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日本製鉄の呉の製鉄所を退職 新たな一歩踏み出す

  • 2023年12月04日

呉の基幹産業を支えた日本製鉄は、2020年に瀬戸内製鉄所呉地区を閉鎖すると発表し、今年9月に全ての設備を停止しました。そうした苦境の中でも前向きに新たな一歩を踏み出し始めている人がいます。呉の“食”の現場で、挑戦をする姿を取材しました。

広島放送局ディレクター 有賀実知

呉市広の港を出て、漁に向かう男性。生まれも育ちも呉の熊原拓朗さんです。

熊原拓朗さん
「時期的にオコゼがようけとれるところ。有名じゃん、呉オコゼって。」

熊原さんは、製鉄所閉鎖の発表を受け、2021年に会社を退職。現在は漁師をしながら、とった魚を販売する鮮魚店を営んでいます。

熊原さん
「地元の魚とか、呉の魚はこんなにおいしいんですよ、っていうのをお客さんに味わってもらいたいだけ。」

熊原さんは、3人の子どもと妻との5人暮らし。高校を卒業してから16年間、製鉄所に勤めてきました。担当していたのは、金属を薄く加工する「圧延」と呼ばれる部門です。

熊原さん
「これつくりよったんです。鉄を1200~1300度で出してきて、圧延機でどんどんどんどん伸ばしていく仕事。「花形」っていうところにおったんですよ。熱延ラインの花形っていって、ちょっと技術職のところにおって。1ミクロンをつついて製品をつくっていくっていう、すごい難しいところなんじゃけど。すごいプライドを持ってやりよった。仕事は。」

しかし、2020年2月。日本製鉄は、3年後に「呉製鉄所」の操業を停止することを発表。職場の同僚の多くが県外に転勤することを選ぶ中、熊原さんはふるさと呉に残り、別の道に進むことを決めたのです。

熊原さん
「最初は、どうにか子どもは育てなきゃいけんけぇ、安定した仕事に就こうかなとは思ったんですけど、人生1回じゃけぇ、好きなことをして、やりたいことやってと思って。」

新たな一歩として選んだ、鮮魚店。妻の佳緒さんも、それまでの介護の仕事を辞めて一緒に店を支えています。

熊原さん
「シンクとかも全部、ばあちゃんの魚屋からもって帰ったやつ。中から包丁とかも出てきて。これいいじゃん、使おうかなみたいな。」

実は、熊原さんの亡き祖母は、2004年まで、駅前の商業施設内で鮮魚店を営んでいました。幼い頃から、祖母がふるまってくれた新鮮なお刺身がなによりの大好物だったという熊原さん。その味を復活させたいと考えたのです。

熊原さん
「おばあさんが店を辞めて、スーパーで刺身とか買うじゃないですか。おいしいと思えんくて。ずっと。やっぱり、鮮魚店のこだわり、魚屋さんのこだわりの刺身っていうかね。魚。あれがつくりたいけえ、魚屋を始めたと言っても過言じゃないかも分からん。」

おいしさのためにこだわり抜いているのが、魚の鮮度です。勤めていたときから釣りが趣味だった熊原さんは、漁師仲間から教えてもらい、自ら海に出て活魚を調達しています。しかし、それだけでは足りません。

地元漁師
「この太刀魚なんかは、これ、ワシが持ってきたやつ。これ私が釣った太刀魚。」

呉の漁師の先輩たちも、とった魚を店に卸して、熊原さんを支えてくれています。

地元漁師
「製鉄所を早期退職して、この店を始めてね。最初はどうなることかと思ったけど。まあ順調にやってくれていますからね。ほんまに。私なんかも内心ものすごくうれしい。喜んでます。この夫婦がかわいらしいけぇね。奥さんなんかもかわいらしいでしょ。ほんまにね。」

店を始めてから2年半。新鮮な魚がおいしいと口コミが広がり、店は多くのお客さんで賑わっています。

男性客
「きょうは太刀魚を買いました。3枚におろしてもらって天ぷらにするんです。私のおいっ子は日新(日本製鉄)だったんです。それで今は、姫路の同じ会社に行っていますからね。地元に残るのも大変じゃろうけど。応援しています。」

熊原さんは今、呉の海産物をさらに盛り上げようと、新たな試みも始めています。

熊原さん
「これ全部アサリよ、ちっちゃい。アサリの赤ちゃん。」

呉近海では近年見られなくなってしまったというアサリを、稚貝から養殖で育てようというのです。まだ成功していませんが、呉の新たな名物になればと、試行錯誤を続けています。

熊原さん
「これがうまくいったらね。広島県産で、おいしいのができるかなって思うけど。難しいんよ、ほんまに。前向きに、何かできるんじゃないかなって思って。まだ若いしここに育ててもらっとるから、義理人情じゃないけどね。まあ恩返しっていうかね。そんなんもあるかもしれんね。」

  • 有賀実知

    NHK広島放送局ディレクター

    有賀実知

    長野県出身。2021年入局、東京勤務を経て広島に。
    地域に根ざした産業や課題について、積極的に取材中。

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