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2023年12月20日(水)

クローズアップ現代 放送30周年 年末拡大SP「国谷裕子×桑子真帆~激動の時代を越えて~」

クローズアップ現代 放送30周年 年末拡大SP「国谷裕子×桑子真帆~激動の時代を越えて~」

今年30年を迎えた「クロ現」。1993年の放送開始から23年間キャスターを務めた国谷裕子さんがゲストとして初登場!桑子キャスターと共に、“激動の30年”と2023年の大事件との繋がりを紐解く特別企画!30年前、和平に向けて歩み出したイスラエルとパレスチナはなぜ今の状況に?今年、観測史上最高を記録した世界の平均気温。この30年で気候変動はどこまで進んだ?番組が映した過去の“貴重映像”と共に検証しました。

出演者

  • 国谷 裕子さん (ジャーナリスト)
  • 桑子 真帆 (キャスター)

※放送から1週間はNHKプラスで「見逃し配信」がご覧になれます。

国谷裕子×桑子真帆 激動の時代を越えて

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:

今回は、2023年、大きな問題となった2つのテーマを考えていきたいと思います。「イスラエル・パレスチナ問題」、そして「気候変動」です。きょうのゲストは国谷裕子さんです。改めましてですけど、このスタジオ、久々ですよね。

スタジオゲスト
国谷 裕子さん (ジャーナリスト)
1993~2016年 キャスター

国谷さん:
そうですね。番組を離れて7年たちますので、ずっと23年間「クローズアップ現代」を担当していたスタジオにゲストとして戻ってくるのは非常になんか不思議な感覚もありますけれども。
今おっしゃったように、今回のテーマがパレスチナ問題と気候変動問題という、番組が継続して取り上げてきたテーマですので、キャスターとして伝えてきた視点からお話できればと思っています。

桑子:
ありがとうございます。まずは、パレスチナ問題を見ていきたいと思います。2023年10月のハマスによる奇襲攻撃は世界を驚かせました。そのあと犠牲者の数は膨らむばかりですが、この現状を、まずどうご覧になっていますか。

国谷さん:
本当に、あまりにもせい惨な状況が続いていて、どうして誰も止めることができないのだろうかというふうに思ってしまって、胸が痛みます。
10月7日に、ハマスによるイスラエルのテロ攻撃、これが起きまして、あまりにも、その残虐なテロ行為、断罪されるべき、人権にももとるものだと思います。
しかし、そのあとイスラエルによって、ハマスをせん滅させるのだということで激しいガザへの攻撃が続いていて、本当に多くの民間人、パレスチナの民間人が犠牲になって、これはあまりにも国際人道法違反であるにもかかわらず、停戦に向けた道筋が国際社会、描けないでいる。国際社会が本当に長年規範としてきて築き上げてきたことが、目の前で破られていることに非常に大きな衝撃を私は受けています。

桑子:
日を追うごとに事態はどんどん深刻になっているわけですよね。なぜ、ここまで深刻になってしまったと考えていますか。

国谷さん:
国連のグテーレス事務総長は、10月末の国連安全保障理事会で、このようにおっしゃっているんですね。「“ハマスによる攻撃は、理由もなく起きたわけではない”ことを認識することが重要である」と。そして、パレスチナの人たちは56年間、息苦しい占領下に置かれてきたと言っているんです。これは1967年以来、イスラエルの占領が続く中でこうしたことが、いつ起きてもおかしくない状況になっていたということだと思います。
パレスチナ問題というのは、中東のみならず、これが解決しない限り“世界の安定”はないとずっと言われてきたのですが、結果として世界は、この重要性を忘れていたのではないだろうかと思っています。

パレスチナ問題の深層 “和平の夢”はなぜ失われた

連日、イスラエル軍の激しい攻撃にさらされているガザ地区。多くの女性や子どもを含む2万人近くが犠牲となる(19日ガザ地区の保健当局)、かつてない惨状。イスラエルとパレスチナは、なぜ、ここまで出口の見えない事態に陥ってしまったのか。

「クローズアップ現代」の放送が始まった1993年。この年、イスラエルとパレスチナは40年以上続いていた紛争に終止符を打とうとしていました。

イスラエル ラビン首相
「パレスチナの人々よ、私たちは、きょう大きな声ではっきりといいます。流血と涙は終わりにしましょう。もうたくさんです」

この時、交わされたのが「オスロ合意」。ガザとヨルダン川西岸で、パレスチナ側が暫定自治を始めることになりました。ここから、二国家共存に向けての和平交渉が始まったのです。

しかし、対立の火種はくすぶり続けました。その1つが、東エルサレムの帰属を巡る問題です。ユダヤ教、イスラム教、キリスト教、3つの宗教の聖地が集まる、この土地を、イスラエルは一方的に併合していました。この問題を巡っては当時、和平を望む有識者たちが議論を重ねていましたが、一致点は見いだせずにいました。

イスラエル側の発言
「嘆きの壁に行くのにユダヤ人が利用しているヤフォ門、マグレブ門、シオン門の3つの門はイスラエル側に残されるべきです」
パレスチナ側の発言
「マグレブ門は毎日何千人ものパレスチナ人が利用しているんですよ。平等に分割するという論理にしたがえば、門の主権はわれわれに渡すべきでしょう」
イスラエル側の発言
「ちょっと待って下さい。それでは、われわれは2つの門からしか入れないことになります」
パレスチナ側の発言
「あなたたちは、こちらが主権について1つ要求すると、いつも、その倍を要求してくる。あなたたちのそういう態度が問題なのです」

