
孤独なウクライナ少女に寄り添う子どもたち・・・出会いと別れの1年
ロシアによるウクライナへの軍事侵攻によって、多くのウクライナ人の子どもたちが日本へ避難を余儀なくされました。
小学6年生のボイコ・マリヤさん(12)もその1人です。
去年3月、愛知県大府市の小学校に通い始めますが、ことばが通じず、「早く祖国に帰りたい」と学校生活になじめませんでした。
そんな彼女の姿を見てクラスメートの児童たちが動き始めます。
マリヤさんは日本での生活になじめるのか。新たな出会いの先に見つけたものとは。
戦禍を逃れた少女と仲間たちの1年間の記録です。
(クリエイターセンター 社会番組部 チーフプロデューサー 境 一敬)
5月 なじめない中で・・・すれ違う仲間たちの気遣い
人口約9万3000人が暮らす愛知県のベッドタウン、大府市。マリヤさんは共長小学校の6年3組に転校してきました。
初めて私たちが教室を訪ねた時、マリヤさんの周りにはたくさんのクラスメートが集まっていました。

クラスメートたちはマリヤさんに簡単な日本語のクイズを出したり、ジェスチャーでコミュニケーションをとってみたりと、マリヤさんを1人ぼっちにさせないように気を遣って接しているように見えました。
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クラスメート
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「ニュースとかで話題になっていたから、ウクライナから自分たちのクラスに来たことに驚いた」
「ロシアとか戦争ということばは、あまり使わないようにしています」
「マリヤがかわいそうだから戦争の話はしたことないです」
「心に残った傷は、もうとれなさそうだなと思った」
一方のマリヤさんも、優しく接してくれるクラスメートに笑顔で応えるなど、すでにクラスになじんでいるように見えました。
しかし、マリヤさんに日本の学校生活について聞いてみると、思わぬ答えが返ってきました。

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マリヤさん
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「日本語がわからないし、どうしていいのかわからない。何が楽しいのかもわからない。正直、学校にいる時はずっとウクライナの故郷のことばかりを考えています」

クラスメートからマリヤさんに声をかけることはあっても、マリヤさんからクラスメートに声をかけることはほとんどありませんでした。
多くの外国人が暮らす大府市では、マリヤさんのように初めて日本語に触れる子どもたちが少なくありません。そのため、できるだけ早く学校生活に適応できるように日本語の専門教師を招いて、市内複数の小・中学校で特別授業(日本語初期指導教室)を行っています。
(※マリヤさんは本来中学1年生ですが、日本語授業を受けるため小学校に通っています)

マリヤさんも週に8時間ほど日本語の授業を受けていましたが、なかなか上達しているという実感をつかめずにいました。
一方で、一緒に勉強している下級生たちはどんどん日本語を吸収していきます。マリヤさんとは違って、たとえ共通のことばがなくても自分から積極的に友達の輪に飛び込んでコミュニケーションをとっているためです。
そうした状況にマリヤさんは少し焦りがあるようにも見えました。それでも自分からクラスメートとコミュニケーションをとることはありませんでした。
望郷の念と、離ればなれになった父への思い
マリヤさんは、愛知県で暮らす母方の親戚を頼って避難してきました。

大府市の支援や地域住民の助けを受けて、母のアナスタシヤさん・弟のヤロスラブくんと3人で暮らしています。
マリヤさんの出身地は、ウクライナの首都・キーウから約130キロ離れた街、ジトーミルです。
その故郷には、いつも彼女が帰りたいと願い続けている特別な場所がありました。幼い頃からよく足を運んだ「ミハイリブスィカ通り」です。

ミハイリブスィカ通りにはカラフルな傘がいくつも飾られ、自由に歌やダンスをするパフォーマーたちでいつもにぎわっていました。マリヤさんたち地元の人にとっての憩いの場所だったといいます。
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マリヤさん
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「毎日寝る前にミハイリブスィカ通りで家族や親友と散歩している姿を想像しているんです。ここはとても穏やかな場所で、私にとって心地よい故郷です」
マリヤさんは、あふれる故郷への思いをたくさん打ち明けてくれました。そうした中、マリヤさんが一瞬悲しい表情をした時がありました。それは、いまもウクライナに残り、離ればなれで暮らしている父・イゴールさんの写真を見せてくれた時でした。

