ロシアの子どもたちが戦場に…? 専門家が読み解く「愛国教育」の指導マニュアル
今月、新学年がスタートしたロシア。
軍事侵攻が長期化する中、プーチン政権は「愛国教育」の名の下、若い世代に、自らの歴史観や祖国への忠誠心を 植え付けようとしています。
ロシアの学校では、いったいどのような授業が行われているのか?
3人の専門家たちに読み解いてもらいました。
(クローズアップ現代 取材班)
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ナタリア・ソプルノワさん
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長年ロシアの学校で数学教師として勤務。侵攻後に国外に逃れた。
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イリヤ・ロジェストベンスキさん
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ロシアの独立系メディアのジャーナリスト。現在はリトアニアを拠点にプーチン政権の“愛国教育”を取材。
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タチアナ・チェルベンコさん
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同僚からの「密告」によって解雇された元教師。現在もロシア国内に留まる。
愛国教育カリキュラム『大事な話をしよう』とは
今回、3人の専門家たちが「カギを握る授業」だと口を揃えたのが、去年9月に導入された愛国教育カリキュラム『大事な話をしよう』です。
日本の小中高校生にあたる生徒を対象に、週に1時間、国を愛する心を育むことを目的とした授業の受講が義務づけられました。
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ナタリア・ソプルノワさん
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これは『大事な話をしよう』の指導マニュアルです。
毎週、教師たちはこのサイトにアクセスし、 マニュアルと、授業で使うスライドやビデオをダウンロードすることになっています。
一見、戦争とは無関係のテーマだが・・・
まず、ソプルノワさんが注目しているのが、そのテーマです。
第1回の「知識の日」から始まり、「伝統的な家族の価値観」や「演劇の日」「音楽の日」など、 一見、戦争とは関係のないものばかりですが、ソプルノワさんは、そこにこそプーチン政権のしたたかなねらいがあると みています。
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ナタリア・ソプルノワさん
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この授業は、戦争のテーマだけに焦点を当てているわけではありません。
その理由は、子どもたちに警戒心を与えず、まっとうな内容だと信じ込ませるためです。 そうすれば、誰もこれを“洗脳”だとは疑いませんから。
では、実際のマニュアルはどうなっているのか?
ソプルノワさんは、ロシアがいかに他の国より優れているかを強調する内容になっているのが、特徴的だといいます。
例にあげたのは、去年10月17日に行われた第7回「音楽の日」の指導マニュアル。
教師は生徒たちにこう説明するよう、指示されていました。
「それぞれの国には、独自の音楽ジャンルがあります。例えば、イタリアのオペラ、アメリカのジャズなどです。 その中で、ロシアのバレエは永遠に世界の文化的な宝庫です」
「音楽、演劇は生きた芸術であり、偉大な作曲家や世界中にその名を知られるバレリーナやダンサーが登場した。世界の芸術の宝となったロシア・バレエは、ますます大勢のファンを獲得し続けている」
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ナタリア・ソプルノワさん
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授業のねらいは、ロシアという国家や国民が、いかに特別な存在であるかを植え付けることです。愛国的な表現を使って“私たちは一番だ” “他の国はかなわない”と強調する内容ばかりです。
巧みな“洗脳”の実態 「英雄とは命を捧げられる人間だ」
授業では、まず「ロシアは偉大な国家だ」ということを徹底的に教えた上で、 そうした偉大な国家に貢献してこそ、祖国の英雄になれると強調しているといいます。
さらに、その教え方も、子どもたちの心に響きやすい巧妙な構成になっているというソプルノワさん。
例にあげたのは、去年12月19日に行われた第15回「祖国の英雄の日」と題した回です。
指導マニュアルは、この授業の目的を示すところから始まります。
授業の目的
様々な職業の人々が示した偉業や英雄的行為に関する生徒たちの考えを形成し、 祖国への義務、奉仕、愛国心といった価値観に対する肯定的な捉え方を育成し、 歴史的記憶や世代間の繋がりの維持を促進する
形成される価値観
社会奉仕 愛国心 歴史的記憶 世代間継承
次に、過去の英雄たちの偉業を紹介。
「私たちは大祖国戦争(第二次世界大戦)などで戦った兵士たちを記憶しています」
「宇宙飛行士や彼らの飛行を準備した人たちもヒロイズムを発揮しました」
「2020年のパンデミック初期の医師たちの英雄的行為については、記憶に新しいでしょう」
ソプルノワさんが注目したのは、その後です。
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ナタリア・ソプルノワさん
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大祖国戦争で戦った兵士や宇宙飛行士は、ロシアの人たちが歴史的に誇りに思ってきた存在です。コロナ禍の医師たちも、すばらしい偉業を成し遂げました。 そこに突然、ウクライナで戦う兵士についての物語が出てきて、同じ英雄として扱われています。 宇宙飛行士や医師たちの英雄的な行為と、装甲車から飛び降りて敵に向かって発砲した人たちの 行為が、果たして同じでしょうか?
