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「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー 第4回 一緒にいることがスタートでありゴール

2017年07月25日(火)

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由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー
第4回 一緒にいることがスタートでありゴール

▼現実問題と人権問題を分けて考える
第1回 第2回 第3回

 


Webライターの木下です。

現実問題と人権問題を分けて考える


木下:
障害者の中にも高齢だったら、身寄りがなかったりして、施設を必要とする人たちも確実に存在しますよね。


坂川:施設をゼロに、とは思ってないのです。だって、健常児にだって施設は必要ですよね。家族のいない子どももいますし、親から虐待を受ける子どももいます。乳児院や児童養護施設を完全になくすわけにはいきません。
 でも、児童養護施設の場合、できれば施設で暮らし続けるよりも、里親養育や養子縁組が推奨されています。しかし、どちらも日本の現状ではなかなか進まない、つまり地域に「受け皿」が不足している。それでも、「だから地域生活は時期尚早です」とはならない。子どもにとっての最善は、家庭で特定の養育者に育てられることだから、そのために現状を変えていく方向で努力すべきだというコンセンサスがある。それなのに、障害者の場合は、現状が困難だと「時期尚早」と思考停止されてしまう。そこが問題だと思っているのです。

 家庭で十分に介護できない場合は施設が必要となるのでしょう。施設で十分にケアされて、相対的にみれば、家庭より施設で暮らす方が幸せというケースも、個別にはあるかと思います。でもそういった個別事例をもって施設を福祉の中心に置いていたら、地域で暮らすための環境整備はいつまで経っても進まないのではないでしょうか。実際予算配分も地域ではなく施設に偏っています。さまざまな改革が行われるために、まずは「私たちと同じこの地域で共に」という理念をしっかりと共有すべきだと考えています。

木下:あゆちゃんちは、あゆちゃんが主役になれる場ですね。

坂川:あゆちゃんが、というよりあゆちゃんも、主役になれる場所でありたいと思っています。
 「あゆちゃんち」にはこれまで0歳の赤ちゃんから80代のお年寄りまで多様な方がいらしてくださいました。そういった地域の方に混ざってさまざまな障害者のある方、長らく引きこもっていたという方、認知症の方なども参加されています。障害のある人だけ集められた場では「支援を受ける人」という受け身な在り方しかなかった人が、まぜこぜの場では持ちつ持たれつで何かしら「役に立つ」かかわりがあったりします。

 障害者が地域で生きていくためには制度だけでなく、「心のバリアフリー」と言われるような地域の理解が必要です。でも私たちは分けられ隔てられていて出会う機会がありません。だからお互いを知らなくて、それが偏見を生んでいるという側面もある。でもこれは本気で取り組めば変えられることだと思います。

 例えば、認知症についての世間の意識はずいぶん変わったのではないでしょうか。認知症カフェや認知症サポーターなどといった取り組みやメディアのキャンペーンなどによって、認知症の人への見方が一昔前とはずいぶん変わったと思います。それはもちろん認知症の人の方が障害者より人数が多いとか、自分や自分の親の問題として身近に感じられるといった理由もあるでしょうが、やはり「いま、現にここで、私たちの地域に暮らしている」といった点が大きいのではないでしょうか。

 やはり一緒にいることがスタートでありゴールだと思うのです。




 

「障害者の家族は不幸だ」。相模原障害者施設殺傷事件の植松容疑者が残した呪詛の言葉に対して坂川智恵さんは、「不幸で何がいけない」と言います。息子さんの坂川ディレクターが亜由未さんを笑顔にしょうとすれば、「結果として笑顔になるのと、笑顔を求めるのとは違う」とたしなめます。子どもたちに介助をさせなかったのは、「身内の世話を運命のように背負い込んでほしくなかったからだ」と振り返ります。そして、重症心身障害者も地域で暮らすべきだとするのは、「本人の目線を大切にするためだ」と言います。

坂川さんは一貫して個人の人生を尊重する人でした。重い障害があっても、施設ではなく、地域で暮らすべきだと強く主張しますが、施設に子どもさんを預ける家族に対して批判めいたことは何もおっしゃりませんでした。むしろ、そのような家族の助けとなるような活動もしていきたいと話します。批判をしているのはシステムや制度に対してであって、一人ひとりの個人のあり様についてではないと言います。

坂川さんにとって、地域とは場所ではなく、人と人とのかかわりのことです。コミュニティスペース「あゆちゃんち」を通じて、さまざまな人が行き交い、亜由未さんとかかわっていきます。触れ合いや体験を通じて、成長するのは亜由未さんだけではありません。周囲の人たちも確実に変化していきます。「障害者の家族は不幸だ」と植松容疑者は言いましたが、幸・不幸を超えたところに一人ひとりの人生があるのだと思いました。