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マリヤさん
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「お父さんは優しくて、いつも私をお姫様のように扱ってくれます。帰国できたら最初はパパのところに行きたい。そしてずっとパパと一緒に時間を過ごしたい。映画をみて、散歩にも行きたい」
実は、父・イゴールさんはベラルーシ国籍だといいます。ウクライナ国内では、ベラルーシはロシアと同盟関係にある国だとして非難されていました。日本へ向かうマリヤさんたちをお父さんが見送りに来た際、とても怖い経験をしたといいます。
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マリヤさん
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「私たちがウクライナを出国する時にとても怖い思いをしました。チェックポイントで車を止められ、お父さんにパスポートを見せるように言ってきたのです。お父さんがベラルーシ人だとわかると、彼らは『ベラルーシ人はどうする?』と言いました。彼らは銃を持っていたので、お父さんが殺されてしまうと心配しました。怖くて怖くてたまらなかった」
学校になじんでほしい母と、自分らしさを出せずに悩む娘
母親のアナスタシヤさんは、故郷に思いをはせる娘に複雑な思いを抱いていました。

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母・アナスタシヤさん
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「よくマリヤは、いつウクライナの自宅に帰れるかを聞いてきます。私はいつも真実を話そうと決めていますが、娘が悲しむようなことばは使わないようにしています。だから『安全になった時』とだけ伝えています。私は、日本にいる間はマリヤにはきちんと日本の学校に通ってほしいし、同い年の友達と一緒にいてほしいと思っています」
迎えたマリヤさん13歳の誕生日。アナスタシヤさんは祝福のことばとともに、娘を案じるこんな思いを伝えました。

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母・アナスタシヤさん
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「あなたの子ども時代は雲一つもないほど明るく幸せでありますように」
9月 マリヤさんを気にかける2人のクラスメート
2学期に入り、クラスで新しい係を決めようとしていた時のことです。マリヤさんは何が行われているのか理解できていませんでした。その時、2人のクラスメートが「一緒に黒板係をやろう」と、翻訳アプリを使ってマリヤさんに話しかけました。

いつもクラスの中心にいる明るいムードメーカーのみことさん。そして、5歳の時にフィリピンから日本へ来たハンナさんです。
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みことさん
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「最初はどうやって話そうかなって考えていました。席の近い子が手助けはしていたけど、まだマリヤが困っていたので、やっぱり自分が行くべきかなって。ウクライナで仲よしだった友達とも離れちゃったし、いつもすごく暗くて悲しいんだろうなって。気を遣いすぎて話しかけないというのはないかなって思いました。自分が嫌だからです」
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ハンナさん
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「マリヤが悲しむのを見たくなかった」
みことさん、ハンナさん、2人のクラスメートが中心となってマリヤさんを支えていきました。
ところが・・・。
9月下旬に行われた京都・奈良への修学旅行にマリヤさんの姿はありませんでした。

マリヤさんは自宅でずっとウクライナの絵を描いて過ごしていました。
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マリヤさん
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「どうせ修学旅行に行っても何もわからないし、理解できないのなら楽しくもありません。
この絵がいまの私の気持ちを表しています。早くウクライナの家へ帰りたいし、故郷の友達に会いたいです」
マリヤさんは、もともとウクライナでファッションモデルとして活躍していました。子ども向けのミス・コンテストでグランプリをとったこともあり、人前で目立つことが何よりも大好きな子でした。

マリヤさんは、ウクライナの学校では明るく積極的でクラスのみんなを引っ張るリーダーだったといいます。
ところが日本の学校では、本来の自分らしさとはかけ離れたマリヤさんがいました。
10月 ウクライナ各地への大規模攻撃
10月、マリヤさんを大きな衝撃が襲いました。ウクライナ各地が大規模なミサイル攻撃にさらされたのです。故郷のジトーミルでも大きな被害が出ました。

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マリヤさん
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「大規模攻撃が起きたその時、私は故郷の親友とSNSでチャットをしていました。親友は“強い爆発音が聞こえた”と言ったんです。その後、突然返信が無くなりました。私はずっと泣き続けていました」
この時にマリヤさんが描いた絵には、ウクライナの少女が涙を流して立ち尽くす様子が描かれていました。
その後、親友の無事は確認されましたが、マリヤさんはこの時のショックを誰にも打ち明けることができませんでした。
11月 初めてクラスメートに心の内を明かした“ある出来事”
11月。6年3組で“ある出来事”が起きました。世界の文化について学び、保護者を前にして行う学習発表会。そのリハーサルの時でした。

リハーサルが終わった直後、マリヤさんはうつむいたまま突然床に座り込んでしまったのです。
そして、誰にも気付かれないようにトイレに入り、出てこなくなりました。1人で泣いているようです。
いったいマリヤさんの身に何が起きたのか、みことさんたちクラスメートは困惑してしまいました。