和平交渉を前に進められないのか。番組では、来日したアラファト議長に直接問いました。

国谷 裕子さん
「東エルサレムがキリスト教、ユダヤ教、そしてイスラム教の共通の聖地なら、その主権を共有することはできないのですか?」
PLO(パレスチナ解放機構)アラファト議長
「それはできません。キリスト教、イスラム教の聖地にイスラエルの主権を認めることは私にはできません。これは私だけの問題ではありません」
国谷 裕子さん
「その他の問題で合意して、東エルサレム問題を棚上げすることは考えられませんか」
アラファト議長
「できません。私は裏切り者にはなれません。アラブ人、イスラム教徒、キリスト教徒を裏切ることはできないのです」

一方のイスラエル側。後に首相になる強硬派のシャロン氏が東エルサレムにあるイスラム教の聖地に足を踏み入れ、一方的に主張しました。

2000年 国会議員(当時)シャロン氏
「聖地の主権はイスラエルにある。誰かが侵害することは許されない」

長期的な展望を描けないまま、溝を埋められなかった指導者たち。オスロ合意は暗礁に乗り上げました。

双方の市民の間にも憎しみや恐怖が植え付けられていくことになります。交渉が行き詰まる中、パレスチナ自治区への入植を続けるイスラエル側。占領地に武力を投入し、パレスチナの人々への抑圧を強めていきました。

番組では、このころのガザにカメラを入れています。

「インティファーダ」と呼ばれるイスラエルへの抵抗運動が活発化し、子どもたちまでもが投石で抗議の意志を示していました。この時、出会ったのが対話の必要性を訴えていたガザの教師、ファーイズ・アルホスニさんです。

中学校教師 ファーイズ・アルホスニさん
「私はずっと、インティファーダは終わりにしなければならないと思ってきました。若者や子どもたちが己の感情のままに石を投げ続けていても、何も成果は得られないと考えるようになったからです」

しかし、子どもたちは暴力の連鎖に巻き込まれていきます。

この日は、抗議デモに参加した教え子がイスラエル軍に撃たれたと聞き、病院に駆けつけました。

アルホスニさんの教え子
「エルサレムは僕たちのものだ。ユダヤ人なんて大嫌いだ」

さらに、15歳の教え子がイスラエル軍の銃撃で亡くなりました。

ファーイズ・アルホスニさん
「このままでは、いつまでも暴力が繰り返されるでしょう。これを止めるには、イスラエルがすべての占領地を我々に返すことしかありません」

一方、イスラエル側にも共存の道を模索する市民がいました。

ヨシ・メンドロビッチさんは、2003年、13歳だった息子のユバル君をパレスチナ側の自爆テロで亡くしました。誰よりも強く平和を願っていたユバル君。子どもの頃から熱心にアラビア語を学んでいたといいます。

自爆テロで息子を亡くした ヨシ・メンドロビッチさん
「もし生きていたら、間違いなくイスラエルとアラブの懸け橋になっていたでしょう」

息子の思いを受け継ぎたい。メンドロビッチさんは、ユバル君が交流を続けていたパレスチナ人の学生との対話を行っていました。

ヨシ・メンドロビッチさん
「今、ユバルは天の上からこう言っているかもしれません。父さん、みんなのところへ行って、会って話をしてきて。そして、わかってもらって。こんな争いはもうやめなければならない。そうでなければ、ここに希望はないんだ、希望はないんだって」

しかし、事態は悪化の一途をたどります。

2006年、イスラム組織・ハマスがパレスチナの選挙で勝利し、その後、ガザを実効支配。対するイスラエル側は、壁やフェンスでガザを封鎖。ガザは、“天井のない監獄”と呼ばれるようになりました。

反発するハマス。報復するイスラエル。双方による暴力の連鎖が常態化していきました。

そして、2023年10月に起きたのが、ハマスによる大規模攻撃でした。イスラエル側で和平の実現を願っていたメンドロビッチさん。12月、再び話を聞くことができました。今、考えが大きく変わってしまったといいます。

ヨシ・メンドロビッチさん
「10月7日の攻撃は、私の希望を砕いた最後の一撃でした。この20年、彼ら(ハマス)は、私たちの命を尊重してきませんでした。残念ながら、息子の夢が早々にかなうことはないでしょう。今は対話がなく、イスラエルは存亡をかけて戦っています。息子が生きていたら、彼も自分の命をかけて戦っていたでしょう」

国谷さんが見つめてきたパレスチナ問題

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
かつては対話による和平を望んでいた人でさえ、今は、もう絶望的になってしまっているという現実があるわけですが、ちょうど30年前「クローズアップ現代」の放送が始まった1993年に「オスロ合意」がありました。その時に世界を包んでいた空気というのがどういうもので、そうした中で、どういう思いで伝えていたのですか。

国谷さん:
今では本当に憎しみが、今、見たように双方に植え付けられて、対話の機運が全くない中、信じられないかもしれませんけれども、30年前、番組が始まった年、国際ニュースで最も重要なニュースとなったのが「オスロ合意」でした。双方に、平和に向けた、和平に向けて歩みたいという機運、高揚感というのは確かにありました。

