、私は遠い出来事と視聴者の方の接着点になれたらいいなと思っているんですね。自分が実際に現地に行って気付いたことだったり、違和感を持ったことだったり、これを言葉にすることで、見ている方に一緒に“疑似体験”してもらって、そういうことになっているんだって一緒に感じてもらう、それが関心につながっていったらいいなと思っているんです。ただ実際、問題が長期化していくと、関心がどんどん薄れていくのも感じます。新しい出来事が起きたときに、それにも対応して報じることも必要ですよね。そうした中で、どう伝え続けていけばいいのかというのは、常に自ら問い続けていることなんですね。国谷さんは問題が長期化すること、それから関心が低下していくこと、これをどういうふうに感じていますか。
無関心、忘却ということですけれども、パレスチナ問題に即してコメントさせていただくと、ガザ地区、ヨルダン川西岸地区、そしてパレスチナ難民全体を支援している国連の組織「UNRWA」という組織があるんですけど、その事務局長であるラザリーニさんがハマスの攻撃が行われる5日前、実はNHKの取材に応じていて、こんな発言をされています。「今年に入って暴力の応酬が激化している。パレスチナ難民の多くが国際社会から見捨てられて、絶望感が広がっている。このままでは危機が再燃する」という訴えをされていたんですね。国際社会が、ここまではっきりと発言している強いシグナルを受け止めることができなくなっていたのではないかと思う。しっかりとそういうシグナルが出ているときは受け止めなければならない。ただ、これだけの発言が出ているにもかかわらず、アメリカの国家安全保障担当のサリバン大統領補佐官は、ハマスの攻撃が行われる直前に、「中東はここ20年来、かつてないほど静かだ」という認識も示していまして、この認識のギャップがある中で、今回のハマスの攻撃が起きたということを知る、認識することが大事ではないかと思います。
――国谷さんは先ほど、「憎悪と復讐の連鎖が起きて、希望がどんどん失われていった23年」というお話をされていましたが、この負の連鎖を断ち切るために、どういう視点が大切だというふうに考えていますか。
今回もまた、多くの人々が親や兄弟、大切な友人たちを失って、再び憎悪と復讐の連鎖を生み出しかねないということを心配するわけですけど、先ほど申し上げたように、「武力が決して問題解決にはつながらない」。そのことを私に非常にストレートに伝えていただいた、23年間の間で印象に残っているインタビューがあります。これは映画監督のモフセン・マフマルバフ監督のインタビューで、彼は911同時多発テロ事件が起きた次の年に答えてくれて、その中で、「アフガニスタンが国際社会から忘れられている。その中で、タリバン政権によって人々が抑圧されている」ということを懸命に伝えたインタビューでした。
イランの映画監督 モフセン・マフマルバフさん
「忘れられていたアフガニスタンという国を思い出させるために、私は映画を撮ったのです。
いつも頭にあるのはアフガニスタンで多くの人が死んでいるのに、いったい私たちはなにをやっているのだろうということです。親を求めて子どもたちが何百キロも歩いてきても抱いてあげる人は誰もいません。戦争で親が死んでしまっているからです。この20年間に空から爆弾を落とすより教科書を落としていたなら、アフガニスタンは、こうはなっていなかった。地面に地雷をまくより麦をまいていれば、アフガニスタンはこうならなかった」
気候変動 なぜ事態の悪化は止められないのか
――30年前から変わらず問題となっている「地球温暖化による気候変動」。長年積み残されてきたこの課題が、今、私たちの暮らしを直撃しています。温室効果ガスの排出量は増え続け、今年10月末までの世界の平均気温は、産業革命前と比べておよそ1.4度上昇したと報告されています。国谷さんは番組のキャスターを終えた後も、ライフワークとしてこの気候変動問題を取材していらっしゃいますが、どんどん年を追うごとに深刻になっている今の状況をどういうふうにご覧になっているんですか。
とても深刻な状況で、危険な領域に入りつつあると思っていて、人類にとって最大の課題といっても過言ではないと思います。どんな状況かといいますと、日本の上空の大気中の二酸化炭素の濃度は、定点観測が3カ所で行われていて、そのうちの一つの定点観測地点「岩手県大船渡市・綾里」で、定点観測を始めた1987年の二酸化炭素濃度が351.5ppmだったんですけど、2022年はそれが421.8ppmと、この35年間で20パーセントも増加しています。それだけではなく、ここが重要なんですけど、10年ごとの濃度の増加を見ていきますと、1992年からの10年、その次の10年、その次の10年、大気中の二酸化炭素の濃度は加速度的に増えていっているという状況なんです。
このまま二酸化炭素の濃度が増え続け、大気中の濃度が高まっていけば、気温の上昇には歯止めがかからなくなっていって、気温上昇の暴走が起きてしまう。そうなれば、「住めない地球になってしまう」という警告をする科学者もいます。国際社会はこれに対して、地球の平均気温の上昇を1.5度に抑えるという目標を掲げています。そのためには、今後排出が許される二酸化炭素の量は限られてきます。なるべく早く排出を大幅に減らしていかなければならなくて、地球温暖化への対策は、もはや時間との競争になってきました。