「発表会で使うフランスの国旗がロシアの国旗の色と似ていたから、戦争のつらい思いを呼び起こしてしまったのだろうか・・・」
「気付かないうちに、マリヤさんを傷つけてしまったのかもしれない・・・」
みんな思い当たることを話し合いましたが、理由は分かりませんでした。
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みことさん
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「リハーサルの時に気分が悪そうだったのは知っていたけど・・・。めっちゃ気にかけていたのに・・・、ミスった・・・」
そこで動き出したのは、フィリピンから来たハンナさんです。翻訳アプリが入ったタブレットを持ってマリヤさんの元へ向かい、ずっと側に寄り添いました。
マリヤさんは泣いた本当の理由について、「みんなは日本語できているよと言ってくれているけれど、実際には自分の中では全然できていないことが悔しくて、恥ずかしくて、やるせない気持ちになった」とハンナさんに打ち明けたといいます。

ハンナさんは5歳の時にフィリピンから来日しました。最初はことばが理解できずにとまどい、友達とうまくコミュニケーションがとれなかったため、一生懸命に日本語の勉強をしてきたといいます。誰よりもマリヤさんの気持ちを理解していました。
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ハンナさん
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「大丈夫だよ、私も日本語を学ぶのが難しいからとマリヤに言いました。私も日本へ来たとき、なかなか友達を作ることができなくて寂しかった」
前向きになれたマリヤさん “自分も誰かの力に”
マリヤさんは、クラスメートたちが自分のことを思ってくれていることを知り、少しずつ前向きに学校へ通うことができるようになりました。
そして、「自分も誰かの力になりたい」という気持ちが芽生えたマリヤさんは、描いた絵を地元のフリーマーケットで販売し、その売り上げを祖国で苦しむ人たちに寄付したいと考えました。
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マリヤさん
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「ウクライナの産科病院がミサイル攻撃され、被害にあった母親と赤ちゃんの写真をネットでたくさん見ました。いてもたってもいられず絵を描くことにしました」
マリヤさんがウクライナの平和を願って描いた絵を買ってくれたのは、偶然にも地元の大府市で産婦人科クリニックを経営している女性でした。

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絵を購入した広川希依子さん
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「見た瞬間にとてもすてきな絵だと思いました。子どもたちの将来を考えた時に、本当に子どもたちには罪はないので、平和な世の中になってほしいなと思います」

マリヤさんの絵は分べん室の隣に飾られ、新たな命が生まれる場所で人々を癒やしていました。
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マリヤさん
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「ウクライナの産科病院で苦しむ母と子を見て描いた絵が、いまこの場所に・・・。こんなめぐり合わせがあるのでしょうか。うれしすぎてことばが出ません」
マリヤさんは、新生児室の赤ちゃんたちをいつまでも眺めていました。
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マリヤさん
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「このずっと泣いている子は、まるで私みたい」
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母・アナスタシヤさん
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「本当ね、あなたの泣き声もこの子にそっくりだったわ」

日本で初めて過ごした友達の家
放課後、みことさんはマリヤさんとハンナさんを自宅に招きました。みことさんは、3人で一緒に楽しめることをしたいとパンケーキ作りを提案しました。

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マリヤさん
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「みことは社交的で友達も多いし、どんな時でも私を助けてくれる子。ハンナは優しくておもしろい子。同じことばは話せないけど、誰よりも理解し合える子です。私はひとりぼっちじゃない。もうひとりぼっちではないんです」

12月 自分らしく仲間に感謝を伝えたい
マリヤさんには日本に来て以来ずっと続けてきたことがあります。親戚に紹介され、プロマジシャン・DAIKIさんの手伝いをしてきました。

マリヤさんは、日本語を学びながら厳しい練習を重ねアシスタントとして舞台に立つことを許されました。
そして、みことさんとハンナさんに“もっと自分のことを知ってほしい”と、12月に地元の大府市で開催する「ウクライナ支援・チャリティマジックショー」に2人を招待しました。
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プロマジシャン・DAIKIさん
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「マリヤが練習でなかなかうまくできなかった時に、『もうやめる?どうする?もっと簡単なマジックに変えてもいいよ』と言ったのですが、本人はずっと『頑張る!』と言い続けてけっしてあきらめなかった。どうしても舞台に立ちたいという強い思いがあったんだと思います」
マリヤさんには、この日のために練習してきた特別なマジックがありました。ビリビリに破られた新聞紙を、元どおりのきれいな新聞紙に戻すというマジック。そこにサプライズで2人への感謝のメッセージを仕込んでいました。