桑子:
高揚感ですか。

国谷さん:
はい。ちょうど番組が、共同宣言が調印された、その夜ですね。番組の時間を延長して伝えました。

ゲストとしてお迎えしたのが、イスラエルとパレスチナ、双方のジャーナリスト。中継で参加してくれたのですが、私は「ハマスなどの過激派を抑えることができますか」とか「最大の焦点となっているエルサレムの帰属問題について解決できますか」などの質問を投げかけたのですが、それぞれの方々が同じように、考えの違う人々、そして宗教の違う人々と、これからは共存していくのだ、二国家共存に向けてあらゆる可能性を模索しなければいけないのだ、と話していまして、和平に向けた、その機運、希望というのを語ってくれたんですね。
ただ、スタジオにいたゲストの専門家は、和平の機運、希望というものを民衆の間に浸透させていくためには、国際社会の支援、サポートが必要であるとおっしゃっていたのも印象的でした。

桑子:
当時からおっしゃっていたわけですね。

国谷さん:
そうですね。やはり支えていかなければいけないということを言っていたわけですね。ですから、確かにあの時あった、和平に向けて歩んでいこうという、その機運、どうすればそれを継続させていくことができるのかという思いが、その後、パレスチナ問題を番組で取り上げるときにずっと私の心の中に残っていましたね。

桑子:
ただ、現実は今に至っても和平は実現されていないわけですよね。国谷さんは23年間、このパレスチナ問題も含めて世界がどんどん不安定になっていく様子を見つめてこられたと思うのですが、そうした中で、どういうことを感じてこられたのですか。

国谷さん:
和平の希望から始まって、今おっしゃったみたいに憎悪と復しゅうの連鎖が始まっていった23年だったわけですが、その23年の間に起きたのが、2001年9月11日のニューヨークでの同時多発テロ事件でした。このテロ事件を受けて、アメリカはアフガニスタンのタリバン政権を倒します。そして、大量破壊兵器を持っているとしてイラクのフセイン政権を倒すことになりました。
こうした武力による行動というのは、世界というものをより不安定化させていくことになったわけです。パリとかロンドンなどでもテロ活動が活発化し、そのことを見るにつれて、武力による解決というのはやはり本当の意味の解決策にはならない。むしろ不安定化させるのだということだったのではないかと思います。

「クローズアップ現代」では、たびたびパレスチナ問題に関連してはパレスチナとイスラエルの指導者へのインタビューを行っていくわけですけれども、なぜ武力ではなく、対話によって解決を目指さないのだろうか。なぜ妥協ができないのだろうかということを繰り返し問うこととなりました。

対立と分断の時代に どう向き合う

ハマスが選挙に勝利し、パレスチナを代表する勢力に躍り出た2006年。番組では、当時すでに幹部だった現在のハニーヤ最高幹部に和平への展望を問いました。

国谷 裕子さん
「イスラエルも一方で、ハマスが武装闘争を放棄してイスラエルを認めなければ、交渉のテーブルには着かないという姿勢を見せているわけですけれども。ハマスも変わらなければ事態は動かないんではないでしょうか」
ハマス ハニーヤ 最高幹部
「パレスチナとイスラエルは明らかに意地の張り合いをしています。しかし、悪いのは占領者であるイスラエルなのです。我々は彼らに屈するわけにはいきません。占領と抑圧の下で暮らし続けるわけにはいかないのです」

一方、イスラエル側には、2011年、ペレス大統領と面会し、政治家の責任を問いました。

国谷 裕子さん
「常にテロ攻撃を受ける恐れのあるイスラエルが、和平交渉より安全保障を優先するのは理解できます。しかし、和平の進展こそが最終的には安全を確立する道なのだと国民を説得するのは政治家の責任ではないでしょうか」
イスラエル ペレス大統領(当時)
「ほとんどの人は和平なくして安全なし、安全なくして和平なしということを理解しています。この2つは切り離せません」
国谷 裕子さん
「しかし人々は近視眼的になりがちです。長期的な展望を持つよう導くのが政治家ではないのですか」
イスラエル ペレス大統領(当時)
「あなたが言うほど政治家に力があるのか私には分かりません」
国谷 裕子さん
「分からないのですか。長い間指導者の立場にあるのに?」

国谷さんが取材で大切にしている視点

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
国谷さんが指導者に問いをぶつけることを大切にされている、この理由というのは何でしょうか。

国谷さん:
特に、こうしたパレスチナ問題に関連しては、こう着した事態を打開することができるのは指導者だけだと思います。それだけに彼らが置かれている状況について知り、そして指導者の思いとか苦悩というものを伝えることで、ある意味、指導者が持っている、抱えている熱みたいものを伝えることができるのではないかと思っていました。

桑子:
そう思うようになったきっかけといいますか、原点のようなものはあるんですか。

国谷さん:
そうですね、私はかつてアメリカ、ABC放送が南アフリカから中継で伝えた番組がとても印象に残っています。その番組というのは、人種隔離政策撤廃運動を行っていた黒人の指導者と、そして白人の政府の代表、南アフリカ代表を中継で結んでインタビューをするといったものですが、それまでは黒人と白人の指導者たちが政治の場でも外交の場でも公に話をすることがなかったんです。ただ、その番組で2人を結んだことによって、初めて公の場で両者が話をした。そして番組の中で、自分たちも変わっていかなければならないという発言をしたんです。ですので、私はテレビジャーナリズムがインタビューを通して対立する当事者たちについての理解を深めることができるということと、そしてそのきっかけを作ることができるだけでなく、テレビと言葉が持っている何か可能性といったものを強くその番組を見て認識した記憶があります。

