記者が見た能登半島地震①
- 2024年01月26日
元日の夕方に発生した能登半島地震。NHK高知放送局の記者が見た被災地の現状とは。南海トラフ巨大地震への教訓は何か考える。
(高知放送局 記者 中川聖太)
絶えず気が休まらない取材
地震発生3日後の1月4日、私は石川県に入った。滞在は1週間、震度4などの地震が頻発しており、絶えず気が休まらない状況だった。
現地では、震度6強を観測した珠洲市や石川県庁に設置されている災害対策本部を取材。珠洲市は能登半島の先端に位置していて、今回の地震で津波による被害のほか家屋の倒壊が相次いだ地域だ。
地震の発生から2週間(1月15日午後2時)の時点で、市内の死者数は100人近くにのぼり、少なくとも5地区の200人を超える人が道路の寸断で孤立状態になっていた。
一面の家屋は倒壊
その珠洲市に私が入ったのは、1月5日。目に入ってきたのは辺り一面の家屋の倒壊だった。地面には散らばる窓ガラスの破片や屋根瓦。去年5月に珠洲市で震度6強を観測した地震の際にも私は現地で取材し、その時も市内だけで1400棟近くの住宅に被害が出たが、それをさらに上回る倒壊は驚きとしか言い表せない状況だった。
生存率が大きく下がるとされる72時間を過ぎた5日、私が取材したのは倒壊した住宅に取り残されているとみられる住民の救助活動だった。70代の女性が取り残された可能性があるとういうことで、現場には女性の息子もいた。
男性は地震発生後、みずから「潰れた1階部分に1人閉じ込められています」という紙を貼って救助を待っていて、小雨が降りながらもじっと活動を見守っていた。
思うように届かない支援や物資
現地には車で入ったが、目立ったのが道路の亀裂。最初の地震で広い範囲で陥没したり隆起したりして道路状況は非常に悪かった。
それに加えての余震や雨と雪。通ることができると聞いていた道路も通行止めになるなど、回り道を探しながらの移動を強いられ、通常の2,3倍の時間がかかるような状況だった。
私は朝の午前4時に取材拠点の金沢市を出発したが、珠洲市に到着したのは5時間以上かかった午前9時半。また、帰りも午後1時に出発して約7時間かかり、取材も思うように進まず悔しい気持ちが残った。
能登半島地震からみる南海トラフ巨大地震での教訓は
現地の取材を振り返り、衝撃的だったのはやはり木造住宅を中心とした家屋の倒壊だ。自分たちが住む場所の耐震化を改めて進めるべきだと感じる。
また、今回の県庁所在地の金沢市の被害は大きくなかったが、道路が寸断されると救助活動や物資の支援に相当な労力がかかることを目の当たりにした。さらに南海トラフ巨大地震では、県庁所在地の高知市でも甚大な被害が想定されている。孤立しかねない地域で命をどう守っていくかは大きな課題だ。