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「絵を描くことが、私にとって“祈り”」 絵本作家・神田瑞季さんインタビュー

緑色の大地に生えた力強い1本の木、そしてそこに集う動物たち――

「いま言葉にしたい気持ち」のトップページに掲載している絵は、絵本作家やアーティストとして活動する神田瑞季さんが、私たちのプロジェクトのために描いてくれた作品です。

宮城県女川町出身の神田さんは、東日本大震災で祖父を亡くしました。震災後、「周りの人に明るい気持ちになってほしい」と絵を描き続けてきた神田さん。これまでの創作活動、そして作品に込めてきた思いを聞きました。

(報道局 社会番組部 ディレクター 板橋俊輔・武井美貴絵)

神田 瑞季さん(26)

宮城県女川町出身。中学校の卒業式の前日に被災。一緒に暮らしていた祖父・明夫さん(当時77)は、近所の体が不自由な人に避難を呼びかけに行き、津波に巻き込まれた。7歳からアトリエで絵画を習い、美術科のある仙台市の高校に進学。絵本の執筆のほか、2019年からは故郷・女川町に絵を寄付して町を彩る「カラーライフプロジェクト」を開始。ことし、女川町で自身初の個展を開催した。

「生命力があるものに人はひかれる」

神田さんが描いた「いま言葉にしたい気持ち」ウェブサイトのキービジュアル

私たちが神田さんに絵の制作を依頼したのは、このプロジェクトを始める直前のことし1月のことでした。「震災で大切な家族を亡くした子どもたちの対話の場づくり」の説明をしたところ、神田さんが描き上げたのは1本の大きな木の絵でした。

――この木の絵はどのような思いを込めて描かれたのでしょうか。

神田さん:
「いろいろな方が話し合う場で、いろいろな方の話が掲載される場」と聞いたときに、すごく明るいイメージがついてくれればいいなというのを感じたので、暖かい日の光を感じる場所であってほしいという思いから、ほっとできる集いの場をイメージして描いています。春の暖かい季節を表したいと思って、野に咲く草花の木を描かせていただきました。
色使いには気をつけて、生命力を感じるような緑を使ってこの木を描いています。生命力があるものに人はひかれるかなとすごく感じていて、自分がちょっと疲れていたり弱っていたりするときほど、そういうものにひかれるんじゃないかと感じています。

神田瑞季さん インタビューは2021年11月にリモートで行いました

「木には生命力がある」と語る神田さん。震災の後、神田さんは絵のモチーフとして「木」を選ぶことが多くなったといいます。

神田さん:
私、今いろいろなところで木のモチーフをずっと、描き続けているんですけれども、木の風景が見えるようになったのが、震災後からなんです。生命力を「木」に対してすごく感じていました。「木」を「人」に重ねて、厳しい環境が、きっときれいな花を咲かせるための肥料になるから、「あとちょっと諦めないで、前に進んでいこう」って、何かそういうものを木から感じていたのもあります。私は自分が見える景色は“神様が見せてくれるもの”とずっと捉えていて。筆を通してその景色をみんなと共有して、何か明るい気持ちになってくれたらいいなって、そんな思いで今は描いています。

グレー一色だった町に、きれいな色を

祖父・明夫さんと幼少のころの神田さん

神田さんは、一緒に暮らしていた祖父の明夫さんを震災で亡くし、当時は突然の別れを受け入れることができませんでした。大好きだった絵を描くことで、自分だけでなく、周りの人々の力になりたいと思うようになりました。

――震災が起きた当時は、どういう思いで絵と向き合っていたのでしょうか。

神田さん:
震災当時強かったのは、私もそうですし、私よりもっと苦しくつらい思いをしている方たちに少しでも色で明るい気持ちを届けられたらいいなという思いです。本当に町全体ががれきでグレー一色だったので。そこにきれいな色をあてられたら、それで誰かが通りかかって見た人が、ちょっとでも明るい気持ちになれたらという思いが始まりでした “使命感”みたいなものがすごく先行していたのもあります。「私ができることって何だろう」というところで、絵を描いたのも大きくて。

女川町のがれき処理場に神田さんが描いた絵

「明るく未来を見ていこう」とか、「みんな無理矢理強く前を向こう」という志のようなものではなくて、目に入ったときに、ふわっと心が軽くなるとか、ポジティブな感情のきっかけになったらいいなって。そういう単発的にでも気持ちが上がってくれる、その一瞬でもいいからって、描いていました。

