
追跡「2万人」の“消えた子どもたち” ウクライナからロシアへ連れ去りの実態
「孤児院の子どもたちがごっそりバスに乗せられた」「検問所で親から引き離された」―。
ロシアによるウクライナの子どもたちの“連れ去り”に関して、 ICC=国際刑事裁判所は国際法上の戦争犯罪にあたるとして、プーチン大統領やロシア政府関係者に逮捕状を出し、世界の注目を集めています。
私たちは去年夏からウクライナのロシア占領地の取材を進める中で、「ロシア側が子どもを狙い、連れ去っている」という多くの人々の証言を得ましたが、その後の情報と手がかりはほとんどありませんでした。
まさに“消えてしまった子どもたち”。その実態と真相を知りたいと、ウクライナとロシアでの取材を続け、かろうじて子どもを取り戻すことができた家族に話を聞くことができました。その追跡取材の記録です。
(クローズアップ現代「消えた子どもたち」取材班)

クローズアップ現代「“消えた子どもたち”を追え! ロシア・知られざる国家戦略」
4月5日(水)よる7時30分~放送
調査報道で浮かび上がった“消えた子ども”の存在
「ウクライナから大勢の子どもが次々と消えているらしい」
私たち取材班がその情報を初めて耳にしたのは、去年11月にBS1で放送された「デジタル・ウクライナⅡ~埋もれた戦禍を追う~」の取材の最中でした。ネットや人工衛星などの公開情報を解析するオープン・ソース・インテリジェンス=OSINTを用いて、ロシアの占領下におかれた東部マリウポリの犠牲の規模や、市民の避難ルートを解析。避難した市民や支援団体などへの取材を通して、侵攻開始直後からウクライナ側に抜ける避難ルートは実質的に閉ざされ、残された市民らはロシア側への避難を余儀なくされていたという実態を突き止めるとともに、その過程で多くの子どもが行方不明になっているという情報にたどり着いたのです。

ロシア側は、マリウポリから避難する市民に対し“選別”だとして拘束や尋問などを繰り返し、時に長期にわたる収容を課していました。“選別”により親と引き離されてしまった子どもも少なくなく、そうした子どもが大量にロシア側に連れ去られているというのです。

ロシア側のメディアに映し出された、大勢の子どもたち
さらに、ロシア側が公開するSNSなど、ネット上の分析からも気がかりな動向がキャッチされていました。昨年の4月以降、大勢の子どもがロシアの空港や駅に到着し、歓迎されている様子を映した動画が多数、拡散されていたのです。


ロシア側のメディアはこうした子どもたちを、“(ウクライナ東部)ドンバス地方の子ども”だと紹介し、ウクライナ側の攻撃から守っているのだと主張。
さらにロシア人家族が里親として受け入れていると伝えていました。動画に映る子どもたちの中には、おそらく自分の名前すら覚えていないであろう乳幼児の姿も確認できました。
映像に映る子どもたちは誰なのか?戦時下の混乱に乗じて、ウクライナからロシアへ子どもが大量に移送されているのであれば大きな問題なのではないか?私たちはこうした疑問を出発点に、“消えた子どもたち”の取材を開始しました。
「誰が味方で敵か分からない」広がる疑心暗鬼

「マリウポリで3歳の男の子が行方不明になりました」
「金髪に青い目の4~5歳の女の子をみかけませんでしたか?」
キーウ市内の子どもの捜索団体=マグノリアを訪ねると、子どもを探す親族の悲痛な叫びが次々と寄せられていました。マグノリアは20年以上前から活動している団体で、失踪した子どもたちの写真や年齢、特徴をSNSやホームページなどで掲載し情報提供を呼びかけてきました。これまでは年間300~400件あまりだった問い合わせが、侵攻開始後の1年間で3000件以上に急増。
その多くがロシアへの連れ去りだとみられています。

