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春空翔ける、ある俳人をしのんで 俳都・松山

  • 2024年04月05日

春雨降る3月24日、松山市である俳人をしのぶ句会が開かれた。去年12月に亡くなった俳号「緑の手」こと和田佳子さん(享年68歳)だ。病気のためほとんど目が見えなかった佳子さんだが、自然を愛し日々の暮らしの風景をまるで目で「見て」いるかのようにみずみずしい感性で俳句を生み出していった。

(NHK松山放送局 宇和島支局 山下文子)

佳子さんは、「網膜色素変性症」という目の病気のため、幼い頃から徐々に視力が落ち、成人してからはわずかな光を感じられる程度まで低下した。子育てを終え、俳句を始めたのは50代になってからだ。力試しにとテレビ番組に応募した句が高く評価され、それからというもの俳句の魅力に夢中になった。愛犬との散歩中も、台所で料理しているときも、あらゆる時間が佳子さんの創作意欲をかき立て、日常の暮らしの中で、多くの句が生まれていった。とりわけ佳子さんが句の題材としたのが大好きな植物だ。
自宅近くの石垣からこぼれるように咲いた白い山茶花(さざんか)がある。佳子さんは、そっと触れる。花びらや葉っぱの一枚一枚を愛おしそうに指でなぞる。わずかな光をとらえて一句。

日矢ひやを受け白山茶花の影のひだ
緑の手

夫の浩一さんも、目が見えない。食事中もラジオを聞きながら、2人はいつも俳句の話で盛り上がっていた。あまりに楽しそうに俳句を詠む佳子さんに触発され、実は浩一さんもひっそりと俳句を始めた。俳号「わきち」で、しばらくは佳子さんに内緒で投句していたそうだ。「わきち」は浩一さんが小さい頃のあだ名で、ある日ラジオを聞いていた佳子さんが「わきちって、まさか。偶然よね」と気づいたことで、浩一さんが初めて白状したという。2人にとって俳句は、生活の中の生きがいとなっていった。この日の夕ご飯はレタス鍋。

『さきさきと風をとじこめれたす鍋』
緑の手

『緑の手手料理うましレタスかな』
わきち

浩一さん
「本当に毎日毎日、俳句を詠んでいました。毎月の句会やラジオ番組、メールでそれぞれの仲間たちと俳句を通じて出会いがありました。そのつながりをとても大切にしていました」

佳子さんが亡くなったのは去年の12月12日、自宅で入浴中だったという。突然の出来事に、浩一さんや家族の心は大きく揺れた。「また句会で会いましょう」と言ったばかりの俳句仲間たちも言いようのない衝撃を受けた。あまりの突然の別れに涙が追いつかず、誰もが受け止めるまで時間がかかった。

浩一さん
「亡くなる直前まで、句を詠んでいたんです。妻は、いつも誰かのことを考えていました。土曜日の句会を前にお題は焼き芋だったんですが、【焼芋はこんじき戦争はくろがね】という句を残していました。子どもや世界の平和を願う気持ちが強かったのかな」

妻を慕う仲間とともにしのびたいと、浩一さんは「緑の手をつなぐ」と称した句会を開くことにした。この提案に佳子さんが俳句を始めた頃からの十数年来の友人「あねご」さんが世話役を買って出た。句会の会場を訪ねると、40近い短冊が並べられていて、聞けば全国各地から集まったという。

あねごさん

「これらは全部、緑の手さんのことを思いながら書いてもらった句です。3月20日がちょうど百か日にあたるということで句会を開きたいと、わきちさんから提案されてね、なんかお手伝いしたいなってこうやってお節介をしております」

句会では、一人ひとりが佳子さんとの思い出を語った。

東温市の「ひそか」さんは、春になると思い出すという佳子さんの句を詠み上げた。

『ましゅまろや光の春のふれごこち』
この句を詠んだとき、春の明るさや柔らかさをこんなふうに表現できるのかとびっくりしました。私はみどちゃん(佳子さん)ならあの掌に春の光を感じているんだろうなって納得したことを覚えています。春になるとこの句を思い出してはマシュマロを食べたいなと思って・・・みどちゃんもマシュマロ食べてるのかな」

『春光をまろばせてをりたなごころ』
ひそか

佳子さんと同い年の「越智空子」さんは、俳句に登場するオノマトペが印象的だったという佳子さんの句を詠み上げた。

【トロッコやりゅんりゅん流れゆく青菜】
みどちゃんは、独創的なオノマトペの天才でした。同い年だったこともあり、『かわいがられるおばあさんじゃなくていじわるばあさんになるんよ』、なんて一緒に年を取っていけるものだと思っていました。きっとみどちゃんは春の空をかけているだろうな、水色の空に話しかけたらあの笑い声が聞けるかなと思って。このりゅんりゅんをいただいて詠みました」

『りゅんりゅんと春空翔けるらん友よ』
越智空子

「本当に明るい、お日様のような」、「握る手がすべてを語ってくれるような」・・・。
句会に集まった友人たちが語る佳子さんの姿からは、生き生きと満ちあふれる生命力を感じずにはいられない。かつての温かい手や朗らかな笑い声が今もそこにあるかのようだ。

句会をとりまとめた「あねご」さんは、一番の思い出だという9年前の皿ヶ嶺の登山の話をしてくれた。句会の仲間たちといっしょに歩き、俳句を詠むという吟行登山だった。

あねごさん
「足場が悪いし、登山はやめようかとも話していましたが、みどちゃんは毅然として自己責任でもいいからどうしても一緒に行きたいと聞きませんでした。本当に飛ぶように、石を軽々とこえて、私たち以上に元気に登って降りていきました。でも、どこへ行きたいかじゃなくて誰と行きたいかっていうところを彼女は強く願っていたのかなと思うんですよね。本当に行って良かった」

さえずりのまん中に置く皿ヶ嶺』
あねご

浩一さんは友人たちの話に静かに耳を傾け、時折うなづきながら、長年連れ添った妻をしのぶ句に聞き入っていた。佳子さんが亡くなって3か月経った今も、俳句の中に佳子さんの面影を感じているかのように。

浩一さん
「家内が一人ひとりの心の中につながりを持っているというのがすごくうれしい。みなさんのところで生きているなというのを感じました」

いつも思い出すのは、手で植物を触っている佳子さんの姿だと浩一さんは言う。植物の芽はすごく生命力があり、それはまるで佳子さん自身のような命の力強さに重ねられる。緑の手がまいた俳句の種が、多くの人に芽吹いている。浩一さんはそんな思いを込めて句を詠んだ。

『そっと触れ命高まるの芽かな』
わきち

特集の内容は、下記の動画でご覧いただけます。

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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