――絵を描くことが、ご自身のためにもなった面もありますか。

神田さん:
自分にかかってくる負荷みたいなものを明るい色としてアウトプットすることで、自分も何か整理整頓されるような感じはありましたね。
絵という手段を取ったのも、明るい色自体にすごく力があるのを感じていたからで。私自身、絵じゃなくても震災後、その1日を生きるための瞬間的なパワーをもらっていたのが、いちばん身近にあるきれいにデザインされたものとか、強い色、きれいな色だったんです。洋服とかきれいな雑貨とか、そういうものにきょう1日生きる背中を押されていました。視覚ってすごく影響が大きいというか、「頑張れ」って言ってくれるものなんだって私自身の経験で感じたので、それを共有したい、ポジティブな感情のきっかけになってくれたらいいなと。あとは苦しい思い、生きづらい思いを感じている方々に幸せになってほしい。幸せを諦めないで進んでいこうねって。そんな思いで描いていますね。

初めての絵本 明るいシーンほど筆が乗らなかった

神田さんが初めて手がけた絵本「なみだは あふれるままに」  5年近くかけて制作した

その後、神田さんの描いた絵は女川町の「震災復興絵はがき」になるなど、創作の場を広げるとともに、メディアからも注目を集めました。そして震災から5年がたった2016年には、初めて絵本を出版。震災当時、目の前に広がっていた風景、そしてそのショックと向き合う少女の心の動きを描きました。

――絵本「なみだは あふれるままに」が世に出たのが2016年でした。震災から5年近くがたった頃でしたね。

神田さん:
あの絵本は、完成するのに5年かかってしまったという感じで。やっぱり明るいシーンが、どうしても自分の状態的に描けなかったこともあり、すごく難しいお仕事でした。技術面とかいろいろなこともありましたが、自分のメンタル面もどうしても切り離せない。当時、学生の私には、「お仕事」として切り離して進めるってことが、どうしてもできなかったです。
つらいシーンほどよく描けるけれども、明るいシーンほどあまり筆が乗らないというか、いい絵が描けない状態が続きました。例えば、笑ってはしゃぐ子ども達や、子どもの幸せそうな表情は、自分自身がそこから遠い感情、環境にいるために描くのが難しかったです。遊んでいる様子を描いたら、後ろ姿がすごく悲しそうに見えてしまったり。人間の表情や感情表現というものは、明るい木の絵を描くマインドとは全くの別物でした。出版社さんも「本当にゆっくりでいいよ」っておっしゃってくれたので、いったんお休みするなどして、5年という月日が流れた感じです。

実は絵本を制作していた頃、神田さんは仙台市内の高校や県外の大学に通っていました。大津波に襲われた故郷・女川町と比べ、被災の経験が少ない同級生や周りの人の震災の受け止め方が違うことに悩み、精神的に不安定になることも多かったといいます。

神田さん:
「木」の絵だったら、明るいのは描けるけど、また違う描写になってくると難しいとか。自分のメンタルの状態と、制作・表現するのは切り離せないものかなというのは感じました。当時は、パニック発作などの症状もありましたし、PTSD(心的外傷後ストレス障害)の症状が強く出てきたのが、大体、絵本制作時の数年だったかなと。ちょうど当たっちゃったんですね、そこの時期に。学校生活もすごく大変でした。
自分でたくさん笑える環境に身を置くとか、自分でできることを模索しながら、あとは時間に任せたりとかしていましたね。

新作で伝えたい「会いたい」気持ち

ことし11月に出版した絵本「すてきなおとどけもの」(絵・神田瑞季 文・かのりんか)
作品の情報はインスタグラムなどSNSで発信 全国から感想が寄せられている

大学卒業後、アパレルのデザインや絵画の講師など、活躍の場を広げている神田さん。ことし、新作となる2冊目の絵本を制作しました。タイトルは「すてきなおとどけもの」――主人公のアライグマが、大好きなおばあちゃんのもとにお届けものをする話です。その道中、主人公はさまざまな動物たちと出会い、いろいろな出来事に直面します。神田さんはこの絵本を通して、震災だけでなく、新型コロナの感染拡大で自身が感じた思いを伝えたいといいます。

――絵本の解説に「東日本大震災や新型コロナを経験し、この時代に生きるすべての人に伝えたいこと」という言葉がありました。

神田さん:
新型コロナと震災というところからお話しさせてもらうと、私の個人的な感じ方からすると、「2つの出来事は結構似ている」と思ってしまったところがありました。去年、最初の自粛生活になったときに、例えばスーパーに行く時間が細かく決まったりしたときに、「震災後の生活と少し似ているな」って。生活の基盤となるような衣食住はしっかり整っているけれど、感染による命の危機がある、生活の中にいろいろな制約がある。震災後の生活で、私が配給される食料物資を決まった時間に取りに行ったりとか、水くみの時間があったりとか、起きていることは全然違うんだけれども、私の中では同じような雰囲気を感じたんです。

――絵本のあとがきには、神田さんの「会いたい」という気持ちをテーマにしたと書いています。これはどういう思いでしょうか。

神田さん:
「会いたいな」と思う気持ちって、コロナ禍で生きている人どうしで思うのもそうだけれども、私がおじいさんに対して会いたい、亡くなった方に対して会いたいと思う気持ちも、また何か似たものがあるかなってすごく感じていて。なので「会いたい」「会いに行く」をコンセプトに絵本を制作しました。このコロナ禍でも、たくさんの人が感じた感情をテーマにすることで、今伝えられることとして発信できるんじゃないかなって。
「会いに行く」って、つまりは“生きていくこと”だと私は思うんです。私がおじいさんに会いに行くことはつまり、人生を生きていくことだなって思っていて。
主人公のアライグマは、ピッケという小さい男の子で、おばあさんに会いに行くお話なんですが、絵本の中でいろいろなことが起こって、でも最後はうまくまとまる――ざっと言うとそんな感じの内容なんですけれども、私の中で“裏テーマ”というか、自分の中では、会いに行く道すがらを「人生」として捉えていて。最期、私が寿命を迎えておじいさんに会えましたというときに、今までの人生のことをいろいろ話したら、「こんなことがあって、これが大変で、こうだった。でもこういう人たちとたくさん出会って、こうだったよ」って人生の話をしたら、きっと祖父はすごく楽天的な人だったので、“終わりよければ全てよし”みたいな感じで、笑って聞いてくれるんじゃないかなって。

前向きな印象に変わった“対話”の場

「会いたい」という今の気持ちを新作の絵本に託した神田さん。このサイトでこれまでに掲載された、震災で大切な家族を亡くした自身と同年代の人たちの対話を見て、気づかされたことがあるといいます。

――こちらのサイトに掲載された過去の対話をご覧になってどんなことを感じますか。

神田さん:
すごくどんよりするようなイメージが勝手に読む前はあったんですけれども、読んでみると、それぞれの方がちゃんと自分の言葉で向き合っていて、今頑張って生きる人たちにとって、1つの参考になるのではないかと感じました。すごく前向きな印象に読んでみて変わったのは事実ですね。
「経験を自分自身にとってのプラスに変えていきたい」「これから変えていくんだ」という思いは共通しているところなのかな。たくさんの生き方が記されていて、まだ震災で苦しんでいらっしゃる方とか、「こうあるべきなんじゃないか」って苦しむ方々にとって、「こんな生き方があるよ」「こういう考え方とかあるよ」ってポジティブな発信になっているなって感じています。話すことはセルフケアにつながるんですけれども、「他の人がどんな生き方をしているんだろう」って触れることも、1つのケアにつながるんじゃないかなって気づきました。

「絵で祈り、色で愛を伝え続けていく」

ことし3月に女川町で開いた初めての個展

インタビューの最後に、神田さんは次の目標について語ってくれました。それは故郷・女川町で個展を毎年3月に開いていくこと。ことし3月に初めて個展を女川町で開いた神田さん。その経験が自身の創作活動の大きな転換点になったと言います。

神田さん:
ことし3月に開催した初めての個展がすごく私の中で印象的だったんです。今まで作品をがれき処理場の壁に書いたりとか、寄付したりとか、ずっと届け方が一方通行だったんです。けれども、初めて目の前で自分の絵を見た人の反応が個展で見られたんですよね。そのときに「すごい」とか「きれい」とか言って下さって、そういうポジティブな感情が少しでも生まれればと思ってずっと活動をしてきていたので、その反応を見られたことが、この上なくうれしくて。「やってきてよかったな」ってすごく思いまして、たくさんの方に見ていただけたことは、本当に幸せだったなって。自分の活動にもしかしたら意味があったかもしれないなと、感じられたものでした。ずっと描いてて、絵を描くこと自体が、私にとって祈りなんだなってすごく感じましたね。絵で祈って、色で愛を届けているのかなって。

女川町に寄贈した絵画(2019年)  町の保育所の入所式などのイベントで飾られている

神田さん:
私はどんな形であれ、今後も被災した方々に支援は必要だとすごく感じていて、自分自身もそうだと思うんですけれども、10年たっても震災はやっぱり大きい傷なんですよね。10年たっても生きづらさを感じている方は、すごくたくさんいるので。だからこそ私自身も、絵で祈り、色で愛を伝え続けていく活動を続けていく。私が自分自身にできる1つの支援だとも思っているので、これは続けていきたいなって。なので、個展を毎年行えたらすごくいいなって思うのと、ポジティブなビジュアルから、生きることについてとか震災とか、そういうことについて考えてもらいたいです。女川町という場所も発信していけたらいいなって。 そのときに、できれば3月。おじいさんの命日でもありますし、毎年何かしらの表現を、本当にたくさんの方々に花を手向ける意味でも、ずっと続けていけたらいいなと思っています。

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