桑子:
対立関係にある双方を取材することもあると思います。その時に大切にされている視点というのはどういうものなのでしょうか。

国谷さん:
必ずしも対立している人たちに限らないのですが、インタビューをするということにおいては、私は誰に対してもフェアに問うということを心がけていました。問うべきことをしっかりと問う。言葉を通して真実を浮かび上がらせるということを目指していたわけですが、その時に気をつけなければいけなかったのは、自分の中に偏見とか、思い込みといったものがないかということに常に気をつけながら聞くべきことを聞く。そして、繰り返し角度を変えて聞くということが大事だと思っていました。

先ほど触れた国連安全保障理事会でグテーレス事務総長のハマスによる攻撃は「理由なく起きたものではない」という発言ですが、この発言を受けてイスラエル側は強く反発し、そして事務総長の辞任まで要求することになるわけですけれども、事務総長はイスラエルとパレスチナに対して中立ということではなくて事実に基づいて発言をする。そしてその事実に基づいた発言を国際社会に向けてメッセージとして発信されたんですね。私は、そのことがいわばメディアが取るべき「常にフェアでなければいけない」という姿勢と何か重なるものを感じました。

桑子:
私も、2023年2月、まさに対立をしているロシアとウクライナ、双方の人たちを取材したんですね。戦時下のウクライナにも足を運んで、やはり実際に直接見て聞いてみると、とても感じることがたくさんありました。

桑子キャスターが見てきたロシアとウクライナ

桑子 真帆キャスター
「キーウから20キロほど離れたホストメリという街に来ました」

事実を直接確かめ、伝える。桑子キャスターは、2023年2月、ロシアによる侵攻が続くウクライナを取材しました。そこには、単純な善悪の構図では捉えきれない戦時下の現実がありました。

首都キーウで訪ねたのは、ウクライナの公共放送。戦時下に1日も放送を止めず、ニュースを出し続けていました。

番組の冒頭、戦場の映像と共に必ず流されていたのは、ウクライナ国歌。

さらに、報道規制が強まる中、戦況を伝えていたのは軍の広報官のインタビューでした。

ジャーナリズムのあるべき姿と、戦時下の現実とのはざまで記者たちは揺れていました。

ウクライナ公共放送ススピーリネ ミコラ・チェルノティツキー会長
「私たちはいま戦時中であり、国家の安全保障との間でバランスを取らなければなりません。ただ、同時に言論の自由も守らなければならず、とても重要な問題です」
桑子 真帆キャスター
「番組のオープニングに戦地の映像が流れて、そこに国歌が合わさって流れている。少しこう、あおっているような、そういう印象をもしかしたら与えてしまうかもしれません。そのあたりはどのように考えていますか?」
ミコラ・チェルノティツキー会長
「そうかもしれませんが、悪いことだとは思いません。独立した自由な国を守るためにロシアに勝利する。ほかに選択肢はないのです」

一方のロシア側。そこにも戦争に心を痛める市民がいました。

桑子キャスターが出会ったのは、戦争に反対し、隣国に逃れざるを得なかったロシア人の一家です。

ロシアからフィンランドに逃れた イリーナさん
「なんとか、いま起きていることを受け入れられるようになってきましたが、侵攻について聞かれると、いまだに泣いてしまいます。爆弾が落とされ、家が銃撃され、人々が殺されていくなんて」

事実を伝え続ける中で新たに直面した課題。それは人々の関心の低下です。問題を風化させないというメディアの役割が問われている。そう感じています。

国谷さんが感じる 問題の長期化と関心の低下について

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
どうやったら関心を持ってもらえるかという時に、私は遠い出来事と視聴者の方の接着点になれたらいいなと思っているんです。
自分が実際に現地に行って気づいたことだったり、違和感を持ったことだったり、これを言葉にすることで見ている方に一緒に疑似体験してもらって、「あっ、そういうことになっているんだ」と一緒に感じてもらう。それが関心につながっていったらいいなと思っているんです。

ただ実際、問題が長期化していくと関心がどんどん薄れていくのも感じます。新しい出来事が起きたときに、それにも対応して、それを報じることも必要ですよね。そうした中で、どう伝え続けていけばいいのかというのは常にみずから問い続けていることなんですね。

国谷さんは、問題が長期化すること、それから関心が低下していくこと、どういうふうに感じていますか。

国谷さん:
無関心、忘却ということですけれども、パレスチナ問題に則してコメントさせていただくと、UNRWAという組織があるのですが、その事務局長であるラザリーニさんが、ハマスの攻撃が行われる5日前、実はNHKの取材に応じていて、こんな発言をされています。2023年に入って、暴力の応酬が激化している。パレスチナ難民の多くが国際社会から見捨てられて、絶望感が広がっている、このままでは危機が再燃する、というような訴えをされていたんです。国際社会が、ここまではっきりとラザリーニ事務局長が発言している、この強いシグナルを受け止めることができなくなっていたのではないかと思う。

桑子:
警告ですね。

国谷さん:
ですから、しっかりと、そうしたシグナルが出ているときは受け止めなければならないと。ただ、これだけの発言が出ているにもかかわらず、一方でアメリカの国家安全保障担当のサリバン大統領補佐官は、ハマスの攻撃が行われる直前に、中東は、ここ20年来かつてないほど静かだという認識も示していまして、この認識のギャップがある中で今回のハマスの攻撃が起きたということを、やはり知る、認識するということが大事ではないかと思います。

