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100年前の「福田村事件」を演じて 東出昌大さん「僕があの場所にいたら・・・」

関東大震災からことしで100年。当時、地震直後の混乱の中で広まった「デマ」により、多くの朝鮮人などが軍や警察、民間人によって惨殺されました。

千葉県の福田村(現・野田市)で起きた「福田村事件」では、香川県から来ていた行商の一行が地元の自警団に朝鮮人と疑われ、9人が命を落としました。

ドキュメンタリー作品を多く手がけてきた森達也監督が、ことしこの事件を題材に劇映画に挑みました。

村人たちはなぜ暴走し、なぜ「集団の狂気」は止められなかったのか・・・。村人を演じた俳優たちは、撮影を通して何を感じたのか。

事件の際、不安と恐怖から暴徒化した村人たちを制止しようとする船頭を演じた東出昌大さんへのインタビューです。

(政経・国際番組部ディレクター 渡邊覚人)

▼「クローズアップ現代」9月6日(水)まで見逃し配信

福田村事件とは

内閣府中央防災会議の専門調査会の報告書によると、当時、関東地方各地では「朝鮮人が井戸に毒を入れた」「火をつけた」などの流言(デマ)が広がり、多くの朝鮮人や中国人が民衆や軍、警察によって殺傷されました。

関東大震災から5日後の大正12年9月6日、甚大な被害が出た都心部からおよそ30キロ離れた千葉県福田村。香川県から来ていた薬売りの行商の一行が神社で休憩していたところ、地元の自警団に言葉や持ち物などから「朝鮮人ではないか」と疑われ、幼い子どもや妊婦を含む9人が命を落としました。

事件後、殺害を主導した自警団の8人が有罪判決を受けたものの、その後、大正天皇の崩御に伴う恩赦で釈放されています。

森達也監督の作品で ものの見方が変わった

東出昌大さん
俳優・東出昌大さん

-今回の映画に出演しようと思ったのはなぜですか。

東出さん
もともと僕は森達也監督の映画・本・ドキュメンタリーが大好きで、「A」(オウム真理教を内部から撮ったドキュメンタリー)なんて何回見ただろう。その森監督が劇映画を撮ると聞いて、ぜひ出させていただきたいと思っていたところ、オファーをいただけました。

-もともと森さんの作品のどんなところにひかれていたのでしょうか。

東出さん
森監督の本にも書いてありますが、善悪二元論に走りすぎると、それを集団の狂気が加速させる。人はなぜそうなってしまったかを考える前に人を罰するという気持ちのほうが強くなってしまって、でもなぜそうなったのかを考え続けないとまた同じ過ちを繰り返してしまう。最初に見た森監督の作品は「A」でした 。僕はオウム真理教事件があったとき子どもでしたが、「オウム信者の人たちは狂っている」と日夜テレビで見ていて、元代表の麻原彰晃、本名・松本智津夫元死刑囚が死刑となったとき、「そうだそうだ、早く死刑にしろ」と考える国民の1人だったんです。ただ、森さんの本を読んで、「麻原がなぜ蛮行に至ったかを解明する前に死刑にしたら、同じ過ちが繰り返されるのではないか」と書いてあって、そうだよなと思いました。
「集団の狂気」は僕も集団の側にいたので怖いです。ものの見方について、もうちょっと多角的に見られるようになったきっかけをくださったのが森監督ですね。

「集団の狂気」のなかで「個」を保てるか

-東出さんが演じた船頭の倉蔵という役は、日本の伝統的な村社会の中で、周囲から浮いた存在として描かれていましたが、どんなことを意識されましたか。

東出さん
森監督から最初にお話をいただいたとき、プロットがあって企画の説明があったのですが、「集団の狂気にかられた村の人たちが行商団を襲って殺りくをするという話ではあるけれども、その村の人たちだっていい父でありいい母であった。でもそういう人たちが、なぜ蛮行を行ってしまったかを描きたい」という監督の言葉がありました。そのなかで倉蔵という役はどうなんだろう、と考えていたのですが。

映画のワンシーン
東出さんが演じる船頭の倉蔵(右)

東出さん 
今回の作品は「集団の狂気」を描いていると思いますが、倉蔵はあまり集団には属さない人物だったのかなと思います。別に田畑を持っているわけではなく、船頭の仕事は雨が降って川が増水したら全然商売にならない日もある。でも倉蔵はたぶん川面を眺めながら「人間ってなんだろう」とか「動物ってなんだろう」とか「生きるって、集団ってなんだろう」とか考えていた人物だったんじゃないかなと僕は思っていたんです。そうしたら森監督も同じことをおっしゃっていました。

-集団のなかで個人はどうあるべきかという点に関しては、何を感じながら演じていましたか。

東出さん 
撮影現場で印象的な瞬間があって、「集団の狂気」がいよいよ加速して虐殺が始まるときに、僕が演じる倉蔵が止めに入るんです。そうしたら「倉蔵はそんなに主義主張があるわけじゃないだろうし、なんで止めるんですか」という意見が出たんです。なんでというか、でも倉蔵は止めるだろうと僕は思ったんですよね。そしたら監督がいらして「いや、倉蔵は止める人です」と。「なぜですか」って聞くと監督は「倉蔵はふだん川面を眺めながら過ごしていて、虫でも魚でも人でもなにかの命が無駄に失われるのを嫌がる人なんです。それが人間らしいところでもあるし、そういう人だから止める。主義とかじゃないんです」と言っていました。
集団のなかにいたら、狂気が伝播(でんぱ)して人は「わーっ」となっちゃうけど、倉蔵はあまり集団に属していないから「そもそも人が人を殺すのはダメでしょう」と考えていたんじゃないかなと思いますね。