そして、指導マニュアルでは、こうした「英雄たちの共通点」について考えさせるよう、指示がされています。
教師「義務が英雄的な行為になるのは、どのような場合だと思いますか?」
生徒「(回答)」
教師「(生徒たちの回答に付け加える形で)自分が選択した行為が非常に危険であることを承知の上で、 他人のために、自分の健康や時には命を犠牲にすることができた場合です」
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ナタリア・ソプルノワさん
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こうした授業を受けた子どもたちが、戦争についてどう考えるようになるかは明白です。 社会のために死ぬのは誇り高いことだと思うようになるでしょう。それが誰にとって大事なのか、なぜ大事なのかは、一切説明されていないのに。ロシア社会は、非常に危険な状態になっていると感じます。
映像を多用し、感情に訴えかけようとする手法も
一方、プーチン政権による“愛国教育”について取材している、ロシアの独立系メディア「ドシエ・センター」のイリヤ・ロジェストベンスキさんは、別のポイントに注目していました。
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イリヤ・ロジェストベンスキさん
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こうした指導マニュアルは、以前から作られていましたが、ここ最近の特徴として、画像や映像を 有効に使おうとしていると感じます。そこには、子どもたちの感覚や感情に訴えかけようという「ねらい」があるのではないでしょうか。
ロジェストベンスキさんが例にあげたのは、今年3月20日に行われた第27回「クリミアとロシアの統一の日」と題した回です。
指導マニュアルでは、授業は以下の3つの章に分けて行うよう、指示されています。
第1章:先祖代々ロシアの領土であったクリミアの歴史について学ぶ
第2章:ロシアによるクリミア併合の理由と意義について学ぶ
第3章:ロシア連邦の一部としてのクリミアの発展について学ぶ
こうした内容自体は、決して真新しいものではないというロジェストベンスキさん。
しかし、注目しているのが、第3章のクリミアの発展についての部分です。
教師「ロシアとの統一後、クリミア半島では大規模な建設が始まりました。実際にクリミア半島がどのように変化したかを示す地図を見てみましょう」
まず、見せるように指示されているのが、クリミア半島の「地図」です。
地図上に表示されているのは、「クリミア大橋」や「高速道路」、「国際空港」など、2014年以降にロシアが整備したというインフラ。
さらに、これらの写真をクリックすると、映像が流れるようになっているといいます。
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イリヤ・ロジェストベンスキさん
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この映像には、インフラが整備されたことに感謝する市民が次々と出てきて、『ロシアのおかげでより良い暮らしができるようになった』と口々に語ります。そうした映像は、幼い子どもたちの脳裏に焼き付きます。『ロシアはクリミアに対して良い行いをしている』ということだけが、記憶に残るのです。
ロジェストベンスキさんは、こうした手法はあらゆる回で用いられているといいます。
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イリヤ・ロジェストベンスキさん
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プーチン政権は、子どもたちに“事実”を教えたいわけではありません。自分たち政権の考えや行動に賛同させられればそれでいいのです。だから、あえて難しいことは教えず、映画やドラマのような美しい物語を見せておけばいい。そう考えているのでしょう。
詳細な指示は“政権の敵”をあぶり出すため・・・?
さらに、ロジェストベンスキさんは、この指導マニュアルが、まるでシナリオのように一言一句、詳細に指示が書き込まれていることにも注目しています。
いったいなぜなのか?
それには、教師が授業を進めやすいようにする目的のほか、指示に沿った教え方をしていない教師をあぶり出し、処罰の対象にする目的があるのではないかといいます。
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イリヤ・ロジェストベンスキさん
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この授業が導入されて以降、ロシアの学校では“密告”が相次いでいると聞きます。教師の中には、こうした洗脳ともいえる内容に疑問を持ち、どうにか回避しようとする人もいますが、それを見つけた同僚が、警察に通報するケースが増えているというのです。
なかには、生徒や保護者から密告され、警察に拘束されたというケースもあるようです
ロシアの学校で広がる“密告” その背景は
指導マニュアルから逸脱した教え方をすると“密告”され、警察に拘束される―。
今回、私たちは、実際に同僚から密告されたという元教師に話を聞くことができました。
タチアナ・チェルベンコさん。
軍事侵攻を正当化するプーチン政権の教育方針に異を唱えたところ、同僚からの密告によって職を追われたといいます。
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タチアナ・チェルベンコさん
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『大事な話をしよう』の授業が始まった時、私はこれが本当に大事なことだとは思えず、数学の授業を行いました。その方が、子どもたちの役に立つと思ったからです。しかし、それが3回ほど続いたころ、教頭がやって来て、その様子を記録したのです。教頭は、私を警察に密告しました。
教頭には、政権に批判的な人間を密告し、献身的な姿勢をアピールすることで、出世したいねらいがあったのではないかとみているチェルベンコさん。
しかし、いま学校で密告が広がっている理由は、それだけではないといいます。
チェルベンコさんが語ったのは、 プーチン政権の教育方針に従わない人が“社会の規範を乱す存在”とみなされ、敵意を向けやすい相手になっているということ。
そして、そうした人たちを密告することが、戦時下の閉塞した空気の中で、不安や不満のはけ口になっているということでした。
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タチアナ・チェルベンコさん
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ロシア社会は病んでいて、人々は恐怖と圧力の下で生きています。その中で、政権側につけば、何をしても許されます。密告で簡単に鬱憤を晴らせるのです。 そのために、密告を好む同僚もいました。
プーチン政権が押し進める“愛国教育”によって、多大な影響を受ける子どもたち。
そして、その影で葛藤を抱えながら、追いつめられる教師たち。
こうした事態は、この先のロシアをどこに向かわせるのか。取材を続けていきたいと思います。