ページの本文へ

NHK北海道WEB

  1. NHK北海道
  2. NHK北海道WEB
  3. ほっとニュースweb
  4. 函館市長選挙 戦いの歴史 最近の選挙結果は

函館市長選挙 戦いの歴史 最近の選挙結果は

  • 2023年3月17日

統一地方選挙・後半戦で行われる函館市長選挙。最近の選挙結果とともに、その歴史を振り返ります。(函館放送局  毛利春香)


函館市長選挙  1999年以降の結果を詳しく

【1999年(平成11年)】
前年、1998年(平成10年)の選挙で4回目の当選を果たした木戸浦隆一氏が健康上の理由から辞職。新人5人が立候補し、木戸浦氏が初当選した1986年(昭和61年)の選挙以来13年ぶりに新人どうしの選挙戦となりました。

5人の候補者数は、戦後最初の選挙、第1回統一地方選挙として行われた1947年(昭和22年)の選挙と並んで過去最多です。
また、この選挙から、1983年(昭和58年)以来16年ぶりに統一地方選挙に戻りました。
選挙では、函館市前助役の井上博司氏が民主党と社民党が推薦した弁護士の山崎英二氏や自民党が推薦した元道議会議員の畠山博氏らを抑えて初当選を果たしました。

井上氏は木戸浦氏の後継候補として、市の職員数の適正化をはじめ、まちづくりプロジェクトの実現などを訴えました。
自民党は地元選出の国会議員が中心となって畠山氏を擁立しましたが、地元経済界は井上氏を支持。候補者を一本化できず、自民党は分裂選挙となりました。
結果、井上氏と次点の山崎氏の票差は3000票余り、得票率差で2ポイント余りの大激戦となりました。投票率は64.34%でした。


【2003年(平成15年)】
民主党と公明党が支持した現職の井上博司氏が元函館市議会議員の斎藤進氏をダブルスコアの大差で破り、2回目の当選を果たしました。
井上氏は現職の強みを生かし、支持を受けた民主党と公明党に加え、自民党の支持層にも支持を広げました。
投票率は56.76%と、1つ前の1999年(平成11年)選挙から7ポイント以上落ち込みました。


【2007年(平成19年)】
自民党と民主党北海道第8区総支部が推薦し公明党が支持した現職の井上博司氏と函館市前助役の西尾正範氏による1対1の対決となりました。
井上氏は2期8年の実績を強調し、地元の企業や団体を回る徹底した組織選挙を展開しました。
一方、西尾氏は井上氏の市政運営批判から助役を辞して立候補。市役所の改革や医療福祉、教育の充実などを訴えて無党派層を中心とした“草の根”選挙を展開しました。
結果は、西尾氏が3万5000票以上の大差をつけて井上氏を破り、初当選を果たしました。

函館市は2004年(平成16年)、戸井町・恵山町・椴法華村・南茅部町を編入合併しましたが、この選挙の開票は1か所に集約するのではなく、旧市町村ごとに5か所に分かれて行われました。
西尾氏は旧函館市と旧南茅部町で、井上氏は旧戸井町・旧恵山町・旧椴法華村で、それぞれ相手を上回りました。
旧函館市で大差をつけた西尾氏が市全体でも大差をつける形となりました。
この選挙の有権者数は24万人近くで、前回・4年前の選挙まででは過去最多です。投票率は60.74%でした。


【2011年(平成23年)】
歴史は繰り返されます。東日本大震災直後のこの選挙では、2期目を目指した西尾正範氏に対し、「経済活性化の具体的な手だてがない」と西尾市政を批判して副市長を辞めた工藤寿樹氏が挑みました。
結果は、工藤氏が西尾氏に1万3000票余りの差をつけ初当選。工藤氏は選挙戦で、経済活性化のため中心商店街に親子連れなどが集まる商業施設を作り、にぎわいを取り戻すと訴えました。
この選挙から開票は1か所で行われました。投票率は55.65%でした。
函館市長選挙では、1955年(昭和30年)と1967年(昭和42年)の選挙でも現職が落選しています。
戦後誕生した9人の市長のうち4人が選挙で敗れ、市長の座を失う形になっています。


【2015年(平成27年)】
自民党と公明党、それぞれの地域支部が推薦した工藤寿樹氏が6万6000票余りの大差をつけて元衆議院議員秘書の広田知朗氏を抑え、2回目の当選を果たしました。
工藤氏は選挙戦で、新幹線開業後の交流人口の拡大や産業の底上げ、大間原発建設差し止め訴訟の継続などを訴えて幅広い支持を集めました。投票率は51.86%でした。


【2019年(平成31年)】
3期目を目指して立候補した工藤寿樹氏に弘前大学大学院元准教授の武田春美氏が挑みました。
工藤氏は観光目的税の導入の検討や冬季イベントの拡充を図り、交流人口の拡大につなげるほか、市内のバス路線の見直しや高速道路の整備など交通アクセスの充実などを訴えました。
結果、工藤氏が3万2000票余りの差をつけて武田氏を抑え、3回目の当選を果たしました。投票率は49.32%と50%を割り込みました。

投票率で見る 統一地方選挙“効果”

函館市長選挙は、1986年(昭和61年)に現職・柴田彰氏が辞職したことに伴って選挙が行われることとなり、以降、1998年(平成10年)までの計4回の選挙は統一地方選挙を外れ、単独の選挙として行われました。
統一地方選挙を外れる前、投票率がどうだったか。
1つ前、1983年(昭和58年)選挙の投票率は76.00%。戦後最初の1947年(昭和22年)4月の選挙(投票率=59.93%)と、その選挙で当選した初代市長、坂本森一氏の死去に伴い同年11月に行われた選挙(投票率=24.54%)の2つの選挙を除き、1983年まで計9回の選挙は一貫して投票率は70%を上回っていました。

ところが、統一地方選挙を外れた1986年の選挙。投票率は59.48%と、1つ前の選挙から16ポイント余り下がりました。さらに、次の1990年(平成2年)選挙では37.87%と21ポイント以上続落。以降、1994年(平成6年)、1998年と、投票率は40%台が続きます。
しかし、木戸浦隆一氏の辞職に伴い統一地方選挙として行われることとなった翌1999年(平成11年)の選挙。投票率は64.34%と60%台に戻します。その後も2003年(平成15年)、2007年(平成19年)と、単独で行われていた時代の水準を上回る50%台から60%台で推移しました。
ただ、それ以降は低迷を続けています。前回・2019年(平成31年)には49.32%と、単独で行われていた時代と同水準の40%台にまで落ち込みました。
今回の選挙で投票率がどのように推移するかも焦点です。

前回・2019年(平成31年)の結果は👇
統一地方選挙2019【函館市長選挙】

2023年3月8日

4月23日投開票 後半戦はこのほかにも👇

“春の政治決戦”に向けた動きをまとめています👇

チョイス北海道 トップページ👇

ページトップに戻る