”じゃんけんマン”ピンチ乗り越え輝くヒーローに聞く
- 2022年06月08日
県内外で活躍する人たちに、これまでの活動や鹿児島への思いをたっぷりと語っていただく「スポットライト」のコーナーで今回お話を伺ったのは、ご当地ヒーロー“じゃんけんマン”。その正体は、鹿児島市の尾曲智幸さん(32)です。
尾曲さんが大学生のときから10年以上にわたって続けている“じゃんけんマン”の活動ですが、いま大きなピンチを迎えています。その危機をどのように乗り越えようとしているのか。無敵の優しさを誇る鹿児島の“ヒーロー”の思いを聞きました。
(鹿児島放送局 記者 堀川雄太郎)
ご当地ヒーロー“じゃんけんマン”
“じゃんけんマン”が鹿児島に初めて姿をあらわしたのは、11年前の2011年2月。桜島の噴火の活発化をとめるため、「じゃんけん王国」からやってきました。
じゃんけんして勝った子どもたちにはシールをプレゼント。
さらに幼いころから続けていたというサッカーやフットサルを通じた交流もしています。
顔が見えて話もできるヒーロー
その“じゃんけんマン”の正体が、尾曲智幸さんです。
活動の始まりは、鹿児島国際大学の学生だったころ。
アルバイトをしていたアミュプラザ鹿児島のゲームセンターで、イベントのじゃんけん大会を盛り上げようとしたことだったと言います。
そのときからチョキの頭と白塗りメークが特徴でしたが、実はお笑い界のあの大物との”かぶり”を避けるため、現在の姿に落ち着いたと言います。
「白塗りだったらみんなも見てくれるし、かぶり物だったら大人も子どもも目を引いてくれると思いました。
最初はパーのかぶり物にしようとしたのですが、アルバイト先の店長さんから“パーはパーデンネンがおるんやで”と言われて。そのときパーデンネンを知らなかったので、検索したら“あ、パーですね”ということで。グーよりチョキがいいかなと思ってチョキにしました」
手縫いのかぶり物をはじめ衣装はすべて自前で、当初は1度きりのつもりだったという“じゃんけんマン”。
ところが、じゃんけんを通じた交流ができるヒーローとして次第に人気を集め、大学卒業後もアルバイトと掛け持ちしながら活動の幅を広げていきました。
「じゃんけん大会に参加してくれた方が福岡の方で、“鹿児島に来てよかった”と言ってくれて、“あ、そんなふうに言ってくれるんだ、こんな格好してて”と思いました。“じゃんけんマン”は顔が出てて表情も分かって、人とも話せるんです。
子どもたちとじゃんけんしてふれ合いながら練り歩いて、仲良くなっていく。僕も笑顔になるし、元気をもらえます。子どもたちも笑顔で帰ってくれるので、そこが一番の強みかなと思います」
活動は災害の復興現場にも
“じゃんけんマン”は、困っている人がいれば災害の復興現場にも飛んでいきます。
その活躍の場の1つが、2020年7月の豪雨で大きな被害を受けた熊本県球磨村です。
知り合いを通じてボランティアに駆けつけ、子どもたちとの交流や泥だしの作業などに汗を流しました。隣の県ということもあって、何度も通い続けています。
ヒーローに訪れたピンチ
活動を始めて10年余り。鹿児島の地域ヒーローとしてすっかりおなじみになった“じゃんけんマン”に、いまピンチが訪れています。コロナ禍の影響で、イベントがこれまでの10分の1にまで激減。
一時は“じゃんけんマン”の活動のみで生計を立てていた時期もありましたが、ほかの仕事と掛け持ちする生活に戻りました。
「とても忙しいときにパタンとなくなりました。最初は“ちょっと休めるや”と思っていましたが、それがどんどんずっと続いていったので、さみしいです。
お茶屋さんで働いたり、児童発達支援の仕事もさせてもらったりしているので、ほかの仕事をつないで頑張っています」
苦境乗り越えヒーローは立ち上がる
コロナ禍の大きな影響を受けている“じゃんけんマン”ですが、苦境を乗り越え、新たなチャレンジを始めています。きっかけは、ロシアによるウクライナへの軍事侵攻でした。
凄惨な状況をニュースなどで目にするなかで「ヒーローとして何かできることをやりたい」と動き出したのです。
尾曲さんは、障害者の就労支援などを行うNPO法人の呼びかけを受け、“じゃんけんマン”のチャリティーグッズを作ることを決意。さっそく今月、イベントで販売ブースを設けました。
ウクライナの国旗や民族衣装などをモチーフにした “じゃんけんマン” のマスクや缶バッジなどのグッズを手に取ってくれる人も多く、尾曲さんは手応えを感じました。
”じゃんけんマン” 尾曲智幸さん
「ウクライナをニュースやSNSで見ている人たちはたくさんいると思いますが、こういうイベントに来て、支援したいと思っている人たちが、こんなにたくさんいるということを鹿児島の身近なところで感じてほしいです」
ウクライナの支援に向けたチャリティーグッズは、今後、SNSなどでも販売を行うことにしていて、売り上げは現地の高齢者や障害者への支援にあてることにしています。
コロナ禍のピンチにもめげることなく、前を向く“じゃんけんマン”。尾曲さんはこれからも鹿児島のご当地ヒーローとして、幅広い活動を続けていきたいと決意を新たにしています。
「イベントがなくてもじゃんけんマンはいなくならないので、ゆっくり出番を待とうと思います。
ウクライナ支援に関しては、早く戦争が終わって、実際にウクライナに僕が行って子どもたちとじゃんけんをしたり、日本の遊びを伝えたりできるような状況まで戻ってほしいです。“じゃんけんマンがいる世界は平和だよね”と言ってもらえるくらい、大きなヒーローになりたいです」
取材を終えて
低姿勢で、取材にも非常に協力的に応じてくださった尾曲さん。その実直な人柄が、“じゃんけんマン”がご当地ヒーローとして多くの支持を集める理由だと感じました。
実は尾曲さんは、幼いころから特撮のウルトラマンが大好きだったそうで、その憧れが活動の支えになっているのかもしれません。
鹿児島のヒーローが、その無敵の優しさを武器に活躍する姿を今後も見続けたいと思います。