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変わりゆく松山駅を訪ねて

  • 2023年09月11日

県都・松山の玄関口「JR松山駅」。現在の駅舎は、駅周辺の再開発で来年秋には取り壊される予定だ。この駅舎もいよいよ見納めか、とセンチメンタルな気分に浸ってばかりはいられない。せっかくなので、この機会にNHK松山放送局に残る松山駅のアーカイブ映像を探ってみようと思い立ち、白黒の映像をカラー化してみた。遠い昔の映像を見ていると、いつの間にか駅舎に対する愛情はひとしおになっていた。

(NHK松山放送局 キャスター 鈴村奈美/宇和島支局 山下文子)

96年前の昭和2年。この年、初代の「松山駅」が開業した。NHKにも貴重な映像が残っていた。昭和10年の元旦に撮影されたものだ。着物姿の人々や人力車、それに当時地方にも普及し始めた黒塗りのタクシーがせわしなく行き交っている様子が見て分かる。しかし、この駅舎はその後始まった太平洋戦争末期の昭和20年7月、米軍の空襲により焼失してしまった。

2代目の駅舎の誕生は戦後混乱期をへた昭和28年まで待たなくてはいけない。この年。鉄筋コンクリート造りの2階建てで現在の駅舎のベースとなる建物が完成した。駅舎はその後も改築を繰り返した。昭和39年に撮影された映像がNHKに残っている。増築された3階部分には当時まだ高級だったレストランが入り、よそゆきの服装で食事する家族連れでにぎわったそうだ。また土産売り場では「姫だるま」など、今でもおなじみの愛媛特産が並び、真新しい県都の玄関口としての往年のにぎわいが感じられる。

三角屋根でおなじみの今の姿になったのは23年前の平成12年。JRが大規模な改装を行ったのだ。モチーフにしたのは初代駅舎だという。記念の落成式にはSLの特別運行が行われたり、ホームでジャズコンサートが開かれた。出席者の格好に目を凝らすと白いスタンドカラーのシャツにはかま姿だ。中には付けひげまでしている人も。松山を舞台に描かれた夏目漱石の小説「坊っちゃん」にちなんだ演出らしい。

窪仁志さん

この駅舎に特別な思い入れを持つ人に出会った。窪仁志さんだ。
窪さんは昭和53年に当時の国鉄に入り、駅長も務めるなど30年以上にわたって松山駅と関わってきた。落成式にも営業助役として参加。「坊っちゃん」にふんした参加者の1人だ。当時の映像を見てもらった。

「懐かしいな。初めて配属されたのが松山駅でした。客車の入れ替えなど先輩たちからいろいろと学びましたね。落成式には松山じゅうの店を駆け回って、あのスタンドカラーの白いシャツを探したんです。どうせなら自分たちも楽しもうと、当時の駅長といっしょになって。自分の鉄道人生の大半を過ごしてきた駅舎で、楽しい仕事をさせてもらった。非常に思い入れがありますね」

鉄道写真家 坪内政美さん

少し違った視点で松山駅に思いを寄せている人もいる。鉄道写真家の坪内政美さんだ。
全国各地の駅を回り、その姿をカメラに収めてきた坪内さん。細長く角張った少し武骨とも言える駅舎は国鉄時代のなごりでノスタルジアを感じると話す。また関心は全長270メートルにも及ぶ駅のホームにも。改札を背に右手には岡山・高松方面から来る特急列車。左手には宇和島方面から来る特急列車。まさに顔をつきあわせるように並んでいるではないか。坪内さんによると逆方向に向かう列車が同じホームに並ぶのは全国的にも珍しいそうだ。

「このタイプの駅舎は国鉄時代の主流でしたが、70年近く変わらずに今も残っているのは貴重です。四国を走る特急列車は1両が20メートルほどですが、ここには12両入ることができます。だから1番ホームには行き先の違う2つの列車が入れるんです」

さらに坪内さんが松山駅にとって最大の魅力と話すのは改札だ。
利用客の多い駅では自動改札が主流の現在、県庁所在地の玄関口にも関わらず、駅員が立って改札する駅は極めて珍しい。人との触れ合いは旅のだいご味の1つ。オートメーション化が進み対面での交流機会が減少する中、坪内さんは駅も時代とともにさみしくなったと感じている。

「駅員がお客さんときっぷのやりとりを通して触れ合える機会が少なくなってきていますので、本当に貴重な光景だと思います。ほんの一瞬のことなのかもしれませんが、旅先で人の温かみを感じられるのが松山駅のいいところだと思うんです」

来年の秋には駅舎は生まれ変わる。無愛想な角張った駅舎も、長距離歩かせるホームも、すべて消えてなくなってしまうだろう。取材中、私は1人の女子高校生に話しかけた。「駅の思い出はありますか」と。内子から松山まで通学で駅を利用する彼女は「通学初日に定期券をなくしてしまいましたが、駅員さんがいっしょに探してくれたんです。緊張していましたが、優しく対応してもらって安心しました」としみじみと話してくれた。
駅には人をつなぐドラマがある。窪さんも言う。「さみしさもあるけど、期待もあります。松山の玄関口として、これからもたくさんの人に愛される駅になってほしい」と。新しい駅舎でも数々のドラマが生まれるんだろう。私はそう思う。

鈴村の感想

左:鈴村 右:山下

ゆかりのない愛媛で始めた社会人生活。私を一番最初に出迎えてくれたのが、この松山駅だった。
これからこの街で過ごす日々へのわくわくと少しの不安。今回の取材で当時の甘酸っぱい記憶が呼び起こされた。昭和初期の初代の駅舎のころから、ここを訪れるたくさんの人を見守ってきたのだと思うと頭が下がる思いだ。新たに生まれ変わるその日まで、歴史ある今の駅舎を目に焼き付けたい。

山下の感想

高校生の時、宇和島から特急「宇和海」に乗って、初めて松山駅に降り立った日のことを思い出した。もう20年以上前のことだ。改札を出て振り返ると、デーンとした大きな駅舎にちょっと足がすくんだ。すごく都会に来たと感じた。大人になってからは仕事で松山駅をよく利用する。バスやタクシーが行き交うロータリーの風景は昔と変わらない。甘く優しい味のとりことなったレトロな雰囲気のカレーショップ。少し前に取り壊された駅前のバッティングセンターのネオン。私にとって色あせない松山駅の風景だ。来年の秋には周辺の風景は大きく変わる。それでも松山駅での思い出はずっと人々の心に残り続けるはずだ。

  • 鈴村奈美

    鈴村奈美

    2020年度から「ひめポン!」キャスターを隔週で担当。愛称は「すずむ~」。

  • 山下文子

    山下文子

    2012年から宇和島支局を拠点として地域取材に奔走する日々。 鉄道のみならず、車やバイク、昭和生まれの乗り物に夢中。 実は覆面レスラーをこよなく愛す。

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