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岡田武史が語る 異例ずくめのスタジアムに託した夢

  • 2023年04月28日

「最初の頃は“ほら吹き”だと言われていましたよ」

FC今治のオーナー、岡田武史さんは笑顔で話す。
冗談めかした言葉の裏に、経営者としての強い覚悟が感じられた。

「365日、人が集まるサッカースタジアムを作りたい」
かつて”ほら”とまで言われた壮大な夢が1つずつ形になろうとしている。

(NHK松山放送局 清水 瑶平)

夢が詰まった新たなスタジアム

「誰が来てもこうやってここまで入れるスタジアムなんて、世界中でここだけですよね」

4月。
私たちは岡田武史さんと一緒に、今治里山スタジアムを歩いていた。
客席とピッチの距離はわずか8メートル。
周囲から遮るフェンスなどは何もなく、散歩に来ればピッチのすぐ近くまで行くこともできる。
デザインのコンセプトが地元ゆかりの「海賊船」というだけあって、吹き抜ける風が心地よかった。

「ぶらっと来て、入ろうと思ったらすぐグラウンドに入れちゃうよね。でもみんなモラルが高くてね、入ろうとしない。ただフェンスを作るお金がなかっただけなんだけど(笑)」

「今治里山スタジアム」はことし1月に完成した、FC今治の新しい拠点だ。J2やJ1への昇格要件を満たすため、観客席数を最大1万5000席に増設できる。
岡田さんが大きな夢を託したスタジアムでもあった。

岡田さん
「僕らは最終的にスタジアムを作るんだけど、そこでやりたいことがあったんです。それは新しいコミュニティーを作ることなんですよ。心のよりどころとしてもらえるような、ここへ来たら心が豊かになる笑顔になる、そういう場所を作りたいんですよ」

かつて“ほら吹き”と言われて

岡田さんがFC今治のオーナーに就任したのは2014年。
前任のオーナーが大学の先輩で、株式を取得して引き継いだ形だ。
翌年の会見では、こう宣言した。

2015年の会見

(当時の会見)
「10年後(2025年)にはJ1で優勝争いをするチームを作りたい。それと同時に、8年後(2023年)には、スタジアムを作る。スポーツの力で地方を創成する、そういう夢を抱いています」

強いチームを作ると同時に、人口減少が進む今治を活気づけたいと考えていたのだ。

岡田さん
「“岡田メソッド”という原則を作って、若い世代から指導し、主体的にプレーする自立した選手を作る。その頂点のFC今治がおもしろいサッカーして強くなったら、全国からうちでサッカーやりたい若者や子ども、または岡田メソッドを勉強したいっていう指導者が来るだろうと。そんなことを言っていたんだけど、よく考えたらサッカーをしたいと言って入ってくるというのはせいぜい数十人だなと。そんなことじゃ人口減少に対して全然間に合わないなと。だったらJ1に行くときに1万5000席の複合型スタジアムを作って365日、人が集うような場所にできないかなんて、もうほらみたいなことを言っていたわけよ」

しかし当初、地元の人たちは冷ややかだったという。

岡田さん
「最初はもうとにかくみんな、岡田さんが来たときは本当にこの人ほら吹きだと最初思ったと言われた。『お前は今治のことわかっとらんのじゃ』『今治でそんなもん無理なんだよ』って散々言われましたよね」

FC今治立ち上げ当初

どうすれば信頼を得られるのか。
岡田さんの選んだ方法は1人1人と丁寧に言葉を交わすことだった。

「来て下さい、じゃなくて俺たちが行かないといけないんじゃないか」

チームのスタッフに今治の町に出て、毎日5人の友達を作るように指示した。名付けて「友達作戦」。
さらに無償で地元の人たちの困りごとに協力する「孫の手活動」も行った。
チームは少しずつ受け入れられ、資金を提供してくれるスポンサーも増えていった。

岡田さん
「ある社長がそれまで俺のことを拒否していたんだけど、岡田さんがここまでやっているんだったら自分たちも何かやらないといけないだろうって言ってくれて、そこからだんだん皆さんに認めていただけるようになった。サッカーだけではそうはいかなかったでしょうね」

