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高知局 小原アナが見た 東日本大震災の被災地・岩手~【前編】

釜石市・宮古市
  • 2024年02月14日

東日本大震災からことしで13年。その1月1日に「能登半島地震」が発生しました。

「南海トラフ巨大地震」もいつ起こるかわかりません。
今後30年以内に70~80%の確率で起こるとされています。「高知で暮らす私たちもその備えを進めていかなければ」と、改めて考えさせられました。
「南海トラフ巨大地震の被害を少しでも軽減するために何が必要か」。
私の故郷で東日本大震災の被災地である岩手県を訪ね、その教訓を取材しました。

“釜石の出来事” 小中学生の生存率は99.8%
~実践で生きた防災教育~

釜石鵜住居復興スタジアム

まず訪れたのは、岩手県釜石市鵜住居地区。盛岡駅から車でおよそ2時間のところにあります。

震災時、市内の小中学生の生存率が99.8%「釜石の出来事」と呼ばれる地域です。

釜石市内の小中学校では、日頃から実践的かつ楽しく学ぶ防災教育が行われ、津波の速さを体感するため「学校の校庭で時速36キロの車との競争」や、リヤカーを使って「けが人」を運ぶなどの訓練を行っていました。
この地域で浸透していたのが、津波てんでんこ”(三陸沿岸に伝わる言い習わし)の教え。まずは自分の命が助かることを優先して逃げる「自助」。そして、逃げる姿を見る人が増え、地域の避難行動が促進される「共助」の2つの意味を持ちます。

いのちをつなぐ未来館

今回訪れた「いのちをつなぐ未来館」は、震災から8年後の2019年3月に完成。震災の出来事や教訓を伝えるとともに、災害から未来の命を守るための防災学習を推進する施設です。釜石市内の小中学校の訓練の様子なども写真で展示しています。

川崎杏樹さん(画像提供 川崎さん)

この施設で、3年前から震災ガイドをしている川崎杏樹(かわさき・あき)さん。

震災当時は中学2年生。学校で地震に遭い「経験したことがないような揺れ」を感じたという川崎さん。揺れが収まった次の瞬間には「逃げなきゃ!」と思い、すぐに避難を開始しました。 
自然と体が動き、隣接する小学校の児童たちと一斉に高台へ。そこで想定を超える津波を目の当たりにしました。地域の人たちの助言も受け、到着した場所よりもさらに避難。学校から1.6キロ先の高台に辿り着きました。逃げた道のりは、普段の避難訓練の倍の距離でした。

施設内で話す川崎さん

川崎さんは、「避難や点呼の速さなど事前に決めていた役割を果たし、みんながそれぞれ逃げる意思があった。それを行動に移せたからこそ統率がとれた」と当時を振り返ります。

釜石市では、この鵜住居地区を含め、市内の小中学生の生存率は99.8%。日常に“備え”の意識が溶けこみ、避難行動ができた事例。川崎さんは、これからも「当時の避難路を歩く体験」や「語り部」活動を続けることで、1人でも多くの命を救いたいと日々奮闘しています。

逃げる時間を稼ぐのが防潮堤~田老地区の”万里の長城”~

震災当時、“万里の長城”とも呼ばれる「高さ10メートル、総延長2433メートル」の防潮堤があった宮古市田老地区。津波はその防潮堤を乗り越え、東日本大震災での宮古市全体の死者は420人。田老地区の死者・行方不明者は180人あまりという甚大な被害が出ました。

学ぶ防災ガイド 元田久美子さん

田老地区で防災ガイドをしている元田久美子(もとだ・くみこ)さん。田老地区の現状や当時の状況を、防潮堤に上って伝えることで防災意識を高めてもらおうと活動しています。

2021年に新たに完成した防潮堤

“万里の長城”と呼ばれ、まちの誇りだった防潮堤は損壊。いまもその跡が残っています。

逃げる時間を稼ぐものが防潮堤だからちゃんと逃げなくてはいけない。防潮堤があることの過信、油断が犠牲者につながったかも知れない」と話す元田さん。「100回逃げて大丈夫でも、101回目も逃げるその努力が必要。」と、ここを訪れた人に伝えています。

震災遺構「たろう観光ホテル」

防潮堤のすぐそばに立つ、震災遺構「たろう観光ホテル」。

この建物の4階まで津波が到達。1階、2階は鉄骨があらわになり、エレベーターや階段はねじ曲がっていて、その姿から津波の恐ろしさがうかがえます。

津波が押し寄せたそのとき、ホテルの6階にいたのが元社長の松本勇毅(まつもと・ゆうき)さん。 
持参していたカメラで、その様子を撮影しながら避難を呼びかけました。

たろう観光ホテル元社長:松本勇毅さん

「津波がその場で高くなって引いていく様子は見たことはあったが、波が平行移動してまちを襲う様子は初めて見た」という松本さん。「津波が防潮堤を越えることは想像していなかった」と話します。
松本さんは「防潮堤が2階建ての家の屋根と同じくらいの高さにあり、海が見えなかった。だから津波が来ているのがわからなかったと思う」と当時を振り返っていました。

「“ハードの津波対策”をしていても、決して安心してはいけない。」

松本さんは、「防潮堤で守られている気持ちでいた。やっぱり早く逃げることが、1番命が助かる方法だ」と、ここを訪れた人に伝えています。
→next【後編】~陸前高田市編~

※死者・行方不明者データは令和5年12月31日現在(岩手県復興防災部防災課参考)

  • 小原和樹

    NHK高知放送局

    小原和樹

    夕方6時台放送の“こうちいちばん”メインキャスター。 
    岩手県で生まれ育ち、震災当時は中学1年生。
     “こうちいちばん”では、防災コーナーも担当。

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