高知 土佐弁と幡多弁の境界線を徹底調査!
- 2023年11月09日
朝ドラ『らんまん』で神木隆之介さん演じる主人公・槙野万太郎が話していたのは土佐弁。
一方、宇崎竜童さんが演じるジョン万次郎こと中濱万次郎が話していたのは、県西部で使われる幡多弁でした。
では、土佐弁と幡多弁の境界線はどこか知っていますか?徹底調査してきました! (高知放送局ディレクター 清水真紀子)
土佐弁と幡多弁の違いは
そもそも土佐弁と幡多弁は何が違い、どうして2つの方言が高知で話されるようになったのか。
高知大学で方言を研究する岩城裕之教授(日本語学)に聞きました。
そもそも、土佐弁と幡多弁はどうやって分類するのでしょうか?
発音、特にアクセントです。
四国の方言全体が基本的には京阪式、京都や大阪式のアクセントを持っています。高知市あたりもそうです。
ところが西の方に行くと、東京式アクセントというアクセントになるんです。そこがちょうど幡多であり、愛媛の方だと南予になるんです。
かつて都があった近畿地方から四国へ言葉や文化が伝わる際に、太平洋側を通って伝わり独自に発展したのが土佐弁。一方、瀬戸内海を通り広島や愛媛、九州の影響を受けながら高知西部の幡多地域や愛媛の南予地域に伝わったのが幡多弁と考えられています。
主な違いはアクセント。発音すると土佐弁と幡多弁でアクセントが逆になる単語があります。
例えば「雨」。東京式アクセントの幡多弁では、アクセントは「あ」(標準語と同じ)。一方、京阪式アクセントの土佐弁ではアクセントは「め」に置かれます。
文法にもいくつか違いがあります。
例えば現在進行形の「している」は、土佐弁では「しゆう」。幡多弁では「しよう」「しよる」。
理由の「だから」は、土佐弁では語尾に「き」、幡多弁では「けん」「けに」を使います。
土佐弁と幡多弁の境界線を調査!
では、土佐弁と幡多弁の境界線はどこにあるのか?
取材班は2023年10月中旬、四万十町、黒潮町、四万十市の合計8箇所で調査を実施。
調査に使ったのは、こちらの文章。岩城教授に協力してもらい、違いが分かりやすい文章を用意しました。
これをその土地の言葉で読んでもらいます。
四万十町窪川で読んでもらうと・・・
土佐弁です。
四万十市中村で読んでもらうと・・・
ここは幡多弁です。
黒潮町の西大方では。
幡多弁の「~ちょう」「来たや」が入っています。
黒潮町の佐賀では。
謎は深まるばかり・・・。
そんな中、聞き込みを続けると、境界線についてある有力情報が!
土佐弁と幡多弁の境界線を探しているんですが、どこだと思いますか?
俺がガキの時分は、こっちが久礼坂、こっちが片坂で有名だった。そこが境やね、おそらく。
情報を頼りにまず訪ねたのは、旧佐賀町(現黒潮町)の市野瀬地区。
住民の女性2人に聞いてみると。
お二人とも、土佐弁です。
そこでさらに南へ移動し、旧佐賀町の拳ノ川地区へ。
畑仕事をしていた男性に聞くと。
土佐弁の回答が。
ここも土佐弁の地域かと思った矢先・・・井戸端会議中の女性に聞いてみることに。
この文章を拳ノ川の言葉で読むと何ですか?
「雨が降りようけん、うち来いや」って言う
語尾が「けん」!ついに幡多弁を話す方を発見!?
お母さん、今「降りようけん」って言いましたか!?
幡多弁じゃな
さらに前を通りかかった地元の小学生にも聞くと。
みんな「~けん」って言う?
言う!
「~やき」も使う?
うん!言う!
どうやって使い分けるの?
分からん!自然と!
果たしてここが境界線なのか・・・?
後日、岩城教授に拳ノ川地区での映像を見て判定してもらいました。
幡多の特徴というのはあって、「降りゆう」じゃなくて「降りよう」とか、「き」じゃなくて「けん」というのがぱっとお話されるとき出てきているんですが、例えば2回目に言い直したりスタッフの方に改めて説明したりするときには、ちょっと土佐の言葉が入ってきて「き」になったりする。
ちょうど2つが混ざり合って、まあバイリンガル、一言でいうと両方いけるというような、そういう地点なんだろうなと思いました。
では、この辺りが境界線と考えていいんでしょうか?
はい。私自身は、ここは両方いける時点でちょうど境目ということかと思います。佐賀の町あたりにこう幅広い境目があって、グラデーションを描くようにそこで変わっていくという捉え方がまあ正確なのかな、現実に一番近いのかなというふうに思います。
調査結果
旧佐賀町(現黒潮町)で、土佐弁と幡多弁両方を使いこなすバイリンガルな方々に出会いました。土佐弁と幡多弁の境界線は、旧佐賀町と言えそうです!
ちなみに、放送後SNSでお寄せいただいた視聴者の疑問「佐賀と大方の境に峠はないのに、どうして佐賀と大方の間に境があるのか?」について、岩城教授に聞いたところ・・・
確定的なことは言えませんが、佐賀が港であったことの影響はあると思います。陸路で見ると佐賀から高知へ向かうと山があり、佐賀は幡多弁の地域と考えられますが、港の存在は無視できません。江戸時代の港として、佐賀、下田があげられますが、佐賀は港を通じて城下の高知との交流が盛んだったため、土佐弁の影響も受けたと考えられます。一方、大方の沿岸部は砂浜のため良い港がなかったようです。中村から近いこともあり、佐賀よりも幡多弁が盛んに話されるようになったのではないかと思います。
ちなみに方言の分布図を見ると、興津、佐賀、下田、清水といった港町に似た方言が分布していることから、これらを結ぶ海の道の存在が推測されるそうです。
境界線に近い地域にお住まいの方、土佐弁と幡多弁のバイリンガルを知っている!という方がいましたら、ぜひ情報をお寄せください!
取材後記
今回、2日間の取材でおよそ50人の方にお話を伺うことができました。同じ町でも山側と海側で雰囲気が違うなど言葉から地域が見えて、方言の奥深さ、面白さに魅了された取材でした。
ご協力いただき、本当にありがとうございました!