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根室線の栄枯盛衰見つめた駅舎 南富良野町が観光資源で活用へ

  • 2024年4月8日

2024年3月31日、JR根室線は富良野駅と新得駅の区間で運行が終わり、翌4月1日から代替交通のバスの運行が始まりました。上川の南富良野町からは鉄道がなくなり、映画のロケで使われた幾寅駅も廃止となりました。過疎化で人口減少が進むなか、迎えた鉄路廃止の日。それでも南富良野町には、鉄道からバスへの転換をチャンスと前向きに捉え、駅を観光資源として活用しようとする人たちがいます。(NHK旭川 上松凜助)

かつては北海道の“大動脈”

滝川と根室を結ぶJR根室線。花咲線の愛称がある区間を含め、その延長は400キロを超えます。このうち廃止となったのは富良野と新得の間のおよそ80キロです。この区間が開通したのはいまから117年前の明治40年(1907年)。以来、特急列車や貨物列車などが多く行き交う“大動脈”でした。

狩勝峠/1961年

転機を迎えたのは昭和56年(1981年)10月の石勝線の開通です。道央と道東を結ぶ主要ルートは石勝線に変わり、富良野・新得間は利用者が激減しました。その後、地域の過疎化が進み、沿線の人口は減少。利用者はさらに落ち込みました。そこに災害が追い打ちをかけます。平成28年(2016年)8月、台風10号による水害では、土砂が線路に流れ込むなどして列車の運転ができなくなりました。その後、富良野と南富良野町の東鹿越の間は列車の運転が再開されましたが、狩勝峠を挟む東鹿越と新得の間は代行バスによる運行が続きました。

壊れた線路/2016年

JR北海道は水害の年の11月、経営悪化を受けて、富良野・新得間など5つの区間を廃止する意向を示しました。富良野・新得間については、鉄道を残す場合は沿線自治体が維持管理費として年間およそ11億円を負担するよう要請。沿線自治体は議論を重ねてきましたが、去年(2023年)3月、「人口減少が進むなか、今後、利用者の増加は見込めず、廃止を受け入れざるをえない」などとして鉄路存続を断念しました。

自治体とJRの会合/2023年

117年の歴史に幕

最終運行日の3月31日、沿線の駅には別れを惜しむ鉄道ファンが全国各地から訪れ、にぎわいました。このうち富良野市にある布部駅は民放のテレビドラマ「北の国から」の第1話で、田中邦衛さんが演じた黒板五郎が子どもたちと降り立つシーンで知られ、ファンの間では“聖地”と呼ばれています。駅舎の前にはドラマの脚本を手がけた倉本聰さんが「北の国 此処に始る(ここにはじまる)」と記した記念碑があり、大勢のファンが写真を撮影していました。

この日はJR北海道主催のお別れセレモニーも行われました。富良野駅のホームで行われた式では、JR北海道の綿貫泰之社長が「根室線は北海道の大動脈だった。地域の足として長く利用していただいたことに深く感謝したい」とあいさつしました。また、富良野市の北猛俊市長は「117年もの間、住民の足となり、多くの思い出を残してくれた鉄路に感謝したい。根室線が残した記憶を大切にしながら、新たなまちづくりを進めていきたい」と述べました。

富良野駅でのお別れセレモニー

そして迎えたラストラン。南富良野町の東鹿越駅では、滝川行きの最終列車の出発にあわせて、地元の人たちや鉄道ファンなどが集まりました。最後の列車は別れを惜しむように定刻よりも5分遅れて出発。ホームから「根室線ありがとう!」という声がかかりました。列車は午後9時すぎ、富良野駅に無事到着。富良野・新得間の鉄路は117年の歴史に幕を下ろしました。

東鹿越駅発 最終列車

廃止の幾寅駅“人生をともに歩んだ”

南富良野町にある幾寅駅は8年前の水害で列車が不通になった区間にあります。列車が走ることなく、廃止の日を迎えました。

地元の婦人会の元会長、佐藤圭子さん(84)は昭和34年(1959年)、小学校の教師だった親の転勤で士別市から幾寅へ移り住みました。不安な気持ちを抱えて降り立った駅で目にした光景を、いまもハッキリと覚えています。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「列車から山ばかり見えて、このような山の中で暮らすのかと覚悟しました。ところが、ホームに降りたときに小学生が50~60人ぐらいばーっと並んでいて、拍手して迎えてくれたんです。とても温かくてね、幾寅というところはすごくいいところなんだと思いましたね」

佐藤圭子さん

当時は高度経済成長期。鉄道が暮らしの中心にありました。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「あのころは最盛期でしたからね。人口も多かったし、汽車から人がたくさん降りてきました。駅の前もすごくにぎやかで、映画館もありました。鉄道関係者の住宅もいっぱいありました。人も温かくてね、駅員さんが『どこに行くんですか』、『何時に帰ってくるの』など必ず声をかけてくれました。駅員さんも家族みたいな感じでした。家を建てるときも列車が見えるところに建てたんです。1時間ごとに列車が走っていた時代なので、『これ何時の汽車だから何時だね』と、時計がわりに列車を見ていました。生活と密着していて、鉄道があるのは当たり前でした」