今回、また多くの人々が親や兄弟、そして大切な友人たちを失って再び憎悪と復しゅうの連鎖を生み出しかねないということを心配するわけですけれども、先ほど申し上げたように武力が決して問題解決にはつながらない。そのことを私に非常にストレートに伝えていただいたのが、23年間の間で印象に残っているインタビューがあります。これはモフセン・マフマルバフ監督のインタビューでして、彼は9・11同時多発テロ事件が起きた次の年に答えてくれたもので、その中で、アフガニスタンが国際社会から忘れられている、その中でタリバン政権によって人々が抑圧されているということを懸命に伝えたインタビューでした。

モフセン・マフマルバフ監督へのインタビュー

長年アフガニスタンを取材 モフセン・マフマルバフさん
「忘れられていたアフガニスタンという国を思い出させるために私は映画を撮ったのです。いつも頭にあるのはアフガニスタンで多くの人が死んでいるのに、いったい私たちは何をやっているのだろうということです。親を求めて子どもたちが何百キロも歩いてきても抱いてあげる人は誰もいません。戦争で親が死んでしまっているからです」
国谷 裕子さん
「今、各国の人々に、特に今、日本にもいらしていらっしゃるんですけれども、何を期待されますか」
モフセン・マフマルバフさん
「私は黒澤明監督の映画を見て泣いたことがあります。日本にも貧困と飢えの時代があったことを知り、みな同じ人間だと思いました。イラン人とか日本人とかアフガニスタン人とか関係ないのです。この20年間に空から爆弾を落とすより教科書を落としていたなら、アフガニスタンはこうはなっていなかった。地面に地雷をまくよりも麦をまいていればアフガニスタンはこうならなかった」

放送から30年 番組が見つめた“現代”

「クローズアップ現代」が伝えてきた珠玉の言葉の数々。

ミャンマー民主派指導者 アウン・サン・スー・チー
「たゆまぬ努力こそが人生」
映画監督 マーティン・スコセッシ
「無知は恐怖を生み、恐怖は怒りに変わる」
国連難民高等弁務官(当時)緒方貞子
「人間同士が信頼関係をつくる場を与えていかなければならない」
京都大学iPS細胞研究所 教授 山中伸弥
「自分たちの科学が患者のためになってほしい」
俳優 樹木希林
「食べるのも日常。死ぬのも日常」
音楽家 坂本龍一
「限られた時間だから、10ある中で1つ2つ本当にやりたいことだけやろう」

社会に衝撃を与えた出来事。30年にわたって時代を記録してきた番組の歩みを振り返ると、現在につながる変化が見えてきます。

2023年、私たちの暮らしを直撃した円安。

しかし、およそ30年前は1ドル=79円台の円高を記録。日本人旅行客が続々と海外へ。製造業の現場はコストダウンを迫られていました。

30年前、お茶の間の人気者だったのが、この2人。

番組では、ぎんさんの娘たちの元気の秘密を分析。高齢者の数は、この30年で2,000万人近く増えました。

この国にも大きな変化が。30年前、貧しさと闘っていた中国。今では、その旺盛な消費意欲が世界を席けんしています。

この30年で中国のGDPは日本を追い抜き、4倍以上にも達しています。

“地獄の門が開いた”深刻化する気候変動

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
続いては、30年前から変わらず問題となっている地球温暖化による気候変動。長年積み残されてきたこの課題が今、私たちの暮らしを直撃しています。

東京都心で30度を超えた日が1年の4分の1を占めた、2023年。世界の平均気温は観測史上最高を記録。地球は“未知の領域”に入りました。多発する大規模な山火事や洪水。世界各地で異常気象が猛威を振るっています。深刻化する気候変動と、どう向き合っていけばいいのか考えます。

温室効果ガスの排出量は増え続け、2023年10月末までの世界の平均気温は産業革命前と比べて、およそ1.4度上昇したと報告されています。

国谷さんは、番組のキャスターを終えた後もライフワークとして気候変動問題というのを取材していますが、どんどん年を追うごとに深刻になっている今の状況をどうご覧になっていますか。

国谷さん:
とても深刻な状況で危険な領域に入りつつあると思っていて、人類にとって最大の課題と言っても過言ではないと思います。

どんな状況かといいますと、日本の上空の大気中の二酸化炭素の濃度(気象庁 綾里観測地点の年平均)は1987年、その時の濃度が351.5ppmだったのですが、2022年はそれが421.8ppmと、この35年間で20%も増加しています。

それだけではなくて、ここが重要なのですが、10年ごとの濃度の増加を見ていきますと、1992年からの10年、そして、その次の10年、その次の10年、大気中の二酸化炭素の濃度は加速度的に増えていっているという状況なんです。

このまま二酸化炭素の濃度が増え続け、大気中のその濃度が高まっていけば、気温の上昇には歯止めがかからなくなっていって、気温上昇の暴走が起きてしまうと。そうなれば住めない地球になってしまうという警告をする科学者もいます。

国際社会は、これに対して地球の平均気温の上昇を1.5度に抑えるという目標を掲げています。そのためには今後、排出が許される二酸化炭素の量というのは限られてきます。なるべく早く排出を大幅に減らしていかなければならなくて、地球温暖化への対策は、もはや本当にもう時間との競争になってきました。