 

木下 真

▼関連ブログ記事
 「亜由未が教えてくれたこと」坂川智恵さんインタビュー(全4回)
  第1回「障害者の家族は不幸」という言葉

  第2回  地域の人々と交わるスペースを創る 
  第3回 重い障害があっても地域で暮らす理由
       第4回 一緒にいることがスタートでありゴール

知的障害者の施設をめぐって 全14回障害者の暮らす場所 全5回相模原障害者施設殺傷事件 全6回相模原市障害者施設殺傷事件に関して【相模原市障害者施設殺傷事件】障害者団体等の声明


▼関連番組

 2017年5月9日放送『ハートネットTV』「亜由未が教えてくれたこと」
 2017年7月22日放送『ETV特集』「亜由未が教えてくれたこと
 2017年7月26日放送『ハートネットTV』「障害者施設殺傷事件から1年 第3回 障害者は“不幸”?」
 2017年9月24日放送『NHKスペシャル』「亜由未が教えてくれたこと」

コメント

単刀直入に言うと、違和感、無理を感じました。私は難病にかかり何度となく入退院を繰り返し、車椅子を使っています(家の中程度は歩きます)。家の中は歩くことはできるので(病気で見かけ以上に体力がない、など普通の人と同じ生活はとてもじゃないができないが)、身動き取れない状態の人とは比べることはできませんが、それでも入院して状態の悪い中、他人(主に看護者)に自らのことを頼むのは本当に嫌なことでした。無視、はたまた嫌がらせなど数え切れません。内科の頭のはっきりした状態でさえ今の日本はそうなのです。2度と入院はしたくない。体だけではなく、心が壊れてしまいます。そして在宅であっても人にはわからない体力のなさ、体の痛み、倦怠感などで、一時期ヘルパーを雇ったことがありますが、その人たちと接するのにとても疲れました。ヘルパーという他人が家の中に入ってきて、そのひとの相手をするということがとても疲弊させられます。相手がこちらの病状を理解していないからです。亜由未さんに仕事につかせようと、外に出したり、地域の中で交流させようと、他人を大勢家の中に入れたりと・・・見ているだけで疲れました。それはたとえ亜由未さんがお話しすることができないとしても、嫌だから断るということができないから尚更です。いくら笑顔で接していようと、もしかして他人のお相手をするのに疲れているかもしれない。それを思い計らないで、本人にとっていいことをしている、と思い込んでいるとしたら・・間違いかもしれません。これは本人に聞いて見ないと(本人の感性に)わかりませんが。それから、きついことを言うつもりはさらさらありません。運命とか宿命って考えたことありますか?亜由未さんがご両親の下に生まれてきたのも、妹さんのところにお姉さんとして生まれてきたのも宿命なのです。それを誰が介護するのか、妹さんに近くに住んで欲しい、でも申し訳ないことを言ってしまった、とかって(ご両親の気持ちは重々わかっています)、それは亜由未さんに悪くないですか?全てがそうはならない世の中で本当に悲しい限りですが、生きている限り、親が、兄弟が身動き取れない家族の面倒を見なくて、一体誰が見ると言うのでしょうか?私は両親には心配をかけて、母を疲弊させ、姉に疎まれ、病気になってからは実体験してきました。他人は他人です。ナースコールなんて出ないし、親身になって看護してくれる人なんて皆無と考えるのが妥当なんです。みんな自分の家には起こらないこと、人ごと、と思っている。だから家族でさえ疎むようになるのです。家族が面倒を見ないで、人や支援する人や、ボランティアの人がどれだけ親身になれるのでしょう?本当は家族が一番家族を愛し、他人をも心からお手伝いすると言う社会を待ち望んでいます。一つの例ですが、ボランティアや寄付がすぐ集まる米国の例を学んで見てください。ぜひ、取材して見てください、と言いたいです。少しの距離、歩ける私でさえ、外出、通院をためらいます。もう何十年も患っていても、最低限、自分のことは自分でできても、どこで嫌な目に会うか、どこで障害物に出会うか、わからないからです。病院や薬局で後回しにされ、車椅子を使っていると言うだけで、好奇の目で見られ、都心のデパートで嫌がらせを受けたり、飛行機に乗るのもトラウマになり・・・。一度でいいですから付き添いなしで交通機関に乗ったり、買い物したりして見てください。よくわかると思います。この番組を見て「障害者が家にいたらどうしたら良いか?」と言う命題を突きつけてるな、と思いました。捨てるのですか?自分がなって見たらどう感じるか?と言うことを是非、考えていただきたいです。みんなが亜由未さんの立場になって見てください。健常者でも一人で生きている人はいないのです。

投稿:ミケ子 2017年11月02日(木曜日) 22時49分