“たすけあいモスク”へようこそ ~日本に生きるムスリムの世界~
夜の東京・池袋の公園。
外国人のグループが生活困窮者や路上生活者の人たちに食料を渡すようになって、11年が経つといいます。聞けば彼らは東京のモスクに通うイスラム教徒(ムスリム)。
なぜ国籍も宗教も異なる日本の生活困窮者たちを助けるのでしょうか。「相手を幸せにすることで、自分も幸せになる」という、彼らの世界をのぞかせてもらいました。
(第1制作センター教育・次世代 ディレクター 大島悠也)
ムスリム以外も大歓迎の「たすけあいモスク」
寒波が訪れた今年1月。街行く人たちがコートの襟を立てて歩くなか、東京・池袋の公園で生活困窮者の人たちへの“炊き出し”が行われていました。約70人の支援者のなかに、10人ほどの外国人のグループがいました。
彼らは東京・大塚にあるムスリムの礼拝堂「大塚モスク」に通う仲間で、毎月1度、この公園で炊き出しを行っているのだといいます。
今、日本にいるムスリムは約23万人、モスクの数は100以上あるとされています。「大塚モスク」は2000年に設立された、日本のムスリムの間では有名な老舗モスクで、礼拝や結婚式、葬儀などの宗教的活動と、社会のためになる「社会的活動」を続けています。炊き出しは、「社会的活動」の一環だといいます。
取材に訪れた日は、月1回の炊き出しボランティアのため有志が集まっていました。
参加者の出身国は、日本、パキスタン、バングラデシュ、中国、ウズベキスタン、インドネシア、マレーシア、エジプト、チュニジアなどさまざま。ここでの公用語は日本語と英語です。ムスリムではない人も多く訪れます。
なぜこのモスクで炊き出しに参加しているのか。日本人の女性に話を聞きました。
「イスラム教には、自分で富をためておくのではなく共有するべきだ、という教えがあるんです。私はムスリムではないのですが、それがすごくいいなと思ってボランティアに参加しています。こうした「(自発的な)喜捨」のことを、アラビア語で『サダカ』といいます。」
大塚モスクでは、東日本大震災が起きた時には、ボランティアを募って翌日には現地入りし、これまで100回以上、被災地を訪問して、炊き出しや生活用品を届けるなどの支援をしました。宗教や国籍に関係なく誰でも参加できる交流イベントも月1回開催して、地域の人たちとムスリムの間の交流を生み出したり、絆を深めたりしています。
「病院に払うお金がない」ギリギリの人たちが駆け込んでくる
モスクは助けを求める人たちがいつでも扉を叩くことができる「駆け込み寺」にもなっています。大塚モスクの責任者でパキスタン出身のクレイシ・ハールーンさん(57)の元には、ひっきりなしに相談者が訪ねてきます。ハールーンさんは日本に移り住んで32年。取材には流ちょうな日本語で答えてくれ、ほかに英語と、パキスタンの公用語のウルドゥー語を話します。
お金がなくて病院に行けず困っている、という、同じパキスタン出身の男性がやってきました。かつて自分のレストランを経営していましたが、病気になり仕事ができなくなったことで、収入がなくなってしまったのだといいます。
「薬代が、病院代が払えないから、モスクに助けてもらいたいと相談しに来ました。モスクだったら困ったときに助けてくれるんです。」
ハールーンさんは、男性にちゅうちょなく1万円を渡しました。モスクでは、こうして困った人たちのために、みんなで集めたお金を使うことが当たり前だといいます。難民申請中で仕事のない人に食料を渡す場面にも出くわしました。
仕事でも家庭でも、アッラーの教えを実践するムスリムたち
ハールーンさんは、27年前に設立した貿易会社を経営し、日本製の重機を世界20か国に輸出するビジネスマンです。仕事のしかたも家庭も、イスラム教の教えがベースになっているといいます。
仕事中にも、ひっきりなしに助けを求める電話がかかってきます。職場の取材の日にも、生活費の支払いに困った人から電話がかかり、応じていました。
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大塚モスク責任者 クレイシ・ハールーンさん
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「困っている人は世界中にたくさんいると思います。知らない人はしかたないけれど、知っている人が困っていたら無視できないんですね。それはアッラー(神)の命令です。困った人を、宗教を越えて助けてあげなさいという教えですね。」
イスラムの教えに従い、毎年、自分の貯金や会社の資産の2.5%を、モスクの運営資金や、国の内外で災害にあった人や孤児などへの寄付にまわしているそうです。
これは、自発的な喜捨であるサダカとは別に、ムスリムに義務付けられた喜捨で「ザカート」と呼ばれています。
ハールーンさんには、お見合いで出会った日本人の妻との間に、4人の子どもがいます。
家族5人とも1日5回の礼拝を欠かしません。
日本で育った子どもたちは礼拝について、どう思っているのでしょうか。
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四男・ムハンマドさん(13)
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「神様から報酬をもらえるので良い気持になります。面倒くさいと思ったことはないです。」
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三男・アフマドさん(17)