自分なら虐殺を止められただろうか

東出昌大さん

-もし実際にご自身があの場にいたら、どんな行動をとっていたと思いますか。

東出さん
止めようとした人間でありたいと思います。倉蔵と近いんじゃないかな。映画の話なのでいまこうやって取材を受けられるけど、もし自分が本当に倉蔵だったら、一生涯心に傷というか重荷というかPTSDのような感じになるでしょうし。
僕があの村に生まれ育ったら、それこそ朝鮮の人への差別意識もあったかもしれない。村を守ろうとしたらそれが当たり前だろうという集団心理に左右されていたかもしれない。

映画のワンシーン
映画で描かれる村人たち

-ああいう時代のなかではしかたがない部分があったと。

東出さん
しかたがないというのか・・・。僕は人は人を責められないのではないかと思います。本当にその人の人生を過ごしたわけではないので。
なぜそういう蛮行に及んだか、僕らは答えを知っているかのように、そんなことやっちゃいけないと思考停止に陥るけど、いやいや本当は誰しもがそういうことをする可能性がある。被害者だけではなく加害者側がなぜそうなってしまったかを本当に考えるのは、すごく時間がとられることだけど、そこを考えないと結局意味はないんじゃないか。福田村は事件のタイトルになっているけど、当時日本のどこの村でもあり得たのではないかと思います。

いま、100年前の事件を描く理由

撮影風景
行商役の永山瑛太さん、森達也監督、東出さん

東出さん
今回事件から100年たって、誰も知らないような、でも本当にあった福田村事件という“虐殺”を物語化したと思うのですが、なぜ誰も知らなかったのかということを考えると、事件をうやむやにしてしまった歴史があると思うんです。
ただ、それは現代も変わらないと僕は思っていて、例えば事件でもメディアは騒ぐだけ騒いでおいて、その後もういいやってうやむやにしちゃう。そこで思考停止になるから、なぜそうなったのか、本当のところを考えないまま問題を闇に葬ってしまうのはいまも変わらない。特に情報の流れが速いと真実もデマもいっしょくたになって流れてくるので、いよいよ気をつけなければいけないと思うんですよね。

-100年前と同じようなことが現代でも起きかねない。

東出さん
これはずっと昔からなのかもしれないけれど、「正義」のためだといって思考停止になることは非常に怖いことだと思います。悪いことをしたんだから、これが正義だからと人を罰したり、ショートカットして結論を急いだりする時代になっているのではないかと思います。
僕は人間ってちょっとクズだったりドジだったり、落語の与太郎みたいな、そういう部分があってもいいなと思うんです。ちょっとずれている人とか、それこそ「男はつらいよ」の寅さんの世界観って、いまのモラルからすると危ないことがいろいろある。でもいまそれをすると、それひとつで「人にあらず」というくらい集中的に責められる世の中というのもどうだろうと思うんですけどね。

撮影風景
東出さんと森監督

-いま、福田村事件をあえて映画にする意味とはなんでしょうか。

東出さん
人が人をあやめるという蛮行は本当に究極のことだと思います。なぜその集団がそんな狂気に走ったのか考える、知るきっかけとして、福田村事件はまたこうやって再発掘されないといけない題材だったと思います。映画を見てほしいというか、知ってほしい。考えるきっかけをくれる作品になると思います。
僕は今後もそういう作品に携わりたいと思います。娯楽映画だってもちろん必要です。けど、映画作りにおいて 「それはちょっと、とがりすぎているから企画化するのをやめよう」ということもある。日本人のくさいものにふたをしがちな文化は、こと芸術表現とか映画表現においてはもっともっと打破しなければいけないと思います。タブーだから作品化できないというものは、まだまだ多いので。

-そうした作品に携わることで、ときにご自身にも刃が向きかねないのではと思うのですが。

東出さん
気にしないですね、僕は。そんなことを言っていたらものがどんどん作れなくなるので。いまは輝かしいものだけを前に出して汚いものは全部ふたをするということが表現の現場であまりにも多くて、それは逆に不健全じゃないかなと。
露悪的に表現するというのではなく、ちゃんと真摯(しんし)に向き合ってものを考えるきっかけになる、挑戦的な作品はもっともっと生まれるべきだと思いますし、そうした作品を作りたいと思います。

-最後に、この映画「福田村事件」を見た人にどういうことを感じてほしいですか。

東出さん
本当にお客さんが何を思って帰られるか、こう感じてほしいというのはないんです。登場人物が多かったなとか、映画の尺が長かったなとか、別に怖いと思わなかったなとか、いろんな感想があっていいと思うので。

みんなのコメント(1件)

感想
ジェルソミナ
60代 女性
2023年9月1日
人間が集団になると起こる安堵感。自信
弱者が強者となり、他者を下に見る満足感。自分軸が抹消される。
変わらないのは自然の営みかー。人間も野花である意識を持ちたい