シラベルケーネ! なぜ?福山市中心部から遠い気象観測所
- 2024年04月15日
みなさんからの疑問や質問を調べる、シラベルケーネ!。今回は福山市のKさんからの「福山市の気象観測所は松永町にあります。松永町は中心部から10数キロ離れています。なぜ松永町なのでしょうか」という質問について調べてきました。
(気象予報士 大隅智子)
気象観測所というのは気温や雨量などを自動で観測する所です。これは広島地方気象台の気象観測所で、一般的に「アメダス」と呼ばれています。気温や雨量、風向風速を観測しているのは、県内には19か所あります。
質問があった福山の気象観測所があるのは、福山駅から西にあたる松永町です。なぜ福山市の気象観測所が松永町にあるのか調べてきました。
福山駅から車でおよそ30分、福山市の松永町の住宅地に来ました。ここが福山市の気象観測所です。ここで福山市の気温や雨量などを観測しています。なぜ福山市の中心部ではなく松永町に観測所があるのでしょうか。
まず訪れたのは、観測所を管理する広島地方気象台。
實重博司さん
「こちらが福山の観測所の設置の経緯をまとめてある資料になります」
資料を見てみると、もともとは昭和9年、当時の沼隈郡松永町に「広島測候所松永臨時出張所」として開設されたことが分かりました。その理由は…。
實重さん
「沼隈郡一帯その周辺も含めて、いぐさの産地だったそうです。天日干しをしている時に雨にあたると、その品質とか価格にかなりの影響があるというところで、それを防ぐために臨時の観測予報をしてもらえないかという要望があって、松永町に設置されたようです」
さらに調べていくと、50年前に実際にいぐさの天気予報を聞いていた人にお会いできました。
いぐさ天気予報はどんな予報だったんでしょうか。
北浦浩之さん
「きょうは一時雨とか晴天とか、一時雷雨がありますとか、そういった放送がありました」
備後地方はかつていぐさの生産が盛んでした。いぐさで織られる「備後畳表」は、高級な畳表として知られています。
北浦さん
「土をこのいぐさにつけてですね、天日で干すという作業をしておりました。干している時に雨に当たるといぐさがしま模様になったり、むらができたりというようなことで、1年間大切に育ててきたいぐさが全部むだになるということで、生産者の方は非常に天気のほうは気を遣って生産をしておりました」
北浦さんが、当時のいぐさ天気予報の張り紙のようなものを見せてくれました。テレビやラジオで1日数回、いぐさのための天気予報が伝えられていたようです。にわか雨のある場合は、至急、電話または作業旗で通報していたということです。
その後、昭和17年にはいぐさの収穫時期だけではなく、正式に福山市の観測所として毎日観測することになりました。昭和62年になると火力の乾燥機でいぐさを乾かすことができるようになったため、いぐさ天気予報は終了。
90年前、いぐさの栽培のために始まった松永町の気象観測は、福山市の気象観測所としてそのまま引き継がれています。
いぐさ天気予報が終わったあとも移転しなかったのはなぜでしょうか。
気象台によると、50年以上も松永町で観測を続けてきたので、場所を変えるとこれまでのデータが使えなくなることなどから移転はしなかったそうです。
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