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四国中央市の小学校には「東京ブギウギ」服部良一作曲の校歌も

母校の校歌、覚えていますか?愛媛県内の校歌あれこれ雑学王に聞く
  • 2023年11月29日

校歌にはふるさとの風景や自然などが詠まれ、知らず知らずのうちに自分たちの郷土愛、誇りにつながっていますが、近年は人口減少で学校の統廃合が進み、親しんだ校歌がなくなってしまうというケースは少なくありません。
「改めてふるさとの校歌に注目してほしい」という、愛媛の雑学王ことフリーライターの土井中照(どいなか・あきら)さんに、愛媛県内の特色ある校歌について伺いました。
※11月28日(火)「ひめゴジ!」ラジオ第1(愛媛) で紹介した内容を再編集してお伝えします。

歌詞によく登場するのは?

岸本

愛媛県内にはどれくらいの数、校歌があるのでしょうか?

土井中さん

愛媛県が発表した令和5年度(速報値)の学校数の統計から、小学校、中学校、高等学校が475校ありますので、校歌の数も同じくらいだと思います。
私が県内の校歌についてまとめた著書「愛媛の校歌」を上梓した16年前の平成19年度は583校あったため、その間に100以上の学校、校歌がなくなったことになります。

フリーライターの土井中照さん

<MEMO> 愛媛県内の小中高等学校の数
2007(平成19年度)小学校359校、中学校150校、高等学校74校 計583校
2023(令和5年度)小学校279校・中学校131校・高等学校65校 計475校

愛媛県内の学校の校歌には、どんな歌詞が登場しますか?

校歌でよく歌われているのは山、海、植物などの自然ですが、内容は地域によって大きく異なります。例えば、東予や中予の校歌で山といえば「石鎚山」が多く登場しますが、南予になると、神南山(かんなんざん)、出石山(いずしやま)といった肱川流域の山が登場します。
また愛媛県全体では、「瀬戸の海」、「瀬戸」と呼ばれる瀬戸内海がよく登場しますが、南予になると「宇和海」が多くなり、南に行くほど「黒潮」が出てくるのも特徴です。

高校野球でよく聞かれる、松山商業や今治西の校歌にも「石鎚山」が出てきますよね。宇和島東には「宇和の海」が出てきます。やはり地名が多いのでしょうか?

地名以外にも、特産品もあります。愛媛の特産品といえば「みかん」ですが、砥部小学校の校歌の歌詞には「みかん」が登場します。
工場の多い東予地方の新居浜小では「工場のサイレン」、統廃合のため2009年に閉校になった伊方町の旧塩成(しおなし)小では「テレビ塔」が出てきました。

小松高校の校歌に近藤篤山(儒学者)、大洲高校の校歌に中江藤樹(陽明学者)など郷土の偉人が出てくる学校もありますね。

ブギウギに登場するあの方が作曲した学校も

現在放送中の連続テレビ小説「ブギウギ」に関連する方が作った校歌が愛媛県内にあるそうですね?

四国中央市立松柏小学校

はい。草彅剛さんが演じる羽鳥善一のモデルと言われる服部良一。東京ブギウギなどで知られる昭和を代表する作曲家です。

その服部良一が作曲したのは、四国中央市にある松柏(しょうはく)小学校の校歌です。
学校は明治25年(1892)に松柏尋常小学校として開校し、校歌は昭和28年(1953)に誕生しました。服部良一が東京ブギウギなどで一世風靡した後です。
当時の校長先生が大阪で少年時代を過ごしていたころ、服部さんと面識があり、その関係で校歌の作曲につながったそうです。

著名な音楽家が校歌の作詞・作曲をするのは珍しいのではないでしょうか?

歌謡界の著名な作曲家に、校歌の制作を依頼するのは、今と同じで、何らかのコネクションがないと難しいと思います。
ただ、愛媛県内には、歌謡界の有名な作曲家が作った校歌がいくつかありますね。
上島町にある弓削商船高等専門学校の校歌を作曲したのは、石原裕次郎と牧村旬子のデュエットで有名な「銀座の恋の物語」の作曲家・鏑木創(かぶらぎ・はじめ)。これは、作詞を担当した星野哲郎の依頼で実現しました。山口県の周防大島出身の星野哲郎は商船学校の出身で、そのつながりで実現したと言われています。
大洲市の長浜高校の校歌を作曲したのは、「おーい中村君」を作曲した大洲市出身の中野忠晴。作詞を担当した大野武の妻が親戚という縁からです。
そのほか、童謡「故郷」、「もみじ」で知られる作詞家・高野辰之は西条高校の校歌を作詞。その「故郷」、「もみじ」を作曲し、「春の小川」でも有名な岡野貞一は、松山市の味酒小学校と、大洲市の菅田小学校の校歌を作曲しています。

「ちいさい秋みつけた」、「めだかの学校」、「夏の思い出」を作曲した中田喜直は、宇和島南高校、宇和島水産高校、三島高校、三島東中、土居中の校歌を作曲しました。現在は、宇和高校三瓶分校になっていますが、西予市三瓶町の旧三瓶高校の校歌も作曲されています。
ちなみに作詞は、「念ずれば花ひらく」で知られる詩人の坂村真民。かつてこの学校で教鞭をとっていた縁で、校歌の作詞を学校から依頼されました。

その校歌は、分校になった今も、分校歌として残っています。生徒数の減少を理由に、今年度から生徒の募集が停止となっていますが、高名な作曲家と有名詩人が作った歌はどうなるのでしょうか。

甲子園で有名になったあの高校の校歌は

ほかにも、愛媛県内では済美高校の校歌も有名ですね?

松山市にある済美高校

野球部が平成16年(2004)の春のセンバツで初出場初優勝、そして当時の小泉首相が「やればできるは魔法の合言葉」と所信表明演説で取り上げたため、一気に知名度が上がりました。
実はこの歌、学園歌なんです。平成13年(2001)の創立100周年を機に作られました。「やればできる」は、学園歌が誕生した4年後の平成17年(2005)に校訓になっています。

校歌は、前身の女子校時代に作られたものがあります。

作曲したのは、あの「春の海」で知られる琴奏者の宮城道雄です。昭和6年(1931)、松山で開かれた琴演奏会に招かれた縁もあり、学校設立者・船田ミサヲがその後、上京し、宮城に校歌の制作を直接依頼しました。経験がないことを理由に一度は断られましたが、船田は「作ったことがないから頼むのです」と懇願。その熱意に宮城の心が動かされ、校歌の誕生につながりました。その校歌には、宮城道雄らしく、琴が使われています。琴の音色が流れる校歌は珍しいかもしれません。

さまざまな視点から愛媛県内の校歌について紹介していただきましたが、意外な人が作詞や作曲をしていて、興味深いですね。

みなさんも、母校の校歌を誰が作詞、作曲しているのか、どんなことが歌詞に詠まれているのか、この機会に調べてみてはいかがでしょうか。在学中に気付かなかった、意外なことが分かるかもしれません。

実は、私の母校(今治地域の小学校、中学校)は統合されて、もうありません。校歌もあまり覚えていません。地域の貴重な歴史的資源として、校歌を後世に残していくのも今後、大事なことかもしれません。

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