届かなかった“警告” 温暖化が進んだ世界

なぜ私たちは危機的状況に陥ったのか。温暖化の影響は30年前から現れていました。

「この夏、日本で151か所ある観測所のうち、実に61か所で最高気温の記録を更新しました。水不足も深刻化し、松山市では1日19時間の断水が今も続いています」

当時、世界の平均気温は産業革命前よりプラス0.6度。科学者は、温暖化が進むと極端な気象現象が起こるようになると、このころすでに予測していました。

アメリカ国立大気研究所博士 ジェラルド・A・ミールさん
「つまり雨や雪が降らないときは、ますます降らなくなり、逆に降る時はよりたくさん降るのです」

この年、科学者が発した警告には私たちが歩むことになった未来が記されていました。

「このまま温室効果ガスが増えれば、気温は10年ごとに0.3度上昇するだろう」

地球と人類の未来を左右する重要な会議が始まりました。温暖化をどう食い止めるのか。1997年、国際社会は具体的な話し合いを始めます。

この場で採択されたのが、温室効果ガスの削減目標を初めて盛り込んだ「京都議定書」です。アメリカにマイナス7%、日本にマイナス6%など、先進国にだけ削減義務を課しました。しかし、この枠組みはすぐに暗礁に乗り上げます。

当時、世界で最も二酸化炭素を排出していたアメリカが、経済への悪影響を懸念して離脱を表明したのです。

アメリカ ブッシュ大統領(当時)
「もし私たち京都議定書を批准すれば、失業は増え、物価は上がり、経済的にマイナスです」

デフレの真っただ中にいた日本では、安いものを大量に使い捨てるライフスタイルが広がっていました。こうした消費のあり方も大量の温室効果ガスの排出につながっていたのです。

京都議定書の採択から10年後の2007年。排出量の増加と共に世界の平均気温はプラス1度近くまで上昇。

このころ、科学者の危機感はさらに深刻なものになっていました。地球環境問題の世界的権威レスター・ブラウン博士は、番組のインタビューで社会のあり方を転換しなければならないと訴えました。

環境学者 レスター・ブラウンさん
「現在の経済では地球の資源やそれを支えるシステムとの調和がとれていません。環境の観点に立てば、深刻な赤字経営に陥っているのです。環境問題が解決できないために今後、多くの国が衰退していくでしょう。多くの国家が衰退すれば文明そのものが衰退します。それがいつになるのかは誰にも分かりません。今、私たちに与えられた時間はわずか数十年かもしれません。短い間に多くのことを変えなくてはならないのです」

科学者たちの警告にもかかわらず、経済を優先する世界の価値観が変わることはありませんでした。先進国の後を追って豊かさを求めた新興国や途上国。人口の急増と相まって世界のエネルギー消費量は増加の一途をたどりました。

国際社会が同じ目標のもと、本腰を入れて対策を進めることに合意したのは2015年。

この年、世界の平均気温はプラス1.1度を超えていました。

そして2023年。世界の危機は“未知の領域”へ。番組では11月、気候変動の影響が最も深刻だとされるアフリカのある村を取材しました。激しい干ばつで農業が成り立たなくなり、多くの人が村を離れる事態が起きていました。

桑子 真帆キャスター
「もう土地自体が痩せてしまったということですか」
村の若者
「そのとおりです。今後数年で(草が生える)場所はなくなります。雨がもっと降ったとしても(作物は)もう育ちません」
村の若者
「船があれば、若者はヨーロッパに行きます」

今、世界では家やなりわいを失って故郷を追われる「気候難民」が急増しています。2050年には2億1千万人に上るとも予測。世界はますます混迷を深めています。

国谷さんが見る地球の異変

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
私は今、36歳なのですが、子どものころと比べると、やはり雨の降り方はとても激しくなっているし、暑さのレベルが違うし、災害もこれだけ頻発化するようになり、確かに地球の異変というのを感じざるを得ないんです。
この30年、今、気候危機とまで叫ばれるほどにまでなってしまったのはどうしてだと考えていますか。

国谷さん:
今のVTRにありましたように、科学者たちの警告というのはたびたび出されていましたし、番組でも地球温暖化については取り上げてはきました。
しかし、振り返ってみると私たちが豊かさを求める生活のあり方そのものが地球の劣化をもたらしているんだという認識に欠けていたのではないか。
もう一つは、地球から発せられる悲鳴といったものに、十分、耳を傾けてこなかったということもあるかと思います。日本も含め、世界は今も大量生産、大量消費ということによる豊かさを求めるあり方、これまでの価値観というのを捨てきれずにいるのではないかと思います。

現在、各国が二酸化炭素の削減計画というのを打ち出しているのですが、それらを足し合わせても今世紀末までに2.5度から2.9度、気温が上昇するということを国連環境計画は言っています。地球温暖化をもたらしてきた、これまでの私たちの経済・社会のあり方そのものを変革しなければならないという危機感というのを早く共有しなければならないと思います。

桑子:
先ほどもおっしゃいましたけど、番組でも環境問題についてはたびたび報じてきていますよね。番組が持っている危機感というのは視聴者に届いていると感じてこれられましたか。

国谷さん:
「クローズアップ現代」は地球温暖化だけではなく、廃棄物の問題も水不足の問題も生物多様性についての問題も伝えてきましたが、それがどれだけ視聴者に届いていたのかというご質問をされると、十分ではなかったと言わざるを得ないと思います。それぞれの課題というものが、互いにつながり合っているということが見えていなかったのではないかと思います。新たに出てくる問題について、まるで、もぐらたたきのように一つ一つ取り上げて伝えていた、といったことではなかったかと思います。私も含めて、そういう複眼的な視点が欠けていたと思います。

