ページの本文へ

NHK北海道WEB

  1. NHK北海道
  2. NHK北海道WEB
  3. ほっとニュースweb
  4. 夕張市長選挙 戦いの歴史 最近の選挙結果は

夕張市長選挙 戦いの歴史 最近の選挙結果は

  • 2023年3月17日

統一地方選挙・後半戦で行われる夕張市長選挙。最近の選挙結果とともに、その歴史を振り返ります。(札幌放送局  川口朋晃)


夕張市長選挙  1999年以降の結果を詳しく

【1999年(平成11年)】
現職の中田鉄治氏が前夕張市議会議員の小林吉宏氏を1500票余りの差で抑え、6回目の当選を果たしました。
当時、中田氏は73歳で、道内の現職市長で最高齢。また、6選は道内の現職市長では最多でした。

中田氏は夕張市の助役出身で、1979年(昭和54年)の初当選。昭和から平成にかけて24年間、市長を務めました。
中田氏は6回の選挙のうち、昭和に行われた3回はいずれも無投票、平成の3回は1対1の対決を制して当選を重ねました。投票率は86.41%でした。


【2003年(平成15年)】
6期務めた中田鉄治氏の引退を受けて、新人4人の争いとなりました。
前夕張市助役の後藤健二氏が前夕張市議会議長の川村実氏や前夕張市議会議員の森谷猛氏らを抑えて初当選を果たしました。

石炭産業の衰退後、観光を産業の柱に据えた中田市政に対する評価が争点となり、後藤氏は選挙戦で「“行財政正常化計画”の見直しを図り、財政を正常化していきたい」と訴えました。投票率は84.91%でした。

しかし、この選挙から3年後の2006年(平成18年)6月。公営企業や第3セクターも含め、市の通常の収入の14倍にあたる630億円もの多額の債務の存在が明らかになります。
長年にわたる観光施設のずさんな経営に加え、不適切な会計処理を行ったことで厳しい財政状況が表面化するのが遅れ、巨額の赤字が膨らんでいました。
後藤氏は「今の財政状況では、国や道の支援がなければ行政の継続が危ぶまれる」として、国の管理のもとで借金の返済を行う「財政再建団体」への申請を表明。自治体の“倒産”でした。
その後、市は一般会計や観光事業などをあわせて353億円の借金を18年かけて返済するため、税金の引き上げや市の施設の廃止など市民に負担を求めるなどとした「財政再建計画」を策定。
翌2007年(平成19年)3月、財政再建団体に指定されました。この15年前、1992年(平成4年)に同じく産炭地だった福岡県の旧赤池町が指定されて以来のことでした。

【2007年(平成19年)】
後藤健二氏は「市が財政再建団体に転落した責任を取りたい」として立候補せず、市の内外から新人7人が立候補する混戦となりました。7人の候補者数は戦後行われた夕張市長選挙で最多です。
結果、夕張市出身で札幌市内のタイヤ販売会社の社長を務めていた藤倉肇氏が青森県の観光会社役員の羽柴秀吉氏や前夕張市議会議員の千代川則男氏らを抑え、初当選を果たしました。

藤倉氏は「元経営者としての経験と人脈を生かし、中小企業を誘致して夕張市の再建にあたりたい」などと訴え、夕張市の職員で作る労働組合を中心とした連合の支援を受け、工場や会社の従業員、商工業者へと支持を広げました。
急速に人口が減っていく中、この選挙は有権者数が1万人を超えた最後でした。投票率は81.72%でした。

その後、2010年(平成22年)、夕張市は借金の規模などを示す財政指標が法律の基準を超え、全国で初めての「財政再生団体」となりました。
新たにまとめられた「財政再生計画」では、2010年度から17年間でおよそ322億円の借金を返済するとされました。
その後、藤倉氏は「市の再生に大きな影響力を持つ市議会の中に入って行政を後押ししたい」として1期限りで市長を引退。夕張市議会議員を1期務めます。