――私、今36歳なんですけれども、子どもの頃と比べると雨の降り方は激しくなってるし、暑さのレベルが違うし、災害もこれだけ頻発化するようになって、確かに“地球の異変”というのを感じざるを得ないんですよね。この30年、今、気候危機と叫ばれるほどにまでなってしまったのは、どうしてだと考えていらっしゃいますか。
科学者たちの警告はたびたび出されていましたし、番組でも地球温暖化については取り上げてはきました。しかし振り返ってみると、私たちが豊かさを求める生活のあり方そのものが、地球の劣化をもたらしているんだという認識に欠けていたのではないか。もう一つは、地球から発せられる悲鳴というものに十分耳を傾けてこなかったということもあるかと思います。日本も含め、世界は今も大量生産・大量消費という豊かさを求めるあり方、これまでの価値観を捨てきれずにいるのではないかと思います。そして、新興国も途上国も、先進国と同様の豊かさを求めるようになっていて、それに伴って二酸化炭素の排出量も増えているという状態です。
現在、各国が二酸化炭素の削減計画を打ち出しているんですけれども、それらを足し合わせても、今世紀末までに2.5度から2.9度気温が上昇すると国連環境計画は言っています。地球温暖化をもたらしてきた、これまでの私たちの経済、社会のあり方そのものを変革しなければならないという危機感を、早く共有しなければならないと思います。
――番組でも環境問題については、たびたび報じてきていますよね。番組が持っている危機感は、視聴者に届いていると感じてこられましたか。
「クロ現」は、地球温暖化だけではなくて、廃棄物の問題も、水不足の問題も、生物多様性についての問題も伝えてきましたけど、それがどれだけ視聴者に届いていたのかというご質問をされると、「十分ではなかった」と言わざるを得ないと思います。それぞれの課題が互いにつながり合っているということが見えていなかったのではないかと思います。あらたに出てくる問題について、まるで“もぐら叩き”のように一つ一つ取り上げて伝えていたといったことではなかったかと思います。
一つ具体例を言いますと、焼却炉から有害なダイオキシンが出てくるという問題がありました。高温で廃棄物を燃やすとダイオキシンは発生しないということで、高い熱で廃棄物を燃やすことができる新しい大型の焼却炉の建設が、ダイオキシンの解決策だというふうになりました。このダイオキシンの問題が出てきたちょうど同じ頃、広がり始めていたのがプラスチック容器で、プラスチック容器は燃やすと高い熱が出るので、それまで埋め立て処分されていたプラスチックが、積極的に焼却処理をされるようになっていったんです。そういったことで、ダイオキシン問題は解決するということになったんですけど、その一方で、化石燃料でできているプラスチックを燃やせば、二酸化炭素が発生するということが、当時、合わせて考えられていたのか、私も含めて、そういう複眼的な視点が欠けていたと思います。
――横串を刺すと、見え方が変わってくることって、いろんな問題で言えることですよね。
特に環境問題ではそうだと思います。
日本は変われるか?
「若い世代に科学的に明らかになっている事実、きちんと伝えていかなければならない」
――日本は、初めは省エネ技術を生かして世界をリードしていたのに、いつの間にか取り残されている。なぜ変われなかったんだと考えていらっしゃいますか。
背景にあるものは、高度経済成長を実現しましたし、石油ショックも乗り越え、いわば技術力の高さで世界を圧倒的にリードしてきた成功体験というのがあるかと思います。その成功体験が大きく影響しているのではないかということ。そして、温暖化対策に大胆に踏み込むことによって、その成功体験で得られた果実を失ってしまうのではないか。経済成長を損ねてしまうのではないか、その過度な恐れを抱いているのかもしれません。体力を温存したいという企業と、環境規制が成長の抑制につながってしまうのではないかということも避けたかったのかもしれません。
――今はどうでしょう、変わる兆しというのは見えていらっしゃいますか。
産業界全体から見ると、スケールもスピードも全く足りないと思いますが、ただ、二酸化炭素の排出量を開示しなければいけないという仕組みが整ってきましたし、また原材料、そして自分たちが使っている部品を生産するのにどれだけ二酸化炭素が排出されているかといったことの開示も求められるようになってきました。そういう中でグローバルに展開している企業では、先進的に進みつつある国際的な流れに乗っていこうと、積極的に脱炭素化を進めている動きも出てきました。
――企業は、今かなり意識が高まってきているということですね。
そうですね、高めざるを得ない環境が出てきたのではないかと思います。
――EUの例では、政府が気候変動対策を後押しして産業構造を変えていこうと政策を進めてきたわけですけど、日本の気候変動対策はどういうふうに見えていますか。
政府は「2050年ゼロエミッション」という目標を打ち出しています。しかし、実現に向けての道筋を具体的に描いているかというと、そうとは言えません。この2月に決定されました「グリーントランスフォーメーション=GX戦略」ですけれども、G7の中でも唯一、石炭火力発電所のフェーズアウト・廃止の時期を明示していないのが日本です。これは国内外のNPOやNGOから批判されています。温暖化対策で必要とされる大胆な取り組みは不十分だと思います。
――今この社会を見渡すと、気候変動に対する認識は高まってきたかなという感じはするんですけど、その危機意識というところまでいくと、どこまで高まっているかなというのを感じる。国谷さんはどういうふうに見てらっしゃいますか。