危機をどう乗り越える 問われる日本の“変革”

社会全体の変革が求められる温暖化対策。先週閉幕したCOP28で厳しい目を向けられていたのが日本です。二酸化炭素を多く出す石炭火力発電の廃止時期を、G7で唯一示していないことなどが理由です。

温暖化を止めるための最大の鍵は、化石燃料の消費を減らすことです。これまで省エネ技術で世界をリードしてきた日本。一方で、エネルギーの安定供給などを理由に化石燃料への依存を続けてきました。

一次エネルギーの供給に占める化石燃料の割合は、この30年、一貫して80%以上です。

なぜ変われなかったのか。背景にあるとされるのが「温暖化対策はコストがかかる」という考え方です。

2009年の番組には、国に対し、削減目標を高くすると経済への負担が大きいと訴える産業界の姿がありました。

企業関係者
「すでに世界でも最もエネルギー効率が高い日本で、厳しい選択を迫らなければいけないのか。乾いた雑巾を絞るような状態にある」

当時、経団連も新聞広告で「高い削減目標は家庭の負担も増す」と呼びかけていました。こうした考え方に対し、国際的な環境政策の専門家が指摘していたのが「長期的な視点の欠如」です。

東京工業大学大学院 准教授(当時)蟹江憲史さん
「今、温暖化のコストを払うか、それとも将来まで待って温暖化の影響が出てきてその被害のコストを払うか。そういう2つのどちらをとるかということになるんだと思います。ですので、コストということを考えると、いずれにしろコストがかかってしまう。さあ、それをどうするかという話になるんだと思います」

一方、同じ頃のヨーロッパ。温暖化対策に対して全く違う意識を持っていました。

バッテンフォールCEO(当時)ラース・ジョセフソンさん
「これはむしろ、ビジネスや技術開発にとっての投資のチャンスになるでしょう」

ヨーロッパ第4の電力会社だったバッテンフォール。化石燃料から洋上風力発電への転換を進め、ばく大な資金を投資しようとしていました。

ラース・ジョセフソンさん
「CO2を大量に排出するのが当たり前の社会から、低炭素あるいは排出量ゼロが普通の社会に変わらなければなりません。今の価値観を改め、1から完全に作り直す必要があるのです」

こうした転換を後押ししていたのが国の政策です。企業に対し、二酸化炭素の排出規制や環境税をかける一方、温暖化対策に積極的な企業には補助金を出すなどの仕組みを作っていました。国が将来のビジョンを明確に示したことで企業の意識も変わっていったのです。

その後、気候変動への危機感を高めていった国際社会。12月、COP28では化石燃料からの脱却を進め、今後、10年間で行動を加速させることが決まりました。

今後、国の実情に応じた道筋の中で化石燃料による排出を減らしていくとしている日本。今、求められるものは何か。以前番組に出演した蟹江憲史さんに再び問いました。

慶応義塾大学大学院 教授 蟹江憲史さん
「やっぱり政治的な意志が欠けていて、長期的なことに関する、ここを目指していくんだ、ここをやらなきゃいけないんだというような、長期ビジョンが欠けていたのは明らかだと思います。当時はやっぱりコストの話ばかり出ていましたけれど、ベネフィット、費用対効果、効果の話ももっとするべきだったと思うんです。もっとそのときに、ある程度コストをかけてでも対策をとっていたら、その効果が非常に大きかった。リスクよりもチャンスの議論をしっかりするべきではないかと思います」

国谷さんが見る日本の気候変動対策

<スタジオトーク>

桑子 真帆キャスター:
日本は、初めは省エネ技術を生かして世界をリードしていたのに、いつの間にか取り残されていると。なぜ変われなかったのだと考えていますか。

国谷さん:
背景にあるもの、高度経済成長を実現しましたし、石油ショックも乗り越え、いわば技術力の高さで世界を圧倒的にリードしてきた成功体験というのがあるかと思います。
その成功体験が大きく影響しているのではないかということと、温暖化対策に大胆に踏み込むことによって、その成功体験で得られた果実を失ってしまうのではないか、そして経済成長を損ねてしまうのではないか、その過度な恐れを抱いているのかもしれません。

桑子:
今はどうでしょう。変わる兆しというのは見えていますか。

国谷さん:
そうですね。産業界全体から見ると、スケールもスピードも全く足りないと思いますけれども、ただ、二酸化炭素の排出量を公開していかなければいけない、開示しなければいけないという仕組みが整ってきましたし、そういう中でグローバルに展開している企業では先進的に進みつつある国際的な流れに乗っていこうということで、積極的に脱炭素化を進めている動きも出てきました。

桑子:
企業は、かなり意識は今、高まってきているということですね。

国谷さん:
そうですね。高めざるを得ない環境が出てきたのではないかと思います。

桑子:
EUの例では、政府が気候変動対策を後押しして産業構造を変えていこうというふうに政策を進めてきたわけですが、日本の気候変動対策はどういうふうに見えていますか。

国谷さん:
政府は2050年、ゼロミッションという目標を打ち出しています。

2050年 温室効果ガス排出 実質ゼロ

実現に向けての道筋を具体的に描いているかというと、そうとは言えません。2月に決定されたグリーントランスフォーメーション、GX戦略ですけれども、G7の中でも唯一、石炭火力発電所のフェーズアウト廃止の時期を明示していないのが日本です。