私たちは連れ去りの実態に迫るため、40を超える団体や関係者に接触し、捜索の密着取材などへの協力を依頼しました。
ところが、そうした取材は難航を極めました。メディアの関与で捜査中の情報が外に漏れ、ロシアに手の内をさらすことになれば、救出ルートが断たれる可能性があるというのが最大の理由でした。
また、養護施設などの子どもの避難に関わったウクライナ軍関係者の証言では、“支援団体”を名乗るグループが、子どもの居場所などの情報をロシア側に不当に流していたとみられるケースが複数件あったといいます。
取材のなかで、次のように語った人がいました。
「誰が敵で味方かもわからない」
戦時下での子どもの保護をめぐり、ウクライナ国内で疑心暗鬼が広がっている状況が垣間見られました。
最愛の孫が失踪「あの日から、私の中ですべてが止まっています」
「あの日以来、私の中で全てが止まってしまいました。もうずっと生きている心地がしません」
そう語るのは、1年以上、孫を探し続けている女性です。関係者の多くが、子どもの命に危険が及ぶとして固く口を閉ざすなか、個人や場所が特定される情報を一切公開しないことを条件に、特別に取材に応じてくれました。

7歳の孫が突如姿を消したのは、ウクライナ東部の占領地でした。
去年の夏にロシアの収容所で目撃したという証言もありましたが、その後、何の手がかりもないといいます。

動物好きの、優しい子どもだったという少年。女性は、孫の安否が、気がかりでなりません。
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孫を探す女性
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「マリウポリの劇場に“子ども”と書かれていたのに、ロシア人は子どもたちを標的にしました。そんな人たちが、自分たちの領土で子どもたちを人道的に扱うとは思えないのです」
子どもの捜索団体=マグノリアのマリーナ・ライポヴェツカさんによると、この女性の孫のケースのように、多くの失踪がロシアの占領地域で発生しているといいます。ウクライナ政府も立ち入ることができないため調査は困難を極めており、「何が起きているのかが分からないことが一番の問題」だと語るマリーナさんのことばからも、事態の深刻さがうかがえました。

連れ去り“2万人”の衝撃
ロシアによる子どもの連れ去りの実態は、どれほどのものなのか?
ウクライナ政府で子どもの人権に関する大統領顧問を務めるダリア・ヘラシムチュクさんは、関係機関との連携を図りながら、ロシアとの子どもの返還交渉を行っている中心人物の一人です。
政府が立ち上げた「Children of War(戦禍の子どもたち)」というウェブサイトを通して、ロシアによって連れ去られた子どもや、侵攻によって死亡した子どもの情報を集めて発信しています。

そのサイトによると、ロシアによるウクライナの子どもの連れ去りは、4月時点で確認できているだけでも、およそ2万人。さらに、数十万を超える子どもの情報の確認を急いでいるといいますが、ロシア側の十分な協力を得られていないといいます。
ダリアさんは「ロシアは、ウクライナが子どもたちを連れ戻さないように全力で取り組んでいる」と、憤りを露(あら)わにしていました。
ロシアから子どもを救出した家族を探せ
取材を進めると、ロシアから自分たちの手で子どもたちを取り戻した親たちがいることがわかりました。私たちは、ロシアで何が起きているのか、その目的はどこにあるのかを知る上で、ロシアに連れ去られたのちに家族のもとに帰還した子どもたちに話を聞く必要があると考えました。
しかしこの取材も簡単ではありません。帰還することができた子どもは、連れ去られた2万人に対して、わずか328人(4月4日時点)にとどまっているからです。子どもたちの実名や情報は一般には公開されていない上、彼らの多くがトラウマを抱えているとされているため、最大限の配慮が求められます。

12月初旬。私たちの元に、水面下で情報提供を続けてくれていたNGOから連絡が入りました。ラトビアに逃れているある家族なら、証言してくれそうだというのです。交渉を重ね、取材の許諾を取り付けた私たちは、ラトビアへ向かいました。

話を聞かせてくれたのは、エフゲン・メジェヴォイさん一家。去年4月、マリウポリから避難する際、検問所で父親のエフゲンさんは拘束され、その間に長男のマトヴィくん(13歳)、長女のスヴャタさん(9歳)、次女のサーシァさん(7歳)はロシアへと連れ去られていました。

