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ANAグループ芝田浩二新社長に聞く 離島から世界へ

  • 2022年06月01日

航空業界が新型コロナウイルスの影響を大きく受けるなか、「ANAホールディングス」のかじ取り役を任されたのが、加計呂麻島出身の芝田浩二新社長です。離島から日本を代表する企業のトップに上り詰めた芝田新社長に、鹿児島の経済や若者への期待について話しを聞きました。

(鹿児島局記者 古河美香)

島の光景が”世界”の原点

ことし4月に「ANAホールディングス」の社長に就任した芝田浩二さん(64歳)は、瀬戸内町の加計呂麻島で育ちました。芝田さんの、海外に行ってみたいという思いの原点は、実は島の光景にあるといいます。

ANAホールディングス 芝田浩二社長

「地元の集落の目の前には大きな湾が広がっています。静かな湾なんですけど、台風が近づくと、外国航路の大型貨客船や貨物船が避難してきて、集落からは大きな船がたくさん並ぶのが見えるんです。

その船に乗ると外国に行ける、世界に行けるという夢を抱かせるような光景でした。あの船に乗って、世界に行ってみたいなという思いがありました」

船長になりたいと作文にも書いていた芝田さんが空に目を向けたのは大学時代です。東京外国語大学を休学して、中国の北京にある日本大使館で働いていたとき、クルーのさっそうとした姿にひかれました。

当時、全日空は国際線のチャーター便の実績を積み重ねていた時期です。定期便の進出に向けて、将来貢献できるのではないかという思いが大きくなり、「全日空」の扉を叩きました。以来、国際畑を歩み、外国への訪問は700回を超えます。

コロナ禍で社長就任へ 島の”支え合い”を経営に

新型コロナの影響が長期化し、難しい経営が続く中、世界を相手にする航空会社の社長を引き受けた芝田さん。互いに支え合って生活してきた島での経験を、経営の立て直しに生かしたいと考えています。

芝田社長
 

「島はお互い寄り添わないと生きていけない環境です。それが普通に当たり前のように平和にできてきたわけですから、きっと企業でも同じ環境になるんじゃないかというふうに思います。

島出身として生かしたいことは、他人を思いやる気持ちです。今、社員全員の気持ちが1つにならないと力になれないです。そのためにはお互いを理解をするという気持ちが非常に大事だと思っています」

鹿児島は”南の玄関口”

新型コロナの影響は、鹿児島の地域経済にも大きく影を落としています。芝田さんは、鹿児島には、国内外の人たちを受け入れる”南の玄関口”としての役割を期待しています。

芝田社長
 

「鹿児島は日本の南からのゲートウエー、もともと兼ね備えた底力です。東南アジアからみると、日本の南のゲートウエーという地理的優位性を鹿児島は持っています。その優位性を大いに生かすことによって、訪日需要の呼び込みを図れるのではないかと思います」

さらに、リモートワークなどコロナ禍での新たな生活様式も、鹿児島の追い風になる可能性があるといいます。

芝田社長

「わざわざ東京や大阪に住む必要はない、鹿児島でできる仕事は移住者がやる。そういう環境が整えば、国内を移動する手段を提供するのは、私たちの役回りにあるので、便利なチケットを用意するといったコラボレーションで、お手伝いできると思うんです。鹿児島には、国内の移動需要と訪日の移動需要の両方を摘み取れる要素がしっかりあるだろうと思っています。私は期待しています」

若者たちへ 環境を変える努力をして視野を広げて

小さいころ、島で抱いた海外への憧れを一歩ずつ実現させてきた芝田さんに、鹿児島の若者たちに伝えたいことを聞きました。

「環境を変える努力を自分でしようと伝えたいです。例えば加計呂麻島にいると島しか知らない。鹿児島市に出て甲南高校に入学すると、私からすると勉強のレベルもぐっと上がりました。

でも環境が上がると、人間って順応すると思うんです。東京に出て、東京外国語大学に入学すると、また環境が変わって適応していくんです。中国の北京に行き、北京の日本大使館で働くと、そこでの環境があるわけです。またレベルが違って、レベルが上がるんです。

エベレストを登る登山隊が、途中で高気圧に体を慣らしながら上がっていくように、ひとつひとつ、自分の環境を変える努力というのをしていくべきだと思うんです。そういうことをぜひやってほしいと思います。

鹿児島だけを見るのではなくて、まず外に目を向けて、日本全体をふかんしようと伝えたいです。日本も、今や国単位で動く世界ではありません。いろんなことをやっていくと、自分がやりたいことや何をやるべきかがおのずとわかってきます。そういう思いで、1日1日を生きてほしいと思います。鹿児島から日本へ、日本から世界へ、地球市民となって羽ばたいてください」

取材を終えて

8年前、大島高校がセンバツに初出場したときは甲子園に応援に行き、島で開かれる運動会に参加したりと、ふるさとをとても大切にしていたのが印象的でした。

焼酎が好きで、日本酒は酔ってしまうそうです。
ANAの広報担当者は、鹿児島や島のことを話す時はすごくうれしそうにすると話していました。
その郷土愛が強いだけに、鹿児島の若者たちには大きな期待を寄せていました。

受け身の姿勢ではなく、自分で環境を変える努力をすることと、視野を広げることの大切さを熱く語っていました。若者だけでなく、どの年代の人が聞いても、突き刺さる言葉だと思いました。
他人を思いやる気持ちや、支え合いといった「島の心」で、コロナ禍の荒れ模様の空を突き抜けて、
強じんなANAへの変貌を遂げて欲しいと思いました。

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