グリーントランスフォーメーション(GX)
化石燃料を中心とした産業・社会構造をクリーンエネルギー中心へ転換

これは国内外のNPOやNGOから批判されています。温暖化対策で必要とされる大胆な取り組みは不十分だと思います。

私は、イギリスの経済学者ケイト・ラワースさんがおっしゃった1.5度時代に向けての言葉を思い出します。日本が遅れているという状況の中ですけども、彼女は「変化というものはたいてい起こす直前が最も難しい。自分が何かを失うのではないかと思ってばかりいて、代わりに何かを得るかもしれないことを想像するのがひどく難しくなってしまう」と。
実現しなくてはいけない社会像、未来のビジョンというものがくっきりと描けていない中で、失う恐ればかりに目が向いているのではないかと思うのです。

桑子:
そうした中で、やはり事態はどんどん進んでいるわけで、どのように意識の低さを変えていけばいいと考えていますか。

国谷さん:
本当に難しい問題なのですけれども。地球の温暖化の暴走が始まってしまえば、私たちは住めない地球を次の世代に手渡していくことになるわけですから、気温上昇を1.5度に抑える、それを超えないようにするためにあらゆることを尽くしていかなければいけないということと、もう一つ、若い世代に科学的に明らかになっている事実をきちんと伝えていかなければならないと思います。

私は、先ほどおっしゃっていただいたように「クローズアップ現代」を離れてから、この7年間、2015年に国連の全加盟国が採択した「SDGs」の取材、啓発、気候変動もそうですが、啓発や発信を中心に活動しているのですけれども、地球温暖化というのは、SDGsの多くの目標、例えば、飢餓をなくす、貧困をなくす、格差を是正する、生物多様性を保存するといった、本当に多くのSDGsの課題解決のためには地球温暖化対策というのが欠かせないものになっているんです。

SDGsが採択された2015年、取りまとめにあたって走り回っていたというか、中心的な役割を果たされたのが現在の国連の副事務総長、国連のナンバー2を務めているアミーナ・モハメッドさんなのですが、私はモハメッドさんに出会って話を聞いたことで、地球温暖化への取り組みの重要性というものを深く認識することになりました。

世界が直面する危機 希望をつなぐために

国連 副事務総長 アミーナ・モハメッドさん
「先進国は、責任ある発展を目指すべきなのです。私たちの消費や生産は重大な結果をもたらします。このままでは地球に大きなダメージを与え、やがて私たち自身が苦しむのです。地球は、私たち人間なしでも存続できますが、私たちは地球なしで存続できません。先に消えるのは私たちなのです」
国谷 裕子さん
「しかし、世界に目を向けると、人も国もまだまだ内向きで、自分のことや国益のことばかりを考えています。一方で、今回の目標は世界が一丸となって取り組むべきものとなっていて正反対ではありませんか」
アミーナ・モハメッドさん
「みんな誤った方向に進んでいます。閉鎖的になるほど問題は大きくなります。だから、みんなの力を結集することが必要なんです。持続可能性を追求することは人類の責務だと思います。われわれは、よりよい方向に人類を導く責任があるのです。私たちは急がなくてはいけません。この危機を、みんなで乗り切らなければならないのです」

今後求められているもの

<スタジオトーク>

国谷さん:
SDGsの目標を含む、持続可能な開発に「2030アジェンダ」というSDGsの合意文書というのが2015年に出されていまして、そこには非常に大事なことが書かれていて、そのうちの一つが「われわれは地球を救う最後の世代になるかもしれない」と書かれています。地球の限界が迫っていて、時間はあまり残されていないという危機感がSDGs全体に流れているということを理解していただきたいと思います。

これまでの社会のあり方、経済のあり方が、現在、そしてこれからの危機を作ってしまっている。ですから残された時間が限られている中、これまでのあり方を、いかに変革していかなければならないのか。野心的、そして大胆でスピーディーな検討というのが必要になっていると思います。

桑子 真帆キャスター:
問われているものは大きいと思いますが、本当に、この30年、気候変動もそうですし、中東情勢、それからウクライナの問題もそうですが、世界を取り巻く危機というのはどんどん深まっていると。でも、それを乗り越えていかないといけないわけで、どういう視点が私たちに求められていると考えていますか。

国谷さん:
人間が作った危機は人間が自分たちで克服していかなければならないということなのですが、中東和平合意、希望のあったオスロ合意から30年、希望が失われ、絶望的な人道危機というのが展開されていますし、気候危機の深刻化を前に、地球の環境悪化を抜本的に防ぐための変革というのもまだ起きていない。

ただ、2015年に、先ほどのVTRにもありましたように、世界は2つの共通目標を持つことができたのです。それは「パリ協定」と「SDGs」。国際社会がこれだけ分断している中で、世界が一致した、共通した目標を持っているということは、そこに私は希望を持つことができると思っています。

その希望を失わないためにどうすればいいのか。本当にさまざまな複雑な問題が互いに絡み合う中で、ありたい社会、ありたい地域を目指して合意形成というものをしっかりと作っていかなければならない。メディアには多くの人々を巻き込んでいく、変革を駆動していく役割というものを今こそ期待したいと思っています。

私は、メディアにはそうした人々を巻き込んで、そして合意形成を促すような、そうした役割、そうした力というものがあるということを信じていたいと思っています。

桑子:
ありがとうございます。エールをいただいたような気がしました。

国谷さん:
頑張ってください。

桑子:
はい。

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