生まれも育ちも、そしてことばも違う3人。だけどいまは何でも理解し合える大切な仲間になりました。

2月 帰国か日本の中学へ進学か・・・揺れる決断
卒業式まで1か月あまり。母国ウクライナでの戦闘はますます激化し長期化の一途をたどっていました。
当初は1年で故郷に帰るつもりだったマリヤさんですが、このまま日本の中学校へ進むのか思い悩んでいました。

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マリヤさん
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「いま私はとても泣きたい気持ちです。もちろんこの1年支えてくれた人たちに感謝をしていますし、ここはとても居心地もいいです。でも故郷のほうがいいです。やっぱり私の居場所はウクライナだと思っています」
心の整理がつかないマリヤさんは、ウクライナで暮らす父親に電話をかけることにしました。
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マリヤさん
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「パパ、おはよう」
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父・イゴールさん
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「もう1年も会っていないんだね。パパ達は少しずつ小さくなっていくけれど、君は見るたびに成長しているね」
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マリヤさん
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「私もパパのところへ帰りたい」

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父・イゴールさん
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「いまマリヤがとても大変なのはわかるよ。でも、それを乗り越えていくのが大事なんだ。いま日本語を頑張って覚えているね。日本の生活になじもうとしていて偉いね。パパは君たちを愛しているよ。いいかいマリヤ、戦争が終わるまでは日本で頑張るんだよ」
お父さんのことばを受け止めて、マリヤさんは日本の中学校へ進学することを決心しました。
ウクライナの学校には制服がないと話すマリヤさん。この日、自宅に届いたブレザーにはじめて袖を通すと、鏡に映る自分の姿をずっとずっと見つめていました。

3月 1年前の自分に伝えたいこと
卒業の日。マリヤさんは、お世話になった6年3組のみんなに桜の絵をプレゼントしました。

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マリヤさん
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「クラスのみんなに私が最後にできる恩返しが絵を描くことでした。そして、戦争でウクライナから避難してきた子がこの6年3組にいたという証を残しておきたいと思いました」
マリヤさんの思いを受けとったクラスメートたちは。
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クラスメート
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「せっかく友達になったから卒業はちょっと寂しい気持ち」
「戦争という状況があったけど、学校の中では戦争なんてないような感じで楽しく過ごせた」
「転校してきた時のマリヤは緊張気味で固まっていたけど、どんどん成長しているのを見て、自分も頑張らなきゃって」
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みことさん
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「マリヤは今までにはいなかったような友達です。ジェスチャーとか目と目でお話しができて…。みんなに『みことちゃんはウクライナ語しゃべれるの?』ってよく言われていました。いままでマリヤとはウクライナ語で話していると勘違いされていたんです。でもみんなに“ことばだけじゃ伝わらないこともあるんだぞ”って言いたい」

そして、ハンナさんはこの日のために、マリヤさんにウクライナ語で手紙を書いてきました。
(ハンナさんの手紙)
「この先、何年たっても、マリヤとのたくさんの思い出に私はいつも励まされていくと思う。
マリヤとは深い愛情で繋がっていて、私はいつも幸せだったよ。すてきな友達でいてくれて本当にありがとう。マリヤが思っているよりも、私はマリヤのことが大好きだからね」

取材の最後に私はマリヤさんにこう尋ねました。
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筆者
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「1年前、日本に来た時の自分に何と伝えたいですか?」
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マリヤさん
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「恥ずかしがらないで自信を持ってね。そして、たくさんの人と出会って友達を作ってね」

マリヤさんは4月から大府市内の公立中学校に進学しました。そしてこの夏、ふたたび母国のために自分ができる支援をしたいと、市や地域住民の協力のもと、自身が描いた絵のチャリティー販売会を開催しました。
取材で一度だけマリヤさんが将来の夢について話したことがあります。
「いつかウクライナへ帰って日本語の先生をしたい。そのためにはもっと日本語を頑張らないといけない」

戦禍のウクライナを逃れて日本の小学校に転校してきた少女と仲間たち。それは一見すると特別な話に思えるかもしれません。
しかし、マリヤさん、みことさん、ハンナさんのことばは誰の心にも響くのではないでしょうか。
もし自分の隣や身近な場所で孤独に苦しんでいる人がいたとき、私だったら・・・。そんなことを、子どもたちの姿から考えさせられました。