幾寅駅/1967年

佐藤さんは「幾寅駅とともに人生を歩んできた」と言います。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「子どもが旭川に通学することになって、大丈夫かなと不安な思いで見送っていたとき、幾寅駅の駅員さんも一緒になって見送ってくれて、『兄ちゃん、頑張ってこいよー』と皆さん言ってくれてね。見送る寂しさや不安が楽しみに変わりました。人情味がありました。連休など休みで帰省してくるのも汽車ですから。駅に迎えに来て、そして送り出して。何をするにも鉄道。何度お世話になったか分かりませんね」

映画のロケで南富良野町を代表する観光地に

列車の発着はなくなった幾寅駅ですが、年におよそ3万人が訪れる観光地となっています。駅が映画「鉄道員」のロケで使われ、高倉健さんが駅長を務める「幌舞駅」として登場したのです。

撮影当時、佐藤さんたち婦人会は映画の出演者やスタッフへの炊き出しに協力しました。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「大スターに出す食事だけに、失敗したら困るな、本当に食べてもらえるのかなと心配しながら、毎日毎日、炊き出しを作っていました。思っていたよりもずっと大変でしたが、とっても皆さん喜んでくれました。『本当にありがとう』と言ってくれて、作りがいがありましたよ。楽しい思い出です」

高倉さんからかけられた“忘れられないひと言”もあります。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「一度失敗したことがあるんです。芋だんごがとてもしょっぱくて失敗したときに、健さんが『おばちゃんたち、きょうの芋だんご塩辛くて食べられなかったよ!』とおっしゃって。それが16日間でたった1回の会話。それがいまでも近くから聞こえるような感じがするんです。大スターとふれ合えたのは本当にすごい宝だなと思いますね。すごいことをしたんだなと、ふと思いますよ」

映画では終盤、高倉さん演じる駅長に鉄道の廃止が伝えられます。幾寅駅は、くしくも映画と同じ運命をたどることになりました。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「水害から復興して、また幾寅に列車が走ると思っていましたからね。廃線が決まって、健さんに申し訳ないと思っています。健さんの写真の前で『映画のようになってしまいましたね。ごめんなさい』と伝えたい。本当に無念の思いです」

鉄路廃止をチャンスへ 前向きに捉える

地域の自慢でもある幾寅駅。南富良野町は観光資源として駅舎を保存することを決め、今後、ロケセットを含む土台や屋根を補修する予定です。駅舎の維持管理を担う地元の観光協会も「鉄路廃止をチャンスに変えよう」と前向きに捉えています。

南富良野まちづくり観光協会 小野寿樹さん
「幾寅駅は映画のロケ地であるし、大切な産業遺産でもあるので、町民、そして町外から観光で来るお客さんが集まれる場所として存続させていきたいです」

小野寿樹さん

期待を集めるのが代替交通として運行が始まるバスです。幾寅駅近くの「道の駅 南ふらの」にとまる旭川や帯広を結ぶバスが、これまでよりも増えるのです。町では、鉄道にかわりバスで多くの人を呼び込み、にぎわいを生み出したい考えです。

南富良野町 髙橋秀樹町長
「南富良野町と旭川、帯広などをつなぐ流れが新たにでき、多くの人に来てもらえるチャンスが生まれる。交流人口が増えることで、地域の活性化にもつながるのではないか。富良野市内の病院や学校に向かうとき、鉄道では乗り継ぎが必要だったが、4月からはバスで直接行くことができるようになり、町民にとって利便性がよくなった。今回のバス転換を後ろ向きに捉えるのではなく、町にプラスとなる効果を上げられるよう、今後も地域交通を充実する施策を講じていきたい」

髙橋秀樹町長

幾寅駅は永遠に

“幾寅駅がいつまでも、南富良野の町の、そして人々の中心であり続けますように”。佐藤さんは地元の婦人会が始めた駅舎の清掃活動を続けます。

幾寅婦人会元会長 佐藤圭子さん
「映画をきっかけに幾寅駅を訪れたファンの方たちに温かい気持ちになってもらおうと、20年近く前に清掃活動を始めました。皆さん、『駅に来てよかったよ』、『こんなきれいにしていて、いい駅ですね』と言って喜んでくれます。その声を聞いただけでも、本当にやってよかったなと思います。できるかぎり、健康なうちは続けていきたいなと思っています」

取材後記

鉄道が廃止され、代替バスの運行が始まった4月1日、南富良野町の道の駅にあるバス停で利用者の声を取材しました。自分の予想よりもバスを使う人は少なく、改めて鉄路廃止に至った厳しい現実を目の当たりにしました。髙橋秀樹町長は取材に対し「過疎化に人口減少、それに少子高齢化と、課題が山積するなか、各地とバスによって結ばれる道の駅を拠点として、関係人口や交流人口を増やしていかなくてはならない。鉄道からバスに転換した、その決断を必ず正解にしていく」と決意を新たにしていました。今回、私は117年もの間続いてきた鉄道からバスへの地域交通の大転換を取材する貴重な機会を得ました。過疎化と人口減少がますます進むなか、地方の公共交通はどうなっていくのか。これからも現場で取材を続けます。

2024年4月8日

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  • 上松凜助

    旭川放送局

    上松凜助

    2022年入局 初任地は札幌局事件や事故 防災情報などを中心に道北地域の話題を幅広く取材

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