直接な答えになるかどうか分からないですけど、今の質問を伺って、私はイギリスの経済学者ケイト・ラワースさんがおっしゃった「1.5度時代に向けての言葉」を思い出します。彼女は「変化というものは、たいてい起こす直前が最も難しい。自分が何かを失うのではないかとばかり思っていて、代わりに何かを得るかもしれないことを想像するのがひどく難しくなってしまう」と。このことは日本の温暖化対策の遅れについても言えるのではないかと思います。実現しなくてはいけない社会像、未来のビジョンというものがくっきりと描けていない中で、失う恐ればかりに目が向いているのではないかと思うのです。
――そうした中で、事態はどんどん進んでいるわけで、どのように意識の低さを変えていけばいいと考えていますか。
ほんとにね、難しい問題なんですけど、地球の温暖化の暴走が始まってしまえば、私たちは住めない地球を次の世代に手渡していくことになるわけですから、気温上昇を1.5度に抑える、それを超えないためにあらゆることを尽くしていかなければいけない。もう一つ、若い世代に科学的に明らかになっている事実を、きちんと伝えていかなければならないと思います。
危機を乗り越えるために
SDGs(Sustainable Development Goals)=持続可能な開発目標
私は「クローズアップ現代」を離れてからこの7年間、2015年に国連の全加盟国が採択しましたSDGsの取材、啓発や発信を中心に活動しているんですけど、地域温暖化というのはSDGsの多くの目標、例えば飢餓をなくす、貧困をなくす、格差を是正する、生物多様性を保存するといった、本当に多くのSDGsの課題解決のためには、地球温暖化対策というのが欠かせないものになっているんですね。逆に、SDGsの達成に向けてさまざまな活動は、地球温暖化の対策にもつながる。
SDGsが採択された2015年、とりまとめにあたって中心的な役割を果たされたのが、現在の国連の副事務総長、ナンバーツーを務めていらっしゃいますアミーナ・モハメッドさんですけど、私はモハメッドさんに出会って話を聞いたことで、地球温暖化への取り組みの重要性を深く認識することになりました。
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国連 副事務総長 アミーナ・モハメッドさん
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「みんな誤った方向に進んでいます。閉鎖的になるほど、問題は大きくなります。だから、みんなの力を結集することが必要なんです。持続可能性を追求することは、人類の責務だと思います。われわれはよりよい方向に人類を導く責任があるのです。私たちは、急がなくてはいけません。この危機を、みんなで乗り切らなければならないのです。」
SDGsの目標を含む持続可能な開発に、「2030アジェンダ」というSDGsの合意文書が、2015年に出されていまして、そこには非常に大事なことが書かれていて、そのうちの一つが、「我々は地球を救う最後の世代になるかもしれない」。地球の限界が迫っていて、時間はあまり残されていないという危機感が、SDGs全体に流れているということを理解していただきたいと思います。またこの3月公表されたIPCCの報告書にも次のような言葉があります。「全ての人々にとって、住みやすく、持続可能な将来を確保するための機会の窓が急速に閉じられようとしている」。繰り返しになりますが、これまでの社会のあり方、経済のあり方が、現在、そしてこれからの危機をつくってしまっている。ですから、残された時間が限られている中、これまでのあり方をいかに変革していかなければならないのか。野心的、そして大胆でスピーディーな検討というのが必要になっていると思います。
私たちにいま求められている視点は
「“ありたい社会・ありたい地域”を目指して、合意形成を」
――問われているものは大きいなと思いますけれども、この30年、気候変動もそうですし、中東情勢、それからウクライナの問題も、世界を取り巻く危機はどんどん深まっている。それを乗り越えていかないといけないわけで、どういう視点が私たちに求められていると考えていますか。
人間がつくった危機は、人間が自分たちで克服していかなければならないということなんですけど、中東和平合意、希望のあった「オスロ合意」から30年、希望が失われ、絶望的な人道危機が展開されていますし、気候危機の深刻化を前に、地球の環境悪化を抜本的に防ぐための変革というのもまだ起きていない。ただ、2015年に、世界は二つの共通目標を持つことができたんです。それは「パリ協定」と「SDGs」。国際社会がこれだけ分断している中で、世界が一致した共通した目標を持っているということは、そこに私は希望を持つことができると思っています。その希望を失わないためにどうすればいいのか。さまざまな複雑な問題が互いに絡み合う中で、「ありたい社会・ありたい地域」を目指して、合意形成をしっかりとつくっていかなければならない。メディアには多くの人々を巻き込んでいく変革を駆動していく役割を、今こそ期待したいと思っています。私は、メディアには、人々を巻き込んで、そして合意形成を促すような役割、そうした力があるということを信じていたいと思っています。
――ありがとうございます。エールをいただいたような気がしました。
頑張ってください。