AIでは感じられない幸せを

何より共感を呼んだのは、岡田さんが真剣に語る「企業の理念」だっただろう。
新しいスタジアムのイメージについて、あるときはこんな風に説明した。

岡田さん
「これからAIのいうとおりに生きる人生が必ず来ます。ナビに従って車を運転し、AIの選んだ相手と結婚する。失敗のない人生、別に悪いことじゃない」

AI?いったい何の話かと思っていると、岡田さんはこう続けた。

岡田さん
「しかし人間の幸せというのはそれだけじゃないんです。失敗をしてはい上がって成長したり、誰かと助け合って絆ができたり、私たちはそういうものを提供できる場所を作ろうと思っている。都会でちょっとメンタルが痛んだ若者がここへ来たら人間性を取り戻して帰って行く。コンクリートでできて朽ちていくだけじゃない、どんどん緑豊かになっていく場所を作ります、と」

福祉施設?ブドウ畑?“異例”ずくめのスタジアム

ことし1月、ついに「今治里山スタジアム」は完成した。
岡田さんが会見で話していた通りの「8年後」だった。

冒頭に紹介したように、誰もが歩いて入れる、非常にオープンなスタジアムだが、“異例”なのはそれだけではない。

敷地内で目を引くのは、障害者の就労支援や、デイサービスなどを行う福祉施設だ。
地元の社会福祉法人がチーム側から土地を借りて運営している。
もちろん、世界で初めての試みだ。

利用者はスタジアムの周辺で作業をしたり、ごみ拾いをしたりすることもある。
施設によると、「人が日常的に集まるような場所で多くの人と関わりながら過ごすことができるのは障害者にとっても非常に大きな経験」だという。

施設の隣には4月、カフェもオープン。
提供されるのは、地元の食材を使ったこだわりのメニューだ。

夏ごろにはドッグランもできあがる。
以前、犬を飼っていた私(清水)としては、愛犬家たちがここに集まってくるのが目に浮かぶ。
裏の斜面には、ブドウ畑もある。

岡田さん
「“岡ちゃんワイン”を作るからブドウを植えろって言って、植えたんだよね。そしたら今度は斜面の草取り、大変ですよって言われて、だったらヤギを飼って草を食べさせればいいじゃないかって」

岡田さんのアイデアはどんどん湧いてくる。
ちなみにヤギは飼っているものの好き嫌いが激しく、斜面の草は食べないそうだ。

リーダーとしての“決断”と“覚悟”

それにしても岡田さんはなぜ、ここまで揺らぐことなく夢に向かっていけるのか。
私は、それを聞いてみたかった。

岡田さん
「自分はこう思う、そしたらそれをまずはやってみる。前例はどうだとかほかはどうだとか、そんなことをいっていたら間に合わない。だめだったらごめんって謝ってやめる。腹をくくるかどうかだけ、それだけですよ」

代表監督をしていた頃の岡田さん

経営者として大切にしている、「決断」と「覚悟」。
その根底にあるのは、代表監督としての経験だという。

日本が初めてワールドカップに出場した、1998年フランス大会。
岡田さんは悩み抜いた末、日本のサッカー界をけん引し続けてきた三浦知良選手をメンバーから外した。批判の声を一身に浴び、脅迫状も届いたという。

岡田さん
「僕の仕事は、かつては11人しかピッチに送れないし、23人しかワールドカップに連れていけないわけですよ。それは落とした選手からしたら頭くるし、家族ににらまれたりすることもあるけど、しょうがないですよね。もういろんなどん底を見てきてるから、いまさら人にどう思われるとかは関係ないんです。今も同じです。ほらに近いような夢を語って、進み出して、腹をくくっています」

昇格へ!“宣言”まであと2年

岡田さんがインタビューに応じてくれたのは1時間余り。
終わったとき、「もうそんなに時間がたったのか」と驚いた。

なにしろ、話がおもしろい。
コミュニティーの大切さ、という話題になったときは、「ネアンデルタール人は白目が見えづらく、感情を共有できなかったから滅びたという説がある」という話までしてくれた。

みずから「ほらのような」と言う大きな夢も、本当に実現させるのではないか、そう思わせる魅力がある。

岡田さんが「J1で優勝争いをする」と宣言した2025年まではあと2年。
もう1つの目標に向けて、チームは今シーズン、戦いを続けている。

岡田さん
「今シーズンは昇格しないと、銀行へ出したタームシートにはもう昇格するって書いてあるからね(笑)。なんとしてでも上がるように頑張りたいと思っていますので、ぜひ応援して下さい」

にこやかな笑顔の奥には、リーダーとしての強い意志と覚悟がある。
FC今治と今治里山スタジアムは、大きな夢に向かって成長を続けていく。

  • 清水瑶平

    清水瑶平

    2008年入局、初任地は熊本。その後社会部で災害報道、スポーツニュースで相撲・格闘技を中心に取材。2021年10月から松山局。学生時代はボクサーでした。

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