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エフゲンさん
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「拘束から解放されて、子どもたちがモスクワに 行かされたとわかりました。なぜ子どもをロシアに連れて行ったんだ!? と怒鳴り続けていました」
ロシアに移送された3人が送られた先は、モスクワ郊外にある「ポリャーヌイ」と呼ばれる施設です。ロシア大統領府が管轄する施設で、傷ついた子どもたちをケアするプログラムを提供しているとしています。
子どもたちは「療養が必要」だとロシア側に告げられ、他の子ども28人とともに、「ポリャーヌイ」に入所したといいます。
しかしエフゲンさんの子どもたちに話を聞くと、その印象は異なるものでした。

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長男・マトヴィくん
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「大音量で音楽が鳴る、ディスコという部屋に閉じ込められることがありました。大きい音で、頭が痛くなることもありました。体調が悪いので横になっていたら、すぐに先生が来て『仮病を使うな』と言われディスコに行かされました」
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長女・スヴャタさん
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「犬を殺して毛皮のコートを作る恐い映画を見せられた。犬が好きなので 観たくなかったです」
ウクライナの臨床心理士に取材すると、こうしたプログラムへの参加を強制することは子どもたちを心理的に不安定にさせ、子どもがマインドコントロールされやすくなるおそれがあると指摘します。
そして3人の子どもたちは、施設から「5日以内に孤児院か、ロシアの里親の元に行くか、どちらかを選べ」と迫られます。

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マトヴィくん
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「彼らは里親を選ぶように強く迫ってきました。父親がいるのに ほかの家の子どもになれなんておかしな話だと思いました」
里子に出される直前だった・・・父親の救出までの闘い
一方同じころ、父親のエフゲンさんは子どもたちを連れ戻したい一心で、知人を頼ったり、ロシア大統領府にメールを送ったり、あらゆる手を尽くしていました。そしてSNSを通じて連絡をとったのが、ロシア国内にいるという「協力者」でした。

「危険にさらしたくないので、詳しくは話せない」という、その人物の支援により、3人の子どもたちを取り戻すことができたのは、離ればなれになって74日目のこと。エフゲンさん自らがモスクワまで行き、自分の手で子どもたちを取り戻しました。そのタイミングは、まさに3人の子どもたちがロシアの里親に里子として出される直前だったといいます。
3週間以上、ロシアに連れ去られていた子どもたち。長女のスヴャタさんはPTSD(心的外傷後ストレス障害)の診断を受けており、エフゲンさんの心配は尽きません。

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エフゲンさん
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「スヴャタは、夜中に起きては暗い場所を指さし、どこかに行こうとするのです。ロシアの施設で何があったのか、想像もつきません」
現在はラトビアで避難生活を送るエフゲンさん一家。子どもたちに安心して育ってもらうため、故郷には戻らず、今後もラトビアで生活していく予定だといいます。
取材後記

「お父さんは必ず、ロシアに助けに来てくれると信じていた」
涙を浮かべながら語った長男のマトヴィ君の言葉が、今も胸にぐっと刺さっています。
数日間の取材と交流を通して、エフゲンさん一家がいかに固い絆と信頼感で結ばれているかを随所で感じ取ることができましたが、聞くと家族の内情は非常に複雑でした。
長男のマトヴィ君は、前妻の連れ子でエフゲンさんとは血縁はありません。子どもの頃に両親と離れ離れになった経験があるエフゲンさんは、マトヴィ君を姉妹と共に“自分の子ども”として大切に育ててきました。子どもたちをロシアから救い出す原動力となったのは、「かつて自らが経験した痛みと悲しみを、子どもたちには絶対に経験してほしくない」という思いだったといいます。
家族とは何なのか、その本質を考えさせられる取材でした。そして、家族を引き裂き、立場の弱い子どもを傷つけるのが戦争であることを、あらためて実感しました。