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「1回の礼拝が5分だと考えても1日たったの25分なのでそれは当たり前。逆にやらないと罪悪感というか、いい気持ちはならないです。」
子どもたちに伝えられる “たすけあい”の心
大塚モスクに通うムスリムたちは、有志でモスクの近所の路上や公園で生活する人の支援も行っています。週に3日ほど、当番制で公園を訪れて、ホームレスの人たちに食料を渡しているのです。
この日は、スリランカ人の親子が、ホームレスの女性に食料とカイロを手渡しました。
父親は、あえて子どもをつれて、支援活動に参加しているといいます。
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大塚モスクの有志のスリランカ人男性
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「困っている時にはぜひ助けなさい、というのがイスラムの教えだから。子どもたちはこういう気持ちを分かってもらわないと。」
ホームレスに食料を渡すことについて、子どもたちはどう思っているのでしょうか。
「(どんな気持ち?)幸せ。
(どうして?)サダカすることができたから。」
サダカ、つまり、自発的な喜捨をすることが幸せだという心が、子ども世代にも伝わっているようでした。
「“あの世口座”にチャリンチャリン」 ムスリムが善行をする理由
どうして誰かを助けることが、幸せにつながるのでしょうか。その疑問に答えてくれたのは、日本の大学に通うムスリムの大学生たち。日本で育ち、大塚モスクで出会った幼なじみの5人組です。
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パキスタン出身の大学生
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「ぼくたちには、神への圧倒的で、絶対揺るがない信用があるんです。」
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日本人ムスリムの大学生
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「来世が安住の地で、今、生きている現世はそこに行くまでのあくまで通過点であり、一瞬なんです。」
一体どういうことなのでしょうか。
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パキスタン出身の大学生
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「ぼくらは、天国をめがけて今みんな頑張っている、みたいな感じです。例えば現世でお祈りしたり、相手に与えたりするというのは結局は自分のためということなんです。人間ってリターンがほしいと思うんですが、ムスリムは善いことをしたリターンを相手から求めなくても神さまがどうせくれるから、という感覚が大前提にあるんです。」
現世で他人を助けることで、自分も天国に近づける、ということのようです。
「たぶんみんな人生それぞれで例えば『これくらい稼ぐ』とか、例えて言うならダイヤモンドをめがけてみんな頑張っていくと思うんですけど、ムスリム的にはダイヤモンドはすでにあるんです。
ダイヤモンドはすでに生まれた瞬間から手に持っているんだけど、死ぬその瞬間までダイヤモンドを磨き続けている感覚で生きています。
磨く方法はなんなのかというと、それがイスラムのいろいろな教えなんです。礼拝とかもそうですし、ひとつひとつがポイントを稼ぐゲームみたいな感覚、ポイントをどんどんためるみたいな感覚です。「あの世ポイント」とか「あの世口座」と言ったりするんですけど。「あの世口座」にどんどん、チャリンチャリンと善い行いをすることでポイントを稼いでいくんです。」
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日本とパキスタンのダブルのルーツを持つ学生
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「例えばおごるじゃないですか。「全然いいよ」とおごれば、自分も善行ポイントをもらえるし、相手も喜ばせることができるからウィンウィンなんです。」
“与える社会”を訪れて感じたこと
番組制作の後、私はイスラムの世界についてもっと知りたくなり、パキスタンを訪れました。大塚モスクに通う人の紹介をたどっていったのですが、出会った人たちが次々と「うちに泊まりに来い」「うちでご飯を食べていけ」と声をかけてくれ、毎日いろいろな家に招待してもらいました。ムスリム社会の人と人の距離の近さに驚きすら感じました。
来世の自分のために、現世で善い行いをする。ムスリムの考え方は、日本でも浸透している「情けは人のためならず」の考えに似ていると感じました。最終的に自分のためだったとしても、思いやりやたすけあいが当たり前になっているムスリムのコミュニティは温かく、どこか“昭和的”だとすら感じます。
一方の日本社会は、いつの間にか家族や親せき、ご近所同士の支え合いが薄れ、個人主義や能力主義が行き過ぎ、何かを達成したり、競争に勝ち抜いたりすることに価値が置かれすぎているのかもしれないと感じました。ムスリムの生き方を通じて「与えることこそが豊かさである」という、私たちが忘れつつある大切なことを改めて教えてもらったような気がします。