【2011年(平成23年)】
藤倉肇氏の引退を受けて新人4人の争いとなり、東京都職員として2008年(平成20年)から2年余り夕張市役所に派遣され、医療行政に携わってきた鈴木直道氏が、自民党、公明党の地域支部、みんなの党が推薦した元衆議院議員の飯島夕雁氏らを抑え初当選を果たしました。鈴木氏は当時30歳。全国で最も若い市長でした。

鈴木氏は「東京との連携」を公約に掲げ、特産品の販路の拡大や企業誘致を進めると訴えました。選挙期間中には東京都の石原慎太郎知事も応援に駆けつけました。投票率は82.67%でした。

鈴木氏は市長就任後、国の管理の下、多額の借金の返済を進めながら、市内各地に点在する市営住宅を中心部に集約させていく「コンパクトシティ」計画や地下に残る石炭層からメタンガスを取り出して住宅の暖房に活用する事業など、地域の再生に向けた取り組みを進めました。

【2015年(平成27年)】
中田鉄治氏が3選した1987年(昭和62年)以来28年ぶりに無投票となり、鈴木直道氏が2回目の当選を決めました。

2年後の2017年(平成29年)、市は鈴木氏の下、財政再建と地域再生の両立を目指す新たな「財政再生計画」を策定。国の同意を得て、10年をかけて事業を進めることになりました。計画には市営住宅の再編や市立診療所の移転改築、産業振興を目指した夕張メロンの安定生産に向けた基盤整備など46の事業が盛り込まれました。

【2019年(平成31年)】
2期務めた鈴木直道氏が知事選挙に立候補するため辞職。新人同士の“一騎打ち”となり、夕張市の職員出身で前夕張市議会議長の厚谷司氏が元夕張市議会議員の多喜雄基氏を抑え、初当選を果たしました。
厚谷氏は自民党と立憲民主党それぞれの夕張支部からの支持を受けて組織票を固めたほか、無党派層などからも幅広く支持を集めました。
選挙戦で厚谷氏は「鈴木市政を継承して財政再生への道筋を確実にしていく」と訴えました。


当日有権者数に見る“まちの規模”

選挙では、3か月ごとに投票する資格のある人を登録した「選挙人名簿」から死亡者や転出者を除いた投票日当日の有権者=「当日有権者数」を選挙管理委員会が公表します。
夕張市長選挙の「当日有権者数」の推移を通して“まちの規模”を見てみます。
戦後最初の選挙、第1回統一地方選挙として行われた1947年(昭和22年)の選挙の当日有権者数は3万4500人でした。
炭鉱で栄えた夕張。人口が増えるにつれて当日有権者数も増加していきます。1951年(昭和26年)選挙では5万307人、次の1955年(昭和30年)選挙では5万4514人。まちの規模が大きくなっていった様子が分かります。

しかし、2回の無投票を挟んで行われた1967年(昭和42年)選挙では4万7854人と急減。相次ぐ炭鉱の閉山で、まちの規模は急速に縮小していきます。
4回にわたり無投票が続いた後の1991年(平成3年)選挙では1万6806人と、ピーク時の3割ほどにまで減少。「財政再建団体」に指定された2007年(平成19年)の選挙では1万1114人と、ピーク時のわずか2割ほどにまで“まちの規模”は小さくなっていました。
そして、全国で初めての「財政再生団体」となった翌年の2011年(平成23年)選挙。当日有権者数は9665人と、初めて1万人を割り込みました。2019年(平成31年)選挙では7283人となっています。ピーク時の1割ほどです。
全国で唯一の財政再生団体、夕張市。
今回の選挙で当選した市長が任期満了にさしかかる2026年度(令和8年度)末には「財政再生計画」の期間を終え、国へ返す借金、「再生振替特例債」の償還も終わる見込みです。
選挙戦では、計画終了後のまちづくりを見据えて、今後4年間、どのような政策を進めていくかも問われることになります。

前回・2019年(平成31年)の結果は👇
統一地方選挙2019【夕張市長選挙】

2023年3月17日

4月23日投開票 後半戦はこのほかにも👇

“春の政治決戦”に向けた動きをまとめています👇

チョイス北海道 トップページ